身近な存在となったAI(人工知能)は経済や社会をどのように変えるのか。「経済学の書棚」第39回前編では、経済学の基本的な道具立てでAIを総合的に分析した『AIの経済学』、汎用AIによる生産性上昇率の押し上げ効果を織り込み、GDPと人口を予測した『2075 次世代AIで甦(よみがえ)る日本経済』、企業経営の立場からAI普及の方法を探る『AI経済の勝者』を取り上げる。
AIを総合的・俯瞰的に捉える
生成AIの急速な普及もあり、多くの人にとってAIは身近な存在となってきた。AIは経済や社会の姿をどのように変えるのか。そこにはどんな問題があるのか。前編では、経済学、マクロ経済予測、経営学など、それぞれの著者の専門分野の知見を生かしてAIの影響を探った本を紹介する。
鶴光太郎著『 AIの経済学 「予測機能」をどう使いこなすか 』(日本評論社/2021年4月刊)は、経済学の基本的な道具立てでAIを総合的・俯瞰(ふかん)的に分析した書だ。5年前に出た本ではあるが、「AIに限らず、90年代から始まったICT革命はそれこそ経済学の教科書を大幅に書き換えるような影響を及ぼしているはずであるが、それを総合的・俯瞰的に捉えている研究はやはり驚くほど少ない」という主張は現在でも通じそうだ。
AIが経済にもたらす影響の中で特に世間の注目度が高いのは雇用への影響だ。第2章「AIで雇用はどうなる」では、経済学界での議論を整理している。以下に主なポイントを列挙する。
- 新たな技術が職を奪う(=技術的失業)という懸念は、歴史上何度も繰り返されてきたが、生産性、所得水準が上昇して新たな需要が生まれ、それを満たす企業、産業が生まれ、雇用全体が拡大してきた。
- 21世紀以降、経済学では、新たな技術は中スキルの定型的な業務(タスク)を縮小させるが、高スキル、低スキルを問わず非定型的な業務は影響を受けにくいという認識がコンセンサスになっている。
- 一方、AIはこれまでの技術とは異なり、人間の暗黙知の領域まで侵入してきているため懸念が拡大している面もある。
- 現時点では、AIよりも雇用代替が起こりやすいロボット(自動化)の利用度に着目した実証分析が中心となっているが、結果はまちまちであり必ずしも雇用を削減する結果にはなっていない。
- AIに特化した分析は、現時点ではわずかにとどまるものの、雇用や賃金への悪影響はみられない。
雇用への悪影響を裏付ける研究はない
経済学界では雇用への悪影響を裏付ける研究はみられない、と悲観論を退けている。
第3章~第7章ではAIの活用事例を紹介している。学校教育、企業戦略、農業・畜産業、公共政策などさまざまな現場で活用が広がっている様子や今後の可能性を描いている。「活用事例を丹念にみていけば、AIは何ができるかという相場観が自然とでき、極端な悲観論や楽観論を正すことにつながる」との意図を込めている。
終章は、「AIのための経済政策」がテーマだ。それまでの章では、AIは何ができるのかというライトサイド(光の面)に焦点を当ててきたが、ダークサイド(暗黒面)にも目を向ける必要があると議論を広げている。
AIのための経済政策では、AIの「普及」と「影響」の側面に注目すべきであり、普及の面では、個人のプライバシーと法的責任、影響の面では、巨大プラットフォーム企業による市場集中、国家による情報支配が課題になるとの見通しを示す。
最後にAIと人間との関係に触れている。AIは、予測はできるが、その理由を提示することは難しい。得られた結果の理由・論理を考え、それに基づき最終的な判断を行うのは人間の役割である。人間しかできないという意味でAI時代に求められるスキル・能力として、ソーシャル・スキル(社会的認知能力)、直観力・常識力、課題・目標設定力、創造性などを列挙している。
岩田一政、日本経済研究センター編著『 2075 次世代AIで甦る日本経済 』(日本経済新聞出版/2025年11月刊)は、同センターがほぼ5年おきに実施している日本経済の長期予測をベースにした書だ。
汎用AIによる生産性向上を試算
今回の長期経済予測では、出生率と移民を内生化するとともに、生成AIと次世代AIである汎用AI(AGI)による生産性上昇率の押し上げ効果を定量的に織り込み、新たなマクロ経済モデルを構築して国内総生産(GDP)と人口を一体的に予測した。
同書では、過去のトレンドのまま停滞を続ける道(停滞の未来)、AGIや諸改革によって成長力を取り戻す道(改革の未来)、過去のトレンドよりも政策対応が怠る道(悪夢の未来)の3つのシナリオを提示し、停滞の未来を標準シナリオと位置付けている。
第3章では、世界83カ国・地域を対象とする、2075年までの長期経済予測(標準シナリオ)を紹介している。人口動態や生成AIの普及と移民の流れが各国の経済成長に与える影響を定量的に分析した。
生成AIの社会実装が加速し、2020年代の世界経済の成長率は3%台となり、21世紀で最大の水準に達する。しかし、2040年以降は主要国で人口減少の影響が徐々に表面化し、2075年の成長率は約1.3%に減速する。
日本の成長率は2020年代に1%を超えるものの、2030年代以降に徐々に低下し、2075年には約0.3%となる。これは、生成AIの本格的な普及と、高水準の移民の流入(年間約24万人の純流入)を前提にした予測だ。仮に移民の受け入れ規模が縮小すれば、労働投入の減少が表面化し、2030年代後半にもマイナス成長となるとみている。
標準シナリオによれば、2075年の日本のGDPは世界11位、1人当たりGDPは45位に沈む。順位が下がるのは、全要素生産性(TFP)成長率の停滞が長期にわたって解消されないためだ。
第4章では改革シナリオを取り上げている。日本はAGI社会に移行し、制度改革によって出生率の低下トレンドは反転する。
改革シナリオの基盤をなすのがAGIの活用だ。同書では、AGI社会には、AIによる自動化をそのまま受け入れる「自動化社会」、AIが人の支援に徹する「補完型社会」の2つの選択肢があるとの見方を示したうえで、後者を志向している。
AGIの導入によって生産性が向上する。週休4日制が定着し、家族と過ごす時間を確保しやすくなり、子どもを持つハードルが下がる。人々は増えた余暇の一部を自己啓発や再教育に振り向け、平均教育年数の増加を通じて出生率がさらに支えられる。
制度改革が成長率を押し上げる
制度面の改革も進む。政府は行政手続きのデジタル化や公教育の質の向上などを推進し、政府の統治の質がスイス並みの世界トップクラスになる。
政府の教育関連支出を経済協力開発機構(OECD)の平均である4.9%程度(対GDP比)へと拡充する。家計の負担が減り、出生率が持ち直す。
日本特有の硬直的な雇用慣行の見直し、社会全体でのリスキリングの推進、ハイテク産業中心の産業構造への転換、銀行主導の間接金融からファンド主導の直接金融への移行などの改革も想定している。
一連の改革が進めば、2030年代から2050年代までの日本の平均成長率は2%台半ばとなる。2075年のGDP世界ランキングでは4位を維持する。1人当たりGDPは25位に上昇する。ハードルが高い改革シナリオをあえて示すことで、なかなか改革を進めようとしない日本政府や企業に奮起を促す狙いもありそうだ。
アジェイ・アグラワル、ジョシュア・ガンズ、アヴィ・ゴールドファーブ著『 AI経済の勝者 』(小坂恵理訳/早川書房/2024年10月刊)は企業経営の立場から、AIを普及させるための方法を探る本。著者の3人はいずれもカナダ・トロント大学ロットマン経営大学院教授である。
3人は『 予測マシンの世紀 AIが駆動する新たな経済』 』(小坂恵理訳/早川書房/2019年2月刊)でもタッグを組み、必要なことはすべて語り尽くしたと考えた。
しかし、前書で描いたのはストーリーの一部だったことに気づき、改めて全体像を描いたという。
組織や制度をまるごと変革する
今回の書では、イノベーションによる問題解決のアプローチを分類している。ピンポイントで既存の技術や労働者を新しい技術で置き換える「ポイントソリューション」、新しい技術を組み込んだ新しい機械を導入する「アプリケーションソリューション」、工場や組織、制度などのシステムをまるごと変革する「システムソリューション」の3つであり、前書ではポイントソリューションの部分しか語らなかったと自己分析している。
最も大きな価値を生むのはシステムソリューションだとみており、今回の書の目的はAIのシステムソリューションの開発を促すことだと明言している。
システムソリューションの前に立ちはだかるのはルールの存在だ。意思決定プロセスは予測と判断からなる。前書では、予測をAIに任せ、人間はもっぱら判断に専念するように提言していたが、それほどAIは普及しなかった。
ルールとは、あらかじめ下す決断であり、意思決定を行うときは、ルールに従うときと異なり、決断する時や場所で手に入る情報を考慮する余地がある。したがって、意思決定に基づいた行動はルールに従う行動よりも良い結果が得られるケースが多い。それでもルールに頼るのは、意思決定は認知コストが高いためだ。ルールと意思決定のトレードオフが極めて重要になると指摘している。
システム変更が引き起こすパワーシフト
また、システムの設計の見直しはパワーシフトを促す可能性があり、現時点でパワーを持っている関係者が抵抗する可能性がある。
「新しいシステムの構想」と題するパートでは、企業や業界をひとつの意思決定システムとして理解するために、どんなツールを利用できるかを解説する。具体例として住宅保険業界の取り組みを紹介している。システムソリューションは一部の業界でディスラプション(破壊)を引き起こす可能性があり、その結果として勝者と敗者が生まれると結論付けている。
(後編に続く)
写真/スタジオキャスパー
日本に必要なのは、人間と同等の知能を持つ汎用AIの活用。汎用AIの導入による改革は、他の攻めの改革とともに、日本の国際社会における立ち位置を守ることに大きく寄与する。日本を代表するシンクタンクがこれから50年の経済を大胆に予測。
岩田一政、日本経済研究センター編著/日本経済新聞出版/3080円(税込み)




