経済学の柱の一つであるマクロ経済学は、過去50年の間に大きく変貌した。経済学界の最前線で活躍するマクロ経済学者は今、どんな課題に取り組んでいるのか。「経済学の書棚」第16回前編は、景気変動を引き起こす原因は何かという古い問いに新しい答えを求める試みとして、最先端のマクロ経済学研究を概観し、著者自身の研究成果を日本語で紹介した貴重な一冊、東京大学・楡井誠教授の『マクロ経済動学』を取り上げる。

「経済学の書棚」第16回では、経済学界の最前線で活躍するマクロ経済学者は今、どんな課題に取り組んでいるのか。現在のマクロ経済学を概観できる本4冊を紹介する
「経済学の書棚」第16回では、経済学界の最前線で活躍するマクロ経済学者は今、どんな課題に取り組んでいるのか。現在のマクロ経済学を概観できる本4冊を紹介する
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ジャーナルに論文を掲載する「闘い」

 経済学の柱の一つであるマクロ経済学は、過去50年の間に大きく変貌した。経済学界の最前線で活躍するマクロ経済学者は今、どんな課題に取り組んでいるのか。現在のマクロ経済学を概観できる本を紹介しよう。

 経済学者たちが研究成果を発表する場は主にジャーナル(専門誌)と呼ばれる媒体である。有力な媒体のほとんどは米国で発行され、米国の大学に所属する研究者がレフェリー(査読者)として編集に携わっている。ジャーナルには序列があり、研究者たちは自分が執筆した論文を少しでも上位のジャーナルに掲載してもらおうと競争している。

 有力なジャーナルに論文が掲載されると学界で注目が集まり、その研究者への評価が高まる。大学での採用や処遇にも影響するだけに、研究者たちは必死だ。

 日本の大学に所属する研究者を見ると、米国を中心とする世界の経済学界で「闘っている」といえる研究者はそれほど多くはないが、着実に増えている。ただ、ジャーナルに掲載された英語の論文を一般の人が目にする機会は限られるだろう。

 東京大学教授の楡井誠著『 マクロ経済動学 景気循環の起源の解明 』(有斐閣/2023年11月刊)は、最先端のマクロ経済学研究を概観し、著者自身の研究成果を日本語で紹介した貴重な一冊である。

『マクロ経済動学 景気循環の起源の解明』(楡井誠著)。最先端のマクロ経済学研究を概観し、著者自身の研究成果を日本語で紹介した貴重な一冊
『マクロ経済動学 景気循環の起源の解明』(楡井誠著)。最先端のマクロ経済学研究を概観し、著者自身の研究成果を日本語で紹介した貴重な一冊
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 景気変動を引き起こす原因は何か。同書は、この古い問いに新しい答えを求める試みであると冒頭で説明している。第Ⅰ部で大学院レベルのマクロ経済理論の骨格を解説し、第Ⅱ部で著者の研究を紹介する構成。専門家の国際的な議論に照準を合わせているため、数理の展開を含めて全般に記述のレベルは高い。著者がジャーナルで発表した英語の論文を母体にした第Ⅱ部はとりわけ難度が高いが、著者の意図は明確だ。

家計や企業の合理性を前提とする理論

 第Ⅰ部では、最も単純な景気変動理論とされる「実物的景気循環」(RBC)モデル(第1章)、RBCモデルに名目物価を導入した「ニューケインジアン」(NK)モデル(第2章)を紹介している。

 同書によると、RBCモデルでは、個々の家計や企業の差異を捨象し、同一の(代表的な)家計や企業が無数に存在し、同じ行動原理に従うとみなす。家計は効用(満足度)を最大に、企業は利潤を最大にするように行動する。

 資源価格の高騰や、世界不況による貿易不振といったマクロの「生産性ショック」(外生的ショック)が起きても家計や企業は最適に反応し、実質賃金や金利の「均衡価格」が実現する。資源配分は「パレート効率的」と呼ばれる状態に落ち着く。

 NKモデルは1980年代以降に広がり、中央銀行による金利政策の基礎となるマクロ経済モデルとなった。RBCモデルから家計と企業による「合理的な将来期待形成」が現在の意思決定と均衡経路に大きく影響するという仮説を引き継いだ。NKモデルは、マクロの金融調節政策をモデルに取り込んだ点が特徴で、「フォワードルッキング」(先を見越すこと)を重視する金融政策の基礎になっている。

 第Ⅰ部第3章では、家計や企業の「異質性」を考慮する標準モデルを紹介している。1990年代以降、企業の規模や家計の資産・所得のばらつき(分布情報)をモデルに取り込む研究が活発になり、異なる家計や企業の意思決定を包摂する均衡分析が可能になったという。

 第Ⅱ部は著者のオリジナルな研究成果の紹介であり、同書の中核をなす。第Ⅰ部で紹介した標準的なマクロ経済理論を土台に、「内生的」景気変動理論を提唱している。

 標準モデルでは「外生的マクロショック」が景気変動の原因とされているが、現実にはそうしたショックがなくても起きるマクロ変動も多い。そこで、外生的マクロショックを前提とせず、企業や家計の相互作用によってミクロショックがマクロ変動に転化しうることを示している。

景気変動を引き起こす3つの震源

 著者がマクロ変動の震源として着目したのは企業の設備投資、企業による製品価格の設定(物価)、資産市場における投資家の取引(資産価格)の3つ。

 製品の価格支配力を持つ多数の独占的企業が競争する状況では、総生産は効率点よりも過小になっている。したがって、企業の設備投資によって有効需要が増えれば、雇用や所得が増えて内生的に需要が増える。ある企業の設備投資が他の企業の設備投資を促す関係となる。

 企業による製品価格の設定も景気変動の要因となる。製品の価格を決定するのは、他の企業と競合しながら一定の価格支配力を持つ企業である。企業は取引先や競合企業の値付けを横目に見ながら値付けする。平均的な製品価格と比べた自社製品の相対価格を一定に保とうとするなら、企業は物価水準の変化に対応して値付けをすることになる。すべての企業が平均価格に追随して値付けをするとき、平均的な物価水準の確率的な振動をもたらす。

 経済には無数の投資プロジェクトがあり、成否は不確実である。その選別の場が資産市場だ。資産市場は、投資家が相手の持つ情報を読み合おうとするゲームになる。ある資産の値が上がるのを観察した市場参加者は、その資産について自分が知らないよいニュースがあったのかもしれないと考え、買いに動く。こうして投資家が平均的な投資家の行動に追随しようとするとき、1人の買いは平均的に1人の追随買いを招き、資産需要の臨界的な振動を引き起こす。

 3つの領域が内生的なマクロ振動を引き起こすという仮説は、過去の景気変動にも当てはまる。1960年代までの日本の景気循環は同調的な設備投資の変動が基調をなしていたと考えられる。1970年代の主要な経済変動は物価であり、多くの国でインフレ率が高まる中で、企業は相次ぎ値上げに踏み切った。1980年代以降、従来型の景気変動は沈静化したように見える一方で資産市場を震源とする大きなマクロショックが起こるようになったと分析している。

 著者による内生的景気変動理論は、経済の基礎的条件に変化がない平時にもある程度のマクロ振動が常時起こるのが自然だという知見をもたらす。そうだとすれば、平時にも起こる一定のマクロ経済変動は受容し、「安定化のため」と称する平時の財政出動とは決別すべきだと強調している。政府は失業リスクを家計で広範にシェアする社会保障制度の充実を検討し、平時の変動を前提にした恒久的な安全網を備えるべきだと提案する。

 大量の失業が発生するような危機時のマクロ財政政策の正当性は保持するべきだが、真に議論すべきは長期停滞を直視する長期的変革だ。教育・訓練などの人的投資、科学技術・インフラ投資、人口動態とエネルギー変革を見据えた投資など、財政の果たすべき役割は大きいと唱えている。

(後編に続く)

写真/スタジオキャスパー