ビジネスの意思決定を分析の対象とするミクロ経済学の一分野である産業組織論が近年、大きく変貌している。「経済学の書棚」第40回後編は、産業組織論、競争政策および産業政策の歴史と現状、課題をバランスよく取り上げた『競争政策の経済学』、産業組織論を現実とのつながりを強く意識しながら体系的に解説した『企業の経済学 産業組織論入門』、基礎理論、戦略、政策の連携を重視した教科書『産業組織論』を紹介する。

産業組織論は、市場の構造を把握し、企業の戦略や政府の競争政策を取り扱う伝統ある研究分野であるが、その内容は近年大きく変貌している。「経済学の書棚」第40回では、産業組織論の最前線を学べる啓蒙書や入門書を取り上げる
産業組織論は、市場の構造を把握し、企業の戦略や政府の競争政策を取り扱う伝統ある研究分野であるが、その内容は近年大きく変貌している。「経済学の書棚」第40回では、産業組織論の最前線を学べる啓蒙書や入門書を取り上げる
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歴史と現状、課題をバランスよく盛り込む

 経済学にはさまざまな応用分野がある。産業組織論は、市場の構造を把握し、企業の戦略や政府の競争政策を取り扱う伝統ある研究分野であるが、その内容は近年、大きく変貌している。後編では、産業組織論の最前線を学べる啓蒙書や入門書を取り上げる。

 大橋弘著『 競争政策の経済学 人口減少・デジタル化・産業政策 』(日本経済新聞出版/2021年4月刊)は、産業組織論、競争政策および産業政策の歴史と現状、課題をバランスよく盛り込んだ一般向けの本だ。

『競争政策の経済学 人口減少・デジタル化・産業政策』(大橋弘著)。産業組織論、競争政策および産業政策の歴史と現状、課題をバランスよく盛り込んだ一般向けの本。画像クリックでAmazonページへ
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 大橋氏は前編で紹介した『 マネジメント・テキスト ビジネス・エコノミクス 第2版 』(日本経済新聞出版)の著者、伊藤元重氏のゼミナール(東京大学経済学部)出身の経済学者である。

 序章「転換点を迎える競争政策」に沿って競争政策の推移をたどってみよう。

 アジア初の競争政策が日本で施行されたのは、1947年夏。米国のシャーマン法にならい、日本は独占禁止法(独禁法)を導入し、その執行機関として公正取引委員会(公取委)を設置した。競争は経済学の中核となる概念であり、米国の競争当局は大企業の経済活動に常に不審の目を向けた。

 流れが変わったのは1970年代。規制緩和によって事前規制を廃止する流れが世界で生まれ、競争を活性化することで規制を不要にする「シカゴ学派」(新古典派経済学に依拠する学派)の世界観が大勢を占めるようになった。

企業の市場支配力が再び問題に

 ところが、新型コロナウイルスの感染が広がり始める前から、企業の市場支配力が拡大しているとの懸念が国際的に高まっていた。シカゴ学派の「自由市場が市場支配力を抑止する」という考え方は理論的な可能性にすぎず、妥当性に欠けるとの批判が生まれた。

 シャーマン法の成立当初の精神に立ち戻り、巨大企業の存在それ自体を民主主義への危機と捉えて排除すべきだとする「新ブランダイス学派」と呼ばれる考え方も登場している。

 以下では、第Ⅰ部「市場支配力と産業組織論」(第1~2章)に従って、産業組織論の推移を示す。

 競争政策が企業活動にどのような影響を与えるのかを知るには、まず企業行動に対する理解を深めることが必要だ。そうした理解を手助けする学問分野が産業組織論だ。

 産業組織論の発祥は米国であり、経済学で独立した学問分野になったのは1930年代頃といわれている。ハーバード学派などと呼ばれ、特定の産業をケーススタディとして分析するアプローチが中心だった。

 市場を分析する手法として、市場構造(Structure)、市場行動(Conduct)、市場成果(Performance)の3つの概念からなる「SCPパラダイム」と呼ばれる体系を作り上げた。市場構造は、市場の集中度、製品差別化の程度、参入障壁などが該当する。市場行動は企業の価格決定や合併など、市場成果は行動の結果がもたらす生産・資源配分の効率性や技術革新の程度などを指す。S → C → Pに因果関係があると見なす体系だが、実証分析による裏付けは十分にできなかった。

 その後、産業組織論は新たな分析手法へと大きく舵(かじ)を切る。「新しい産業組織論」(NEIO)と呼ばれるアプローチであり、ミクロ経済学やゲーム理論を活用するようになった。1980年代以降、理論に根差した「構造推定」を分析手法とするようになり、若手の優秀な研究者が多く参入する分野へと躍進した。

 ただ、NEIOの主な分析対象は個別のケースであり、研究の視点がミクロ事象に偏りがちだ。SCPパラダイムで得られたような産業比較や経済全体からみた産業動向といった、俯瞰(ふかん)的・マクロ的な視点からの産業分析が手薄になった。

 経済の寡占化が指摘されるなかで、SCPパラダイムに単純に戻るのではなく、新たなマクロ的な視点を取り入れることが不可欠だと総括している。

 第Ⅱ部「競争政策が注目する産業分野」(第3~5章、補論)では、公共工事、携帯電話市場、電力市場と再生エネルギーを俎上(そじょう)に載せ、それぞれの市場の特徴と課題、望ましい競争政策について論じている。

 第Ⅲ部「人口減少時代における競争政策」(第6~7章)では、人口減少が競争政策に与える影響を掘り下げる。企業の合併について日本では、合併を政策的に推進すべきだと考える「産業再編仮説」と、合併は望ましくないとみる「市場競争仮説」が対立してきた。

 これからの競争政策は、企業の利益か消費者の利益かという二項対立にとらわれず、生産者余剰への影響も勘案した「社会余剰基準」への転換を検討すべきだと訴えている。

 産業政策の変遷にも触れている。日本の産業政策は、戦後の高度成長期には政府主導といわれ、その後は規制緩和や民営化など、民間主導の市場経済化を重視してきた。

ポストコロナ時代の競争・産業政策とは

 戦後の産業政策が企業の成長を促し、その後の競争政策が消費者利益の増進を目指してきたとすれば、ポストコロナ時代の産業政策とは、競争政策の視点を持ちながら、消費者余剰と生産者余剰とのバランスを取る姿になるのだろうと予測する。

 第Ⅳ部「デジタル市場における競争政策」(第8~9章、終章)では、デジタル・プラットフォーム企業が台頭するなかで競争政策が直面する問題を網羅している。

 独禁法による厳格な事後的制裁で対峙する米国型モデル。威嚇ではなく対話を通じて良好な取引慣行による透明性・公正性を自主的に実効性がある形で促す共同規制の日本型モデル。事前規制と事後規制である独禁法を組み合わせようとする欧州型モデル。(これら3つのうち)いずれがグローバル標準となるのか、目が離せない状況がしばらく続くとの見通しを表明している。

 ルイシュ・カブラル著『 企業の経済学 産業組織論入門 』(青木玲子、大橋弘監訳/池田大起ほか訳/日本評論社/2023年6月刊)は産業組織論を体系的に学べる教科書だ。

『企業の経済学 産業組織論入門』(ルイシュ・カブラル著)。産業組織論を体系的に学べる教科書。画像クリックでAmazonページへ
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 カブラル氏はニューヨーク大学教授で、母国ポルトガルの競争当局の首席経済コンサルタントを務めた経験がある。

 同氏と親交がある大橋弘氏の「監訳者あとがき」によると、学生の関心をもう一段、高みに引き上げるような教科書が求められていた時期に、タイムリーに出版されたのが英語版の原書だ。学会誌から実証的なエビデンスの紹介を多く取り入れ、現実とのつながりを強く意識しながら競争政策の話題も広範に取り上げている。邦訳が出れば読者層を広げられると思っていたところ、その作業に貢献でき、嬉しく思っていると記している。

 同書によると、産業組織論の関心は、市場と産業の仕組み、とりわけ企業が相互に競い合う方法に向けられる。半面、市場がどのように機能するかという研究はミクロ経済学の範疇(はんちゅう)となる。

 産業組織論を独立した科目として扱う主たる理由は、それが価格競争、製品ポジショニング、広告、研究開発など市場との相互作用を明示する企業の戦略の研究を強調する点にある。

 これに加えて、ミクロ経済学がしばしば独占や完全競争といった極端な状態を想定するのに対し、産業組織論は主として両者の中間にある寡占状態、つまり少数の事業者が競争を行う環境を想定する。この学問領域をより適切に定義づけるとするなら「不完全競争下の経済学」とでもすべきところだが、産業組織論という用語が定着しているので、同書もそれに倣うと断っている。

産業組織論が答えるべき4つの問い

 本題に入る前にカブラル氏は、産業組織論の目的は(a)企業に市場支配力はあるのか、(b)企業はどのように市場支配力を獲得し維持するのか、(c)市場支配力にはどのような意味があるのか、(d)市場支配力に対する公共政策の役割とは何か、の4つの問いに答えることだと整理している。

 第1部は「ミクロ経済学の基礎」(第2~6章)、第2部は「寡占」(第7~9章)、第3部は「参入と市場構造」(第10~12章)、第4部は「非価格戦略」(第13~16章)がテーマだ。

 水平合併(第11章)、市場閉鎖(第12章)、垂直的取引関係(第13章)、製品差別化(第14章)、イノベーション(第15章)、ネットワーク(第16章)の各章では、企業が市場支配力を創出、維持するために展開する多数の戦略を分析する。

 小田切宏之著『 産業組織論 理論・戦略・政策を学ぶ 』(有斐閣/2019年11月刊)は、大学経済学部2~4年生を主な読者として想定した教科書だ。社会人にも分かりやすいように、最初の数章は基礎知識の復習を兼ねる形で記述している。

『産業組織論 理論・戦略・政策を学ぶ』(小田切宏之著)。大学経済学部2~4年生を主な読者として想定した教科書。画像クリックでAmazonページへ
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基礎理論、戦略、政策のバランスに配慮

 副題にあるように基礎理論、戦略、政策の3部構成とし、3つの部門間のバランスを重視した。小田切氏は一橋大学教授、公正取引委員会委員などを務めた。大学におけるキャリアが中心ではあるものの、産・学・官のいずれでも勤務し、公取委で競争政策の現場を経験した経歴を生かしている。

 第Ⅰ部「基礎理論編」(第1~4章)では、完全競争、独占、寡占といった市場における価格や生産量の決定について解説する。

 第Ⅱ部「戦略編」(第5~9章)では、価格戦略、製品差別化と参入の戦略、広告戦略、競争優位の戦略、技術戦略の順に深掘りする。

 第Ⅲ部「政策編」では、まず第10章で、市場構造の決定要因や市場の集中度について学び、第11~13章では、競争政策の中心であるカルテル規制、企業結合規制(合併規制)、垂直的取引制限の規制を取り上げ、経済学における根拠を示す。第14章ではプラットフォーム企業が競争政策に突き付けている問題に焦点を当てる。

 独占価格はあらゆるばあいに獲得しうる最高の価格である。これに反して、自然価格または自由競争価格は、あらゆるばあいというわけではないにしても、かなりの長期間にわたって取得しうる最低の価格である。

 小田切氏は同書の冒頭で、アダム・スミスの『諸国民の富』の中にある文章を引用し、独占が害をもたらすという産業組織論の基本精神は、スミス以来の経済学の歴史の中で脈々と続いてきたものであることが理解できるだろうと綴(つづ)っている。

 政策への応用としての競争政策を考えても、日本の独占禁止法にあたる反トラスト法が米国で制定されたのは1890年だ。

 その後、産業組織論、競争政策論は理論、実証、政策すべての面で大きな進化を遂げた。ただ、情報通信革命とそれに伴う経済のグローバル化が大きな変革を生み、新たな問題も生まれてきた。こうした諸問題を正しく理解し、また正しい政策的対応をするために産業組織論の基本的な理解が今ほど必要なときはないと強調している。

 プラットフォーム企業に代表される大企業の影響力がますます強まるなかで、大橋氏が主張するように生産者と消費者の双方の厚生を高める方向に政策を誘導できるかどうか。経済学の真価が問われている。

写真/スタジオキャスパー

第64回日経・経済図書文化賞受賞

日本における競争政策のあるべき姿を経済学の立場から論じる。基本的な考え方から、デジタル財、企業合併など最新のトピックスまで網羅し、日本における経済学の位置づけについても批判的に振り返る。

大橋弘著/日本経済新聞出版/2750円(税込み)