経済学の巨人ミルトン・フリードマンを理解するためには多角的な視点が必要だ。「経済学の書棚」第42回後編は、ライバルのポール・サミュエルソンとの比較からフリードマン像を浮かび上がらせる『サミュエルソンかフリードマンか』、フリードマンを代表格とする新自由主義の経済学者たちを厳しく糾弾する『新自由主義の暴走』、歴史の検証を通じて「自由市場」の本質に迫り、経済学者は自由市場の力を過信したとする『<自由市場>の世界史』を紹介。
親しい間柄だったサミュエルソンとフリードマン
前編では、ミルトン・フリードマンの生涯を追う著作を紹介した。魅力ある人物と捉えるかどうかは読者の判断に委ねたい。後編では、フリードマンの言動を少し引いた位置から観察し、評価する著作を取り上げる。カメラの位置が遠くなればなるほど彼に対する見方は厳しくなる。前後編で紹介する著作を読み比べると、自身はどの立場に近いのかを確認できるだろう。
ニコラス・ワプショット氏は『 サミュエルソンかフリードマンか 経済の自由をめぐる相克 』(藤井清美訳/早川書房/2023年8月刊)で、ライバル関係にあったポール・サミュエルソン(1915~2009)とフリードマンの人生を交錯させながら、2人の考え方の違いをくっきりと浮かび上がらせている。
著者は英国出身のジャーナリスト、作家であり、伝記を得意としている。本書は『ケインズかハイエクか 資本主義を動かした世紀の対決』(久保恵美子訳/新潮社/2012年11月刊)の続編の位置づけである。
不況時には政府の積極的な市場への介入が必要と説いたジョン・メイナード・ケインズと、政府の介入は不要だと力説したフリードリヒ・フォン・ハイエクの対立は、介入主義のサミュエルソンと不介入を唱えるフリードマンに引き継がれたと著者は見ており、2つの物語は地続きになっている。
サミュエルソンとフリードマンが対決する場となったのは、米誌「ニューズウィーク」のオピニオン・コラムだ。経営者の交代後、新機軸を打ち出したい同誌は、曲折を経て2人に執筆を依頼した。2人がそれぞれ隔週で交互に執筆するようになったコラムは同誌の売り物となり、1966年にスタートしてから18年間、続いた。
2人は共にシカゴ大学で学び、互いをよく知る間柄である。連載を引き受けるよう妻のローズから背中を押されていたフリードマンは、友人のサミュエルソンに電話した。長い会話ののち、サミュエルソンは承諾するよう強く勧めたという。
著者の分析によると、2人の寛大さと礼節がなかったら、長く続いてはいなかった。思想的には対立していたが、個人的には友人だった。物の見方は大きく異なり、それを反映して考え方や書き方も大きく異なっていた。
サミュエルソンの文学的なスタイルは、成功している自信に満ちたリーダーの文章であり、挑戦に対する彼の対応は、ときおり軽く上から目線だったとしても、おおむね寛容だった。対するフリードマンはちょっとした喧嘩屋であり、その意図は政治的で、現在進行形の出来事を条理と啓蒙によって変えることを目指していた。サミュエルソンは長期的な幅広い見方をする傾向があり、目の前のあらゆる論争に気軽に関わることは好まなかった。
著者は、2人の連載を随所で引用しながら、20世紀後半から2021年に至るまでの政治・経済情勢を描き出す。以下では、フリードマンに焦点を当てた記述の中から、いくつかのテーマを選んで概略を示す。
経済学界の脇役から主役へ
●経済学界の動向
2人がコラムを書き始めたときには、サミュエルソンとケインズ主義は日の出の勢いだった。70年代まで、経済学者のコミュニティはフリードマンの考えに敵意を持って威圧的に対応していた。しかし、水面下では経済学という学問は変わりつつあった。経済思想の構造プレートが動いていたのである。やがてフリードマンは波に乗り、反ケインズ主義勢力のリーダーとして広く認められた。
2008年に世界金融危機(リーマン・ショック)が広がると、世界各国はケインズ主義的政策に戻ることで第2の大恐慌を辛うじて回避した。2020年の新型コロナウイルス危機は、政府の縮小と市場への干渉の排除を唱えていたフリードマンの思いに痛烈な打撃を与えた。
●生涯の目標と資質
ケインズの誤りを証明することを自分の最優先課題とし、この仕事をやり遂げるのに十分な資質を備えていた。=鋭い知性、広い視野、目の前の仕事に傾注し続ける意志の強さ、経済学の権威たちから投げつけられる侮辱に耐えられる図太さ、PR効果を生む要領のよさ。
政府の取り組みをほぼ全否定
●政府の役割
農産物の価格設定、関税、家賃規制、最低賃金、産業規制、社会保障、公営住宅、徴兵制度、国立公園、郵政公社、公道、専門職の免許制の廃止を望んだ。政治家の介入から解放された経済の方が、民間と政府が混在している現在の混合経済より、結局はみんなを豊かで満たされた状態にできるという見通しを明らかにした。
●政策提言
過酷な所得税を廃止したいという彼の訴えはほとんど実現した。連邦所得税率は、1950年から1980年まで70%を切ったことがなかったが、2021年には40.8%に低下していた。徴兵制の廃止でも彼は勝利を主張できた。
公教育を政治家の支配から切り離す試みは、ビル・クリントンからマーガレット・サッチャーまで、政治的に対立している両方の側に取り上げられた結果、概して納税者のお金で設立・運営されるチャーター・スクールという形で部分的に成功した。
他方、医師は引き続き、厳しい免許制の下で働くことができる。廃止を望んだエネルギー省は今も活動を続けている。ヘロインやコカインのようなハード・ドラッグを合法的に販売できるようにするべきだという、歴代の共和党大統領や議員に対するアドバイスは無視された。
「生涯を通じてアウトサイダーだったフリードマンは、死後もなおアウトサイダーなのだ」と総括している。
●マネタリズム
米連邦準備制度理事会(FRB)議長のポール・ヴォルカーは1979年10月、金利からマネーにターゲットを完全に移行すると発表した。その後、米国経済は深刻な景気後退に陥り、失業率は10%を超えた。1982年10月、ヴォルカーは公式にマネタリズムを打ち切った。
1979年、英首相に就任したマーガレット・サッチャーはマネタリズムを導入した。失業率が急上昇し、工業生産は減少した。1981年の夏には英国のマネタリズムは事実上、死んでいた。
著者は一方的にフリードマンを非難してはいないものの、全体としてはサミュエルソンに軍配を上げる記述が目立っている。
ビンヤミン・アッペルバウム著『 新自由主義の暴走 格差社会をつくった経済学者たち 』(藤井清美訳/早川書房/2020年12月刊)は、タイトルの通り、フリードマンを代表格とする新自由主義の経済学者たちを厳しく糾弾する書だ。
著者は米国出身のジャーナリスト。文献調査と現地取材を基に、20世紀後半から21世紀初頭に至るまでの政治・経済情勢を経済学者たちの動きに照準を合わせながら検証している。
民営化や規制緩和を主導した経済学者たち
同書の原題は『The Economists’ Hour』(経済学者たちの時間)。著者はリチャード・ニクソン米大統領が就任した1969年から世界金融危機(リーマン・ショック)が広がった2008年までの期間をこう命名した。新自由主義の旗を掲げるフリードマンらの経済学者たちが米国の政策に大きな影響を与えた時代を意味している。
この期間に何が起きたのか。経済学者は課税と政府支出の抑制、主要経済部門の規制緩和、グローバル化への環境づくりに重要な役割を果たした。ニクソン米大統領に徴兵制を廃止させ、連邦裁判所に反トラスト法の執行をほとんど放棄させた。さらに、規制に時間と労力をかける価値があるかどうかを判定するために、政府に人間の命に値段をつけさせることさえしたと列挙する。
そして、経済学者たちが影響力を行使し、自由化や規制緩和が加速した帰結がリーマン・ショックであり、この間に所得の不平等が拡大したと著者は見ている。以下は、著者が描くフリードマン像の一部である。
- 20世紀屈指の影響力を持つイデオローグとして記憶されてしかるべきだ。米国はもちろん世界中の暮らしを変えた保守反革命の強力な預言者だった。偉大な経済学者は自分の考えを積極的に広めようとする傾向があり、この技能で彼にかなう者はほとんどいなかった。彼の刺激的な考えは単純かつ普遍的だった。
- 重要な学術的な研究のほとんどをキャリアの前半に生み出した。後半には当代の最も独創的な社会政治思想家として浮上した。
- キャリアの最初から最後まで、小さな政府という大義を唱える知識人を見つけたがっていた富裕なパトロンたちの支援を受けた。全米経済研究所(NBER)は特に重要な支援者だった。
- 1975年3月、アウグスト・ピノチェト将軍(大統領)が率いるチリに1週間滞在した。講演や会談などで政府支出を大幅に減らす「ショック療法」を提言した。チリの経済改革のゴッドファーザーと広く評されたが、この呼び名を罪の烙印とみなす者もいた。
「人間の性質を誤解」とフリードマンを批判
2008年に「経済学者たちの時間」は終了したものの、リーマン・ショックを伝統的なケインズ政策で乗り切った先進各国はその後、再び小さな政府路線に戻ったと著者は指摘し、新自由主義のしぶとさを警戒している。
著者は「むすび」で「市場の幅広い利用は、社会が包含するどんな活動に関しても一致を不要にすることで社会という織物にかかる負担を軽減する」というフリードマンの見解に触れ、「これは人間の性質を誤解した見方である」と指弾し、人間関係は織物よりも筋肉に似ており、使うことで強化されると強調する。
「市場は人間が選んだ目的のために人間によって築かれたものであり、人間の手で改革したり築き直したりできるという認識」を同書から受け取ってほしいと呼びかけている。
「自由市場」の歴史を紐解く著作でも、フリードマンは批判の対象だ。ジェイコブ・ソール氏は『 <自由市場>の世界史──キケロからフリードマンまで 』(北村京子訳/作品社/2024年12月刊)で、歴史の検証を通じて「自由市場」の本質に迫ろうとしている。
自由市場の原点を探る
著者は歴史、哲学、会計学が専門の米国出身の学者である。グローバリゼーションの副作用が広がり、自由市場や貿易に対する信頼が揺らぐ中で、自由市場の原点を掘り起こしつつ、再生の道を探っている。
著者によると、今の時代において最もよく知られている自由市場の定義はフリードマンの説だ。市場が国家による一切の介入なしに、個人、企業、株主の願望と選択によって動かされ、民間の需要と供給に応じて機能することを理想とする。市場を完全に自由にすることで、効率的な財の生産と流通、富の創造、イノベーションが実現する。
しかし、過去30年間でわかってきたのは、自由市場は確かで信頼できるものというよりも、むしろ謎であるということ。政治の要人たちが正統的な自由市場の教義を批判するようになった。米国が保護貿易主義を擁護し、中国が国際的なオープンマーケットを擁護するという状況に至ったのはなぜか。この疑問に答えるには、自由市場思想の長い歴史を学ぶ必要があると説く。
古代ローマ共和国の思想家、マルクス・トゥッリウス・キケロの哲学から物語は始まり、中世から近現代へと舞台は移る。登場人物は、聖アウグスティヌス、聖フランチェスコ、ニッコロ・マキャヴェッリ、フーゴー・グロティウス、ジャン=バティスト・コルベール、ジョン・ロック、フランソワ・ケネー、デイヴィッド・ヒューム、アダム・スミス、デイヴィッド・リカード、ジョン・スチュアート・ミル、アルフレッド・マーシャルら多士済々だ。彼らの思想や哲学をたどりながら、自由市場の捉え方がどのように変化してきたのかを解明する。
同書によると、自由市場の偉大な先駆者たちはいつでも、交換のシステムは、それを維持し、その中で機能する現実の、欠陥のある、堕落した人間と切り離して考えることはできないと知っていた。
よき政府、自然との調和が市場の基盤と説く
その代表はキケロである。彼の経済観は、友情と知識の探求が調和と平和をもたらし、財産を守り、政治的奉仕、愛情、親切、自由に基づいた公正な社会を生み出すというものであった。善き道徳が健全な市場を動かし、それによって倫理的な人々が自信を持って交換を行うことができるようになる。この取引プロセスを永続させるうえでは、礼儀とストア派的自制の理念が中心的な役割を担った。よき政府、自然と調和して生きる方法を理解することが、うまく機能する市場の基盤であり、市民の平和と法の支配があってこそ、人は誠実で生産的な交換ができる。
こうした道徳を重視する考え方は、のちのキリスト教徒や18世紀の啓蒙思想の哲学者たちの目に魅力的に映ったとの仮説を示している。
自由市場の力を過信した経済学者
変化が訪れたのは19世紀だ。英国は世界経済の覇者となり、自由市場の思想家たちは、産業が秘める可能性と一般均衡理論とを受け入れた。市場が自由であれば、絶えることなく革新、富、国家間の平和をもたらすに違いないと考えた。
20世紀になり、市場の自己調整能力への信頼をますます深めた一部の経済学者たちは、自由市場とは政府の役割が最低限にしか存在しない状態のことであると定義しようと試みた。
「しかし残念ながら、われわれは今、それが真実ではないことを知っている」と著者は言う。自由市場思想を再生させ、真に今日的なものとするためには、これを民主主義志向の哲学としてだけでなく、国家は市場に組み込まれており、市場もまた国家に組み込まれているものとして、改めて設計し直す必要があると訴えている。
自由市場に対する信頼の低下と呼応するかのように、世界各地でポピュリズム政治が台頭している。フリードマンとサミュエルソンが生きていれば、現在の世界情勢をどのように診断し、経済政策を巡ってどんな議論を戦わせるだろうか。
写真/スタジオキャスパー



