経済学の主役が理論ではなく実証分析となって久しい。実証分析を伴わない論文は専門誌への掲載が難しくなっている。「経済学の書棚」第14回前編は、最先端の実証分析の手法を実例と合わせて分かりやすく紹介した『データ分析の力』と、データの作り方や使い方を習得する教科書であると同時に個人の研究史ともいえる『データサイエンスの経済学』、因果推論の歩みを踏まえ、人工知能(AI)の未来を予測する『因果推論の科学』を紹介。

「経済学の書棚」第14回では、経済学をはじめ様々な分野で実証分析が花盛りとなっている中で、実証分析の最前線、実証分析ブームの背後に潜む問題点や課題に迫る著作5冊を紹介する
「経済学の書棚」第14回では、経済学をはじめ様々な分野で実証分析が花盛りとなっている中で、実証分析の最前線、実証分析ブームの背後に潜む問題点や課題に迫る著作5冊を紹介する
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因果関係の見極め方を解説

 経済学の主役は長い間、経済理論であり、美しい数式を駆使し、経済現象の背後にある法則や原理を切れ味鋭く導き出す研究者が学界の頂点に君臨していた。ところが、21世紀を迎えた頃から様相が大きく変わってきた。従来、経済理論を支える裏方のイメージが濃かった実証分析が主役の座を奪い、実証分析を伴わない論文は専門誌への掲載が難しい状況にもなっている。実証分析の最前線、実証分析ブームの背後に潜む問題点や課題に迫る著作を紹介する。

 シカゴ大学准教授の伊藤公一朗著『 データ分析の力 因果関係に迫る思考法 』(光文社新書/2017年4月刊)は最先端の実証分析の手法を実例と合わせて分かりやすく紹介した啓蒙書だ。

『データ分析の力 因果関係に迫る思考法』(伊藤公一朗著)。最先端の実証分析の手法を実例と合わせて分かりすく紹介した啓蒙書。ビッグデータ時代を迎え、私たち自身がデータを見極める力を備える必要があると説く
『データ分析の力 因果関係に迫る思考法』(伊藤公一朗著)。最先端の実証分析の手法を実例と合わせて分かりすく紹介した啓蒙書。ビッグデータ時代を迎え、私たち自身がデータを見極める力を備える必要があると説く
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 ビッグデータ時代を迎え、文系にも理系にもデータ分析力が求められる中で、重要な役割を担うのは人間の判断。その軸となるのが「因果関係の見極め方」である。データの量が増えても根本的な解決にはならず、私たち自身がデータを見極める力を備える必要があると説く。

 同書では、因果関係を見極める手法を、数式を使わずに解説している。最良の方法とされる「ランダム化比較試験(RCT)」(第2章)、まるで実験をしたかのような状況をうまく利用する「自然実験」の手法として、データの「境界線」に注目する「RDデザイン(回帰不連続設計法)」(第3章)、データの「階段状」の変化を捉える「集積分析」(第4章)、複数の期間にわたって入手できるデータを利用する「パネル・データ分析」(第5章)を順に取り上げている。手法の説明だけではなく、それぞれの手法の強みと弱みにもバランスよく触れている。

 第6章は実践編で、諸外国や日本での実証分析の具体例を紹介しながら、どうすればデータ分析をビジネス戦略や政策形成に生かせるのかについて考察している。第7章「上級編:データ分析の不完全性や限界を知る」では、データ分析をする際に陥りがちな問題点を列挙し、注意を喚起している。

 その中の一つが「外的妥当性」の問題だ。RCTや自然実験を実施すれば、XがYへ及ぼした影響(因果関係)を科学的に分析でき、その実験に参加した対象に関する分析結果は「内的妥当性」を確保している。しかし、この結果には、他の対象にも適用できる「外的妥当性」があるとは限らない。研究者はこの点を意識して慎重に議論する必要があると唱える。

 第8章では、さらに学びたい読者向けの参考図書を紹介している。データ分析に関する知識を深めたい人は、同書を最初の一冊としてみたらどうだろうか。

 京都大学教授の依田高典著『 データサイエンスの経済学 調査・実験,因果推論・機械学習が拓く行動経済学 』(岩波書店/2023年10月刊)は、データの作り方や使い方を習得するための実証分析の教科書だ。最先端の実証分析に携わってきた著者の過去20年間の研究を振り返りつつ、実証分析の手法と実践を体系立てて解説している。

『データサイエンスの経済学 調査・実験,因果推論・機械学習が拓く行動経済学』(依田高典著)。最先端の実証分析に携わってきた著者の過去20年間の研究を振り返りつつ、実証分析の手法と実践を体系立てて解説
『データサイエンスの経済学 調査・実験,因果推論・機械学習が拓く行動経済学』(依田高典著)。最先端の実証分析に携わってきた著者の過去20年間の研究を振り返りつつ、実証分析の手法と実践を体系立てて解説
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 実証分析の類型別に、「アンケート調査の経済学」(第Ⅰ部)、「フィールド実験の経済学」(第Ⅱ部)、「因果推論・機械学習の経済学」(第Ⅲ部)に分け、最先端の手法を詳しく解説している。同書の説明では、フィールド実験はRCTの別名だ。

 アンケート調査の部では、人間の選択について分析する「離散選択分析」、仮想的なアンケート調査を利用する「コンジョイント分析」、フィールド実験の部では、その歩みと、米国と日本での実践例を紹介している。フィールド実験は「内生性の問題を解決し、因果性を特定化する上で、『最強の経済学』なのである」と強調。行動経済学が専門の依田氏は「フィールド実験で検証する人間の行動の説明原理として、行動経済学は非常に役立つ」とも指摘している。

 因果推論・機械学習の部では、「経済学と機械学習の融合」について論じている。政策を実施する対象(介入群)と実施しない対象(対照群)とを比較するRCTが解明できるのは、「平均介入効果」(ATE)にとどまるが、機械学習の手法を使えば、個人ごとに異なる効果(異質介入効果、HTE)を明らかにできる。介入が効く人と効かない人が分かれば「誰に介入すべきか」を判断する材料になる。

 実証経済学の最先端の研究は因果性から異質性、特定のタイプの属性を持つ人にだけ介入する「ポリシー・ターゲティング」へと進んでいるとの見方を示している。「近い将来、経済学は機械学習の植民地になるのではないかという心配の声も聞こえる」という。

実証分析の最前線を走る

 同書は依田氏の研究史でもある。個人の研究史がそのまま実証分析の概説になっているのは、同氏が常に実証研究の最前線で活動してきた証しであろう。フィールド実験の部で登場する経済産業省のプロジェクト(伊藤公一朗氏も参画)など、数多くのプロジェクトに積極的に参画し、現場での苦労を重ねながら研究成果を積み上げてきた集大成といえる。依田氏は「決して諦めないことだ」と未来の研究者にエールを送る。

 コンピューター科学者のジューディア・パール氏は、科学ライターのダナ・マッケンジー氏との共著『 因果推論の科学 「なぜ?」の問いにどう答えるか 』(松尾豊監修・解説/夏目大訳/文藝春秋/2022年9月刊)で、因果推論の歩みを踏まえ、AIの未来を予測している。

『因果推論の科学 「なぜ?」の問いにどう答えるか』(ジューディア・パール、ダナ・マッケンジー著)。因果推論の歩みを踏まえ、AIの未来を予測している
『因果推論の科学 「なぜ?」の問いにどう答えるか』(ジューディア・パール、ダナ・マッケンジー著)。因果推論の歩みを踏まえ、AIの未来を予測している
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 パール氏は「因果ダイアグラム」と呼ばれる図を使って因果関係を明らかにする方法を開発した。医学や疫学の世界で広まり、応用が進んでいる。因果ダイアグラムは、矢印を使った図で因果関係を表現する点に特徴がある。例えば、ある要因から、原因と結果の両方に矢印を引けるなら、その要因は原因と結果の両方に影響を与える「交絡因子」だとみなせる。

 こうした実績を持つパール氏は、「科学は長い間、つい最近まで因果関係を扱うことには失敗し続けてきた」と断言する。近代統計学の創始者であるフランシス・ゴルトンとカール・ピアソンは遺伝に関する因果的な問いを「扱ってはならぬもの」とし、因果関係を除外して相関関係を重視する統計学を生み出した。

 状況が大きく変化したのは30年前。「現在では、慎重に練られて作られた因果モデルによって、科学者は、かつては解決不能とされた、あるいは科学で扱うものではないとされた問題にも対応できるようになっている」。人間の脳が生まれつき持っている原因と結果を理解する能力を否定するのではなく、それを受け入れ、積極的に生かそうとし始めたのだ。パール氏は「これはもう科学の世界の革命と言って間違いないだろう」と指摘し、「因果革命」と呼んでいる。

3段階からなる認知能力

 同氏は、因果関係を理解するためには、見る(1段目のはしご)、行動する(2段目のはしご)、想像する(3段目のはしご)という3つの異なる認知能力を身につける必要があると主張する。1段目のはしごでは、物事を観察し、関連付け、何らかの規則性を見いだす。統計学が発展させてきた「相関」や「回帰」は、関連性を表す代表的な尺度だ。現在の機械学習は1段目のはしごにとどまっている。

 2段目の典型的な問いは、「ハミガキ粉の価格を2倍にしたら、デンタルフロスの売り上げはどう変わるか」。この問いに答えるには、「介入」してその結果を見るという、データには欠落していた新しい種類の知識が必要になる。

 最上段の3段目では、「もし○○しなかったらどうなっていたか」という「反事実」の問いに答えなければならない。2段目から3段目に上がるために必要になるのが、因果関係に基づく世界のモデルだ。これを「理論」、「自然法則」と呼ぶこともある。3段目に必要なのは物事に対する「理解」だ。因果ダイアグラムは代表的なモデルの一つといえる。

「強いAI」の開発に期待

 パール氏によると、現在の機械学習は、有限の標本から確率分布を推定する効率的な手段を提供してはいるが、確率分布から因果関係を導き出すことはできない「弱いAI」である。

 一方、「強いAI」は、自らの行動を反省し、過去の経験から学習する機械であるべきだ。自分自身の信念、意図、願望について推論する能力は、AI研究者にとって大きな難題であり続けてきたと同時に、「エージェンシー(行為主体性)」という概念の定義にもなっている。因果関係を理解し、エージェンシーとしての能力を持った「強いAI」は十分に実現可能だと期待を寄せる。

 「強いAI」の開発は著者の願望であり、開発を裏付ける根拠を示してはいない。人間は善悪の区別ができる機械を作れるという前提のもとで、思考する機械を作るべきだと訴えている。

(後編へ続く)

写真/スタジオキャスパー