経済学をはじめ様々な分野で実証分析が花盛りとなっているが、そこに落とし穴はないのだろうか。「経済学の書棚」第14回後編は、現代の実証研究の潮流には危機感をもって対処すべき点があるという問題意識から編まれ、理論なき計測などの問題点を指摘する『次世代の実証経済学』と、現在の実証分析ブームを批判的に捉え、客観的データでなくても意味のある事象はあるはず、という問題意識から展開する『客観性の落とし穴』を取り上げる。
実証研究の潮流への危機感
経済学に限らず、様々な分野で実証分析が花盛りとなっている。そこに落とし穴はないのだろうか。大塚啓二郎、黒崎卓、澤田康幸、園部哲史編著『 次世代の実証経済学 』(日本評論社/2023年7月刊)は20人を超える研究者が執筆陣に加わった実証分析の最前線を走る解説書。
4人の編者は「経済学の全域で理論研究から実証研究へと大きな地殻変動が起きているが、現代の実証研究の潮流には危機感をもって対処すべき点がある」という問題意識を共有した。開発経済学や労働経済学などで広がる実証研究を概観しながら、実証研究に邁進(まいしん)する研究者たちが陥りがちな問題点を指摘し、実証研究のあるべき姿を提示する。
同書の定義では、1970年代に発展したミクロ計量経済学を担うのが実証研究の「第一世代」。1990年代の「信頼性革命」の主役となったランダム化比較試験(RCT)や擬似実験(自然実験)などを駆使した因果推論を担うのが「第二世代」。ビッグデータの時代を迎えた現在から未来の実証研究を担うのが「第三世代」であり、タイトルにある「次世代」はこの世代を意味している。
第1章(澤田氏が執筆)では、第一世代の分析手法の限界を指摘し、第二世代にも3つの問題があると説明している。(1)トップジャーナルに掲載された、経済学をはじめとする社会科学の実験研究の「再現性」が予想以上に低い、(2)大規模な政策介入は実験が難しく、実験の「実践性」に限界がある、(3)高いコストがかかるRCTを実施できる研究機関・グループによる学術研究の寡占化が進み、実験の対象となる開発途上国の研究者の地位が低下する「当事者排除」が起きる、の3つだ。
第三世代の実証研究では、こうした問題に対処し、ビッグデータの利用を拡大しながら、様々なステークホルダー間の連携、さらには根本的な科学的方法論の変革が鍵になると記している。
研究者は「実態認識」を重視せよ
同書全体を通じて「理論研究から実証研究へ」という現代経済学の潮流を基本的には歓迎する一方、実証研究の現状に対する不満を随所で表明している。その典型が「ヤッコー研究」と揶揄(やゆ)される研究で、RCTを実施したらこうした結果が出た(やったらこうなった)という論文を指す。ヤッコー研究は「理論なき計測」と批判されるようになり、2010年代以降は、政策効果の推定に加え、効果が発現するメカニズムを検証する研究も生まれてきたという。
同書を貫くキーワードは「実態認識」。研究対象の経済的・社会的な構造、重大な出来事や制度、社会が直面する重要な問題に関する知識を指す。個別具体的な制度や政策に対する深い理解を意味する「ドメイン知識」の重要性にも言及している。
実態認識を大切にし、適切な推定手法を活用し、多様な連携を模索しつつ社会的に重大な問題にチャレンジするのが「次世代の実証研究」のあるべき姿だ、というのが同書の結論だ。論文執筆に追われる「次世代」の研究者たちは、同書の提言をどう受け止めるだろうか。
大阪大学教授の村上靖彦著『 客観性の落とし穴 』(ちくまプリマー新書/2023年6月刊)は、現在の実証分析ブームを批判的に捉えた書である。「客観性」、「数値的なエビデンス(証拠)」は現代社会では真理とみなされているが、客観的なデータでなかったとしても意味がある事象はあるはずだ、という問題意識を出発点に持論を展開していく。
同書の前半では、科学的な真理が絶対となり、人間の経験をも科学的な妥当性と数値で測ろうとしてきた人間の世界で何が起きたのかを振り返る。「客観性」の歴史分析である。
自然、社会、時間、心というように世界のありとあらゆる事象は19世紀から20世紀にかけて客観的に捉えられるものとなっていった。客観性が支配する世界はたかだか200年弱の歴史しか持たない。
「客観性」の陰で消された人間の「経験」
このプロセスで感覚や感情、体の動き、対人関係の様々なやり取り、社会の影響、自然とのやり取りといった人間の経験が視野の外に消されていった。自然と社会を含む森羅万象が数値で測られるようになり、統計学の支配という形をとってきた。
現在、医療の世界では「エビデンスに基づく医療(EBM)」が絶対的な価値を持ち、「確率」が患者を追い詰めている。学校や会社といった組織、社会全体がリスクを予防するという視点でメンバーの行動を決め、行動を管理し、しばりつけようとする。村上氏は、経済活動における個人主義、自己責任論による支配が、リスク計算を重んじる社会の前提になっていると批判する社会学者、ウルリヒ・ベックの論考を紹介する。
数値化・競争主義は人間を社会にとって役に立つかどうかで序列化する。経済的に役に立つかどうかは、生産性という言葉に置き換えられる。統計学は偶然の出来事に直面するのではなく、少し目をそらして外から眺めることで飼いならす。偶然との出会いから生まれる唯一無二の経験や説明を超えた変化を、統計学は考慮しない。
経験と語りを重視する現象学の思考法
著者はこうたたみかけ、経験を抹殺しようとする現在の潮流を厳しく糾弾する。同書後半は、偶然の対人関係の中での経験を復権する方法がテーマ。著者が依拠するのは「現象学」と呼ばれる思考法だ。哲学者、エトムント・フッサールは、客観が真理であることを保証する構造が科学を遂行する人間の中、そして客観的自然科学の手前にあるのではないかと考えていた。客観の手前にある基盤を考える方法として現象学を提案した。
著者が特に大事にしているのが、個人の「経験」を語り出す即興の「語り」である。語りのディテールを丁寧に尊重することで、その人の経験のスタイルを取り出すことが可能になるという。
著者は2014年から、大阪市西成区北部の日本有数の貧困地区における子ども・子育て支援の現場で学んできた。誰もが抱える弱さを起点とした「ケアのコミュニティ」が拡がっている。一人ひとりの経験と語りから出発する思考方法は社会的な困難の中にいる人、病や差別に苦しむ人の声を尊重する社会を志向することにつながる。一人ひとりの声を聴き取り解きほぐしていく現象学は、小さな相互ケアの社会の生成を模倣するとともに、このようなコミュニティを解き明かす役割を担いうると結んでいる。
データやエビデンスを重視する風潮は何をもたらし、何を消し去っているのか。どうすれば、失われたものを取り戻せるのか。前後編で紹介した5冊は、そうした疑問に答えてくれるはずだ。
写真/スタジオキャスパー


