世界の経済学者たちは移民問題に関心を寄せ、研究成果を残してきた。「経済学の書棚」第20回前編は、適切な移民政策を議論できる土台作りを狙った『移民の経済学』、移民問題の真の危機は経済的な機会をつかめないことだとみる『絶望を希望に変える経済学』、「移民をロボットのような労働者の集団と見る視野の狭いレンズ」を通して観察していると経済学者を批判する『移民の政治経済学』を紹介する。

世界の経済学者たちは移民問題に関心を寄せ、研究成果を残してきた。「経済学の書棚」第20回は、移民問題を巡る論点を整理できる著書を紹介する
世界の経済学者たちは移民問題に関心を寄せ、研究成果を残してきた。「経済学の書棚」第20回は、移民問題を巡る論点を整理できる著書を紹介する
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移民問題に研究成果を残してきた経済学者

 移民問題は世界共通の難問だ。移民受け入れに賛成、反対、条件付き受け入れに賛成など様々な意見があり、受け入れの是非を巡る議論が収束する気配はない。

 そんななか、日本では、技能実習に代わる新たな外国人材の受け入れ制度「育成就労」が2027年までにスタートする。6月に新制度の創設を柱とする改正出入国管理法などが成立した。1993年から続く現在の技能実習は事実上の低賃金労働だとの批判が強く、新制度に衣替えする。

 岸田文雄首相は移民政策を「一定規模の外国人や家族を期限なく受け入れる政策」と定義し、「いわゆる移民政策を取る考えはない。外国人労働者受け入れ拡大などの政策とは別物だ」と強調しているが、これから外国人労働者がさらに増えるのは確実だ。日本も移民問題を避けて通れない。

 世界の経済学者たちは移民問題に関心を寄せ、研究成果を残してきた。移民問題を巡る論点を整理できる著書を紹介する。

 ベンジャミン・パウエル編『 移民の経済学 』(藪下史郎監訳/佐藤綾野、鈴木久美、中田勇人訳/東洋経済新報社/2016年10月刊)は11人の研究者による共著だ。

『移民の経済学』(ベンジャミン・パウエル編)。11人の研究者が経済学など社会科学の研究結果を紹介し、適切な移民政策を本格的に議論できる土台を作るのが狙いの本
『移民の経済学』(ベンジャミン・パウエル編)。11人の研究者が経済学など社会科学の研究結果を紹介し、適切な移民政策を本格的に議論できる土台を作るのが狙いの本
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 議会、メディア、公共政策専門のシンクタンク、一般市民の間で移民政策を議論するとき、移民問題に関する学術調査・研究をほとんど無視している。経済学など社会科学の研究結果を紹介し、適切な移民政策を本格的に議論できる土台を作るのが同書の狙いだ。

移民受け入れのマイナス効果は小さい

 移民の経済効果、受け入れ国の財政に与える影響、「同化政策」の意義などのテーマ別に、複数の学術論文から導き出せる共通見解を示している。その一部を列挙する。

  • 移民はアメリカ人労働者の賃金を引き下げる方向に働くが、その影響は小さい。
  • アメリカ人労働者の雇用は移民によってほとんど影響を受けていない。
  • 本国に残った住民に対する移民の影響はかなりの程度厚生水準を向上させる。
  • 貧しい国から裕福な国への移民が環境にどのような影響を与えるかについて理解を深めるためには、実証研究をさらに増やす必要がある。現時点ではマイナスの影響を予測する大きな根拠どころか、小さな理論的な根拠しかなく、そうした効果を示す実証結果も少ない。
  • 移民の政府予算への影響は非常に小さいか、ほぼゼロに等しい。
  • アメリカの制度は国民の民族構成の大きな変化にも対応する能力をもち、国民のアイデンティティから民族性を切り離すことに貢献してきた。

 こうして見ると、経済学者による学術研究の大半は、移民受け入れにはマイナスの影響がほとんどないと立証する内容だ。

 編者のパウエル氏は第9章(最終章)で、「純粋な経済的効果という点では、社会科学者の見解の相違は小さい」と総括している。ただ、望ましい移民政策について経済学者の意見はばらばらだ。

 その要因として(1)非経済的な影響に関する実証分析があまり行われておらず、それらに関しての不一致、(2)現実の実証分析の結果を新たな政策の枠組みに取り込む方法についての不一致、(3)社会にとってどのような社会厚生関数が適切かについての意見の不一致を挙げている。

 こう指摘した後、パウエル氏は移民の増加に批判的な3人の学者(ジョージ・ボージャス、ポール・コリアー、ヴィクター・デイビス・ハンソン)、合法的な移民の増加を支持する3人の学者(ゴードン・ハンソン、ラント・プリチット、マイケル・クレメンス)の見解を要約して紹介し、移民反対派と位置付けているボージャス氏らに厳しい目を向けている。

 最後にパウエル氏は、移民受け入れに賛成する立場を明確にし、「国際的な移民は数量制限のない世界に向かって進むべきであり、またそれも急ぐべきである」と訴えている。

 2019年にノーベル経済学賞を受賞したアビジット・V・バナジーとエステル・デュフロ著『 絶望を希望に変える経済学 社会の重大問題をどう解決するか 』(村井章子訳/日経ビジネス人文庫/2024年4月刊)は研究の最前線で何が起きているかを伝える書。自由貿易、経済成長、気候変動、不平等などの大きなテーマを取り上げ、学術研究を参照しながら自説を展開している。各論の最初のテーマは移民だ。ここでは、パウエル氏とほぼ同じ見解を示している。

『絶望を希望に変える経済学』(アビジット・V・バナジー、エステル・デュフロ著)。ノーベル経済学賞を受賞した2人が、移民の問題など社会の重大問題の解決に向けて、経済学に何ができるかを論じた本
『絶望を希望に変える経済学』(アビジット・V・バナジー、エステル・デュフロ著)。ノーベル経済学賞を受賞した2人が、移民の問題など社会の重大問題の解決に向けて、経済学に何ができるかを論じた本
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 貧しい国からの移民が増えると豊かな国の賃金水準を押し下げ、そこの住人の生活を苦しくすると考える人は多い。経済学の標準的な需要と供給の法則を念頭に置いた認識だが、労働市場には特有の性質があり、この法則はほとんど当てはまらないと指摘する。

 移民が受け入れ国の住民の賃金や雇用に与えるマイナスの影響は極めて小さいと多くの研究が示している。労働供給は増えるが、労働需要も同時に増えるからだ。

 労働需要が増えるのはなぜか。(1)移民は移り住んだ国で消費を増やし、新たな雇用を創出する、(2)受け入れ国での機械化の進行を遅らせる、(3)雇用主は流入した労働者を効率的に活用するように生産方式を再編成する、の3つを挙げている。

移動を阻む障害を取り除け

 多くの人が国から逃げ出そうとするのは、ふつうの暮らしが破壊されてしまったからである。その一方、国を出られるのにとどまる人も大勢いる。大方の人がすべてを捨てて富裕国へ行くチャンスをうかがっているという見方は、到底まじめには受け取れないという。

 バナジー氏らは、移民問題の真の危機は移民の多さではなく、人々が生まれ育った国の中でも外へも移動できず、あるいは移動したがらないケースが多く、せっかくの経済的な機会をつかめないことの方だとみる。国内・国外を問わない移動の奨励が政策的に望ましく、現在移動を阻んでいる障害を取り除くことが必要だと強調している。

 移民反対派として糾弾されがちなジョージ・ボージャス氏は『 移民の政治経済学 』(岩本正明訳/白水社/2017年12月刊)で、「移民をロボットのような労働者の集団と見る視野の狭いレンズ」を通して世界を観察していると経済学者たちを批判する。

『移民の政治経済学』(ジョージ・ボージャス著)。ハーバード大学教授が、キューバ移民が労働市場に与えるインパクトから財政への影響まで、移民を巡る通説を根底から覆した本
『移民の政治経済学』(ジョージ・ボージャス著)。ハーバード大学教授が、キューバ移民が労働市場に与えるインパクトから財政への影響まで、移民を巡る通説を根底から覆した本
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 移民受け入れは「我々全員にとっていいことだ」という経済学界の通説は影響力が強く、経済学者たちは通説に沿うような結論を得ようとする。それぞれの研究は具体的にどのようにして移民の影響に関してある結論を導き出したのか、細部まで注意深く調べる必要があると説く。研究結果は、前提条件の選択や統計的な操作に本質的に左右されるためだ。特定のイデオロギーを帯びた通説を後押ししたいという誘惑が存在するとき、そうした前提条件の選択やデータ操作に然(しか)るべき疑いを持たなければならないと注意を喚起している。

 移民受け入れ国が「移民を増やせ」という専門家のアドバイスを無視し、移民の流入を阻止する政策を実施しているのは、移民制限を撤廃してもほとんど利益は出ないが、大きな損失が出る可能性があると知っているからだと畳みかける。

移民がもたらす富は経営者に移動

 ボージャス氏は30年にわたって移民問題を研究してきた。その手法は経済学の標準的な手法から逸脱しないものだという。研究を通じて得た結論を箇条書きでまとめている。その一部を抜粋する。

  • それぞれの国で移住を希望する人々のタイプは異なり、移民グループ間の大きな経済格差の背景となっている。
  • 移民がいかに早く経済的に同化できるかは、それぞれの国の環境に大きく左右される。
  • 移民は受け入れ国の国民の雇用機会に影響を与える。
  • 移民が労働人口に加わると、富は移民と競合する労働者から移民を使う側の経営者に移転する。移民は「移民余剰」を生み、受け入れ国の国民全体の富は純増するが余剰は小さい。
  • 移民余剰となる利益は移民による社会保障サービスの利用に伴う損失で相殺される可能性がある。
  • 移民が受け入れ国の社会的、政治的、経済的な側面に負の影響をもたらす場合、移民余剰は容易に相殺される。

 ボージャス氏は経済学の手法を使って実証分析を続けてきた。経済への影響だけに絞っても、パウエル氏らの主張との違いは大きい。

 ボージャス氏は、どのような移民政策を遂行するのかは、事実ではなくイデオロギーと価値観に左右されるとはっきり認めるべきだと主張し、「あなたは誰の肩を持つのか?」と問いかける。

 同氏は移民反対論者ではない。国境をしっかり管理したうえで、高技能移民を受け入れて経済的な利益につなげるとともに、「世界貢献」のために低技能移民も受け入れる政策を続けることが前提だとも述べている。

(後編に続く)

写真/スタジオキャスパー

ノーベル経済学賞受賞者による受賞第一作、待望の文庫化

社会全体を覆う「危機」において、経済学と社会政策は重要な役回りを演じている。どうしたら「まともで良い経済学」の最新の知見を、もっと一般の人々に活用してもらえるようになるのだろうか。よりよい世界にするために、経済学にできることを真正面から問いかける、希望の書。

アビジット・V・バナジー、エステル・デュフロ著/村井章子訳/日本経済新聞出版/1540円(税込み)