貿易戦争の理解には国際貿易の知識が不可欠だ。「経済学の書棚」第41回後編は、自由貿易と保護貿易、国際貿易の基本ルール、貿易政策などを平易に解説した『60分でわかる! トランプ関税と自由貿易』、中国からの輸入が日本の雇用や賃金に及ぼす影響を探る『輸入ショックの経済学』、自由貿易が反発や支持を生み出すメカニズムを、人々の自由貿易に対する態度に注目して解明した『なぜ自由貿易は支持されるのか』を紹介する。
自由貿易のメリット・デメリット
前編では、トランプ米大統領が仕掛けた貿易戦争の背景をマクロの視点で掘り下げ、貿易戦争に翻弄されがちな世界各国に羅針盤を提示する書を紹介した。後編では、国際貿易の現状や課題を理解するのに役立つ3冊を副読本として取り上げる。貿易の仕組み(関税制度や貿易協定の基本、貿易収支のデータなどを解説)、輸入が国内の雇用・賃金に与える影響(影響の度合いを実証分析)、自由貿易に対する国民の意識形成(サーベイ実験を実施し、国民の意識を変化させる要因を解明)がそれぞれのテーマだ。
『 60分でわかる! トランプ関税と自由貿易 』(バウンド著/小田正規監修/技術評論社/2025年10月刊)はトランプ関税に加え、自由貿易と保護貿易、国際貿易の基本ルール、各国の貿易政策などのポイントを平易に解説した本だ。
「なぜアメリカは“貿易赤字”が増え続けているのだろうか」「自由貿易のメリット・デメリット」「関税が企業の行動をどう変えるのだろうか?」「意義が問われているWTO(世界貿易機関)の紛争解決手続き」「日本はFTA(自由貿易協定)/EPA(経済連携協定)で何を得て、何を失っているか?」「経済安全保障と日本企業が直面する調達リスク」といった項目(全部で66)を掲げ、各項目を見開き2ページ(左のページに解説、右のページに図表やポイントを掲載)に収めている。
トランプ関税を批判する論者は多いが、従価税・従量税・混合税からなる関税の仕組みや世界経済の現状を踏まえずに糾弾している論考も一部に見受けられる。同書は、地に足の着いた議論をするための基礎知識を提供している。
全体のトーンとしてはトランプ関税に批判的だが、自由貿易と保護貿易を対置し、双方のメリット・デメリットを挙げている。
「とにかく『赤字』が嫌いな実業家ドナルド・トランプ」の項では、トランプ氏の不動産やホテル、カジノなどを手がける実業家としての経歴に触れ、企業経営と同じ「赤字=悪」という単純な図式を国家の経済にも当てはめたとの解釈を示す。貿易赤字を米国が外国に搾取されている証拠とみなしているフシがあるが、米国は40年以上ほぼ一貫して貿易赤字を抱えながらも、日本よりはるかに力強い経済成長を続けてきた事実は、家計や企業の赤字と、国の貿易赤字とでは意味が全く異なることを示していると説明している。
米貿易赤字の3つの要因
米国の貿易赤字の理由を問う項では、「安くて良いモノを買いたい」国民(=国民の購買力の高さ)、「低コストで生産したい」企業(=産業構造の変化)、「ドルの地位を維持したい政府」(=ドル基軸通貨の地位)といった米国自身の望みが構造的な貿易赤字を生み出していると解説する。さらに、この関税措置は物価上昇による庶民の生活費負担や輸出産業の競争力低下などの懸念が高く、国内外の専門家から強い批判を受けていると付け加えている。
自由貿易と保護貿易のメリットとデメリットをそれぞれ示した後、すでに競争力のある産業を持つ先進国では、比較優位を活かして自由に輸出を伸ばせた方が企業の利益が拡大し、経済全体の効率も高まる一方、産業がまだ十分に育っていない開発途上国では、自由貿易の波にのまれてしまう危険性があると先進国と途上国を対比して論じる。
ただ、先進国でも産業分野によっては保護する場合もあり、自国の経済状況や社会の事情に応じて、自由貿易と保護貿易のバランスをとって選び取るという戦略的な判断が重要だと説いている。
貿易摩擦が話題になると、よく耳にするのは「海外からの輸入品の増加で国内産業が打撃を受け、雇用が失われた」というストーリーだ。慶応義塾大学教授の遠藤正寛著『 輸入ショックの経済学 インクルーシブな貿易に向けて 』(慶応義塾大学出版会/2023年10月刊)は、中国からの輸入にターゲットを定め、日本の雇用や賃金への影響を探った実証分析である。
同書の目的は2つ。第1は中国やアジアからの輸入が日本の雇用と賃金に及ぼした影響の全体像を実証分析によって理解すること。第2は輸入の負の影響を軽減し、より多くの人が輸入増加から利益を得るには、どのような政策が有効かを議論することだ。
分析期間は1990年代中頃から2010年代中頃までの約20年間で、分析対象は製造業の雇用と賃金だ。以下に主な分析結果を列挙する。
- 1996年からの20年間で、中国からの輸入は急増し、特に電気機械器具で増加が顕著だった。
- 20年間の従業者数の減少率が最大の産業は繊維・衣類、従業者の減少数が最多なのは電気機械器具。
- 労働者の平均年収には、産業、地域、企業規模、労働者の属性など様々な要因が影響した。
- 中国からの輸入増加は、直接輸入(産業や地域が生産する製品と直接、競合する財の輸入)と下流産業からの間接輸入(産業や地域が生産する製品を中間財として生産に用いる財の輸入)で、日本の製造業の雇用を減らした。
- 他方、上流産業からの間接輸入(産業や地域が生産する製品の原料となる財の輸入)は、中小規模事業所の雇用を増やした。
- 直接輸入と下流産業からの間接輸入は、企業の規模を問わず、従業者の年間給与を引き下げた。
- 輸入によって従業者の3分の2は年間給与が低下し、給与格差は16年間で最大6.8%拡大した。ただし、中国からの輸入は給与格差を拡大する一因にはなるが、給与格差の変化は他のより大きな諸要因によって規定されている。
輸入ショックを軽減する政策とは
こうした分析を踏まえ、著者は「インクルーシブ(包摂的)な貿易」を提唱する。輸入ショックによる労働者への負の影響を軽減し、多くの国民が利益を得られるような貿易を指し、実現するための政策を提言している。提言の一部を以下に示す。
- 雇用喪失と賃金低下に対しては、すべての労働者が対象になる就労支援が効率的。
- 企業への助成金は非効率な政策であり、それ以上に輸入制限措置は非効率で、共に是認できない。
- 輸入による賃金低下に対して、他の影響も考えた徴税スキームの微調整は可能。
- 輸入急増への緊急措置や不公正貿易への対抗措置として特殊関税措置を用いることは認める。
- 日本企業の外国取引を支える貿易インフラの整備は、実施する価値がある。
- 雇用調整の円滑化に、リカレント、事業譲渡、起業支援、民間職業紹介事業者への支援なども有効。
- 労働市場が地域で分断されている現状では、影響を強く受ける地域への地域雇用政策も効果的。他地域への労働者の移動を支援する政策も支持する。
自由貿易を支持する姿勢を基本としながらも、自由貿易の負の側面にも目を向け、対策を検討する研究は今後さらに活発になりそうだ。
早稲田大学教授の久米郁男編『 なぜ自由貿易は支持されるのか 貿易政治の国際比較 』(有斐閣/2023年8月刊)は6人の研究者による共著。自由貿易が国内の政治過程で反発や支持を生み出すメカニズムを、人々の自由貿易に対する態度の形成に注目して解明した書だ。
米国の中間層が抱いている不満がトランプ米大統領誕生の原動力になったとの見方は根強いが、そうした国民感情や意識そのものに焦点を当てる研究といえる。
経済学の従来の研究では、自由貿易の影響で職や賃金を失った「生産者」としての個人に注目してきた。所得分配が減った「敗者」は自由貿易に反対し、保護主義を志向する。
したがって、自由貿易への支持(または不支持)は、雇用や賃金に与えるネガティブな影響と、それを緩和する国内政策の程度によって規定されるとみる「埋め込まれた自由主義」仮説が有力だった。
久米氏は、こうした仮説が想定するメカニズムは単純にすぎると批判する。自由貿易に対する人々の態度は、貿易がもたらす「生産者としての利益」のみによって決まるわけではない。消費者としての利益、個々人の利益ではない自由貿易がもたらす社会的な利益の認識、環境汚染・人権侵害などの問題に対する選好の影響を強く受けることを示す研究が近年、大きな成果を上げつつあるという。
「生産者としての損失」VS「消費者としての利益」
同書では、モニターとなる集団に自由貿易に関するいくつかの質問を投げかけ、その回答から結論を導き出す「サーベイ実験」の手法を活用している。
「市場を開放して自由な貿易を行うと海外の様々な商品が安く手に入る」という意見に対して、賛成ですか、反対ですか。(賛成から反対までの5段階尺度)
「市場を開放して自由な貿易を行うと、国内の産業や雇用にマイナスの影響が出る」という意見に対して、賛成ですか、反対ですか。(賛成から反対までの5段階尺度)
こうした質問を組み合わせながら、モニターの意識を探っていく。
日本で実施したサーベイ実験によると、生産者の視点による自由貿易に対するネガティブな刺激の影響は、消費者の視点を意識させる刺激によって除去された。消費者の視点は政府による補償システム以上に自由貿易に対する支持を高め、その効果は自由貿易の敗者と位置付けられる人たちの間でも保たれる。
安全保障に関する認識が自由貿易協定への態度に与える影響も検証している。その結果、軍事的、経済的な対外脅威の認識は自らへの悪影響を理由として自由貿易協定に反対するポケットブック的(個人経済的)な反対を緩和し、社会全体への影響を理由とするソシオトロピック(社会性向的)な支持を強化するとの知見を得た。
軍事的な脅威の認識は環太平洋経済連携協定(TPP)が消費者に利益をもたらすと考える人たちの支持をさらに強化する一方、経済的な脅威の認識は、TPPが自らの所得や雇用に悪影響を及ぼすと考える人たちの反対を緩和させたと結論付けている。
同書には、ドイツとイタリア、米国とメキシコ、エストニアとラトビアを対象とするサーベイ実験の結果も収録しているほか、人々の意識と政治制度、通商政策との関係を分析した章も設けている。
グローバリゼーションや自動化の波に乗れず、取り残された人々の不満や態度が貿易戦争の底流に流れているのは確かだが、そうした不満を緩和するために政治にできることは何か、と考えさせる一冊である。
貿易戦争の火付け役となったトランプ米大統領は2026年2月、今度はイランへの軍事攻撃に踏み切り、世界経済は混迷の極みにある。こんな時だからこそ、自由貿易のメリットとデメリット、国際機関の役割や国際協力の意義を冷静に見極め、荒波を乗り越える糧としたい。
写真/スタジオキャスパー



