経済学界の外側から「ホモ・エコノミクス」に厳しい視線を注ぐ論者は多い。「経済学の書棚」第8回後編は、経済的な豊かさがあらゆる問題を解決するという考えが人々の間で共有されるようになった経緯を明らかにする『ホモ・エコノミクス』と、ジェンダーの視点から経済学の歩みを読み解き、経済人の概念を厳しく批判する『アダム・スミスの夕食を作ったのは誰か?』、哲学の視点から経済学の方法論を問い直す『経済学の哲学入門』を紹介する。

前編 「「経済人」はどこへ向かう? マクロとミクロ、経済学の融合」

「経済学の書棚」第8回後編は、経済学界の外側からホモ・エコノミクスに厳しい視線を注ぐ書籍を紹介
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科学化を推し進めた経済学

 経済学界の外側からホモ・エコノミクスに厳しい視線を注ぐ論者は多い。明治大学の重田園江教授は『 ホモ・エコノミクス 「利己的人間」の思想史 』(ちくま新書/2022年3月刊)で、ホモ・エコノミクスが受け入れられ、経済的な豊かさがあらゆる問題を解決するという考えが人々の間で共有されるようになった経緯を思想史の視点から明らかにする。

『ホモ・エコノミクス 「利己的人間」の思想史』(重田園江著)。「自己利益の追求」が当たり前の価値として受け入れられるに至ったからくりを、思想史の視座から解き明かした
『ホモ・エコノミクス 「利己的人間」の思想史』(重田園江著)。「自己利益の追求」が当たり前の価値として受け入れられるに至ったからくりを、思想史の視座から解き明かした
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 同書によると、18世紀の思想家、デイヴィッド・ヒュームやアダム・スミスは、国王の権力に守られた一部の特権層が利益を独占する、閉じられた商業や産業のあり方を糾弾し、誰もが経済活動に参入できる開かれた市場と経済的な自立に裏打ちされた市民による社会を構想した。彼らは既存の秩序への挑戦者だったのだ。

 19世紀になると様相が変わる。技術と生産様式の急激な変化により、ヨーロッパ諸都市には多くの労働貧民があふれるようになった。労働者や貧民が支持する社会主義、ブルジョア層が擁護する自由主義の2つの陣営ができた。市場擁護派は既存秩序への挑戦者としてのポジションが成り立たなくなってしまう。そこで、「科学的」で「中立的」な立ち位置を目指し、社会の仕組みを自然と同様なものとして解き明かそうとした。経済学は心理学と並んで自然科学をモデルとする科学化を最も精力的に推し進めた分野であり、その際の前提がホモ・エコノミクスだったと指摘する。

 ホモ・エコノミクスとは、経済的な無駄を省き、できるだけ儲(もう)かるように合理的な計算に基づいて意思決定する主体だ。同書では、19世紀の経済学者、ウィリアム・スタンレー・ジェヴォンズとレオン・ワルラスが物理数学を経済学と関係づけた手法を描き出す。

物理数学の経済学への導入に困惑

 力学における「てこの原理」によれば、てこが釣り合う点は、左右に無限小の力がかかっても動かない状態であり、エネルギーの極大化点として解析学的に理解され、古典力学と解析力学が橋渡しされる。これは市場における二者の交換がこれ以上なされない均衡点(効用を最大にする点)と同じであり、数学的な表現も同じになる。重田氏は「物理学の方程式を使うことでそこに比喩以上の物理現象との照応関係が充てがわれることに困惑させられる」と述べている。

 富の追求はそう簡単に人間的価値として受容されたわけではなく、ホモ・エコノミクスなど、「ある意味でオワコンの極みだ」と重田氏は断じる。現実にはホモ・エコノミクスは300年近くも姿を変えてうろついている。「ささやかで大した中身もなさそうな人間像が、その見かけに反して強い規範性を持って人々を縛りつけ、徘徊(はいかい)しつづけてきた」。経済学の自己抑制と社会的価値観の転換が同時に起こらなければ、「人類が生存する地球」という未来は存在しなくなってしまうだろうと訴えている。

 ジャーナリストのカトリーン・マルサル氏は『 アダム・スミスの夕食を作ったのは誰か? これからの経済と女性の話 』(高橋璃子訳/河出書房新社/2021年11月刊)で、ジェンダーの視点から経済学の歩みを読み解く。アダム・スミスやジョン・メイナード・ケインズらの思考をたどりながら、経済人の概念を厳しく批判する。

『アダム・スミスの夕食を作ったのは誰か? これからの経済と女性の話』(カトリーン・マルサル著)。アダム・スミスやジョン・メイナード・ケインズらの思考をたどりながら、経済人の概念を厳しく批判した一冊
『アダム・スミスの夕食を作ったのは誰か? これからの経済と女性の話』(カトリーン・マルサル著)。アダム・スミスやジョン・メイナード・ケインズらの思考をたどりながら、経済人の概念を厳しく批判した一冊
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 生涯独身だったアダム・スミスは人生のほとんどの期間、母親と一緒に暮らした。母親は死ぬまで息子の世話をしつづけた。肉屋やパン屋や酒屋が仕事をするためには、その妻や母親や姉妹が来る日も来る日も子どもの面倒を見たり、家を掃除したり、食事をつくったり、服を洗濯したり、涙を拭いたり、隣人と口論したりしなければならなかった。経済学が語る市場というものは、つねにもうひとつの、あまり語られない経済の上に成り立ってきた。見えざる手の届かないところに、見えない性がある。

 ケインズにとって経済成長は手段であり、ゴールは野に咲くユリだった。とにかく今は経済人に働いてもらうが、役目が済んだらおさらばだ。経済を順調に成長させていけば、少なくとも欧州や米国では2030年頃までに経済の問題はすべて解決されるとケインズは考えていたが、その願いはむなしく破れた。私たちの社会はいつにもまして経済の虜(とりこ)であり、経済人はますます力を強め、世界を乗っ取った。

経済理論は「安心できる物語」なのか

 経済人は選好(好み)を持ち、最小限のコストで最大限の利益を得ようとする。ただひとつの性、ただひとつの選択、ただひとつの世界。経済理論は心地よい物語、安心できる物語であり、私たちの隠れ家だ。経済人が私たちの心をとらえて離さないのは、怖いものを全部忘れさせてくれるからだ。肉体、感情、依存、不安、傷つきやすさは存在しない。私たちの体は人的資本となり、依存関係は消え、世界は完璧に予測可能になる。経済人は不安から逃避させてくれるから、私たちは経済人が好きなのだ。

 経済学者が本当にやるべきなのは、人の経験全体を視野に入れた社会をつくるための方法やツールを提供することではないだろうか。経済人に別れを告げて、もっと多様な人間のあり方を受け入れられる社会と経済をつくっていくことだと結んでいる。

 経済学者たちの姿勢に疑問を感じながらも、経済学の再生は可能だと唱える哲学者もいる。ダニエル・ハウスマン著『 経済学の哲学入門 選好、価値、選択、および厚生 』(橋本努監訳/ニキ リンコ訳/勁草書房/2022年5月刊)は哲学の視点から経済学の方法論を問い直す書だ。

『経済学の哲学入門 選好、価値、選択、および厚生』(ダニエル・ハウスマン著)。哲学の視点から経済学の方法論を問い直す書
『経済学の哲学入門 選好、価値、選択、および厚生』(ダニエル・ハウスマン著)。哲学の視点から経済学の方法論を問い直す書
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 ハウスマン氏は経済人の行動原理である「選好」に着目する。経済学者たちは選好について5つの問題含みの主張をしがちだという。恣意性(選好は嗜好の問題であり、批判も論評もできない)、自己利益(選好の序列づけは自己利益からみた選択肢の序列づけと一致する)、顕示選好(選好は選択という観点から定義できる)、理論的な研究作業の分業(選好がどのように形成され、修正されるかについて何も言うことはない)、選好充足としての厚生(厚生とは選好の充足)である。

経済学者は改めて「選好」に目を向けよ

 ハウスマン氏は5つの主張には弁護できるものは一つもないと強調し、5つの主張に代わる選好の概念として「総合的な比較評価」を提示する。関連のある検討事項をもれなく考慮した序列づけであり、選択に影響を及ぼすすべての要因は、選好への影響を介して影響を及ぼすと考えるのだ。

 経済学者たちが主張すべきは、情動や想像力や社会的規範といった要因は制約や信念や選好を介して影響を及ぼすということだけだ。そのうえで、経済学者たちは多種多様な要因がいかに選好に影響するかを調べなければならない。そうすれば、選択肢の序列づけと期待された便益の順序づけを混同しないように繰り返し警告を発したアマルティア・セン氏の批判を乗り越えられるとハウスマン氏は主張する。

 ただ、選好に影響を及ぼす要因は多彩なうえ、相互にも影響を及ぼしあうため、選好形成の統一理論の見通しは厳しいとも記している。

 経済学および経済社会の中心に鎮座する経済人に安心感を求め続けるのか、それともマルサル氏の言うように「さよなら」を告げるべきなのか。現代人は大きな「選択」を迫られている。

写真/スタジオキャスパー