日本型雇用をどこからどのように変えるべきなのか。小手先の雇用改革に走りがちな現在の日本に必要な視点とは? 「経済学の書棚」第9回後編は、既存の労働経済学は企業の現場の問題解決には必ずしも結び付かないと考え、実践的な学問の体系を生み出した「人事の経済学」の創始者による『人事と組織の経済学 実践編』と、経済組織に関わる様々な問題を経済分析の枠組みの中で体系的に論じた大著『組織の経済学』を紹介する。

「経済学の書棚」第9回後編は、日本の雇用改革に必要な論点を明らかにする2冊
「経済学の書棚」第9回後編は、日本の雇用改革に必要な論点を明らかにする2冊
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 前編 「『ジョブ型雇用』の誤解を解き、意義を問い直す2冊」 で紹介した『 日本の会社のための人事の経済学 』の中で、著書の鶴光太郎氏はエドワード・P・ラジアー、マイケル・ギブス著『 人事と組織の経済学 実践編 』(樋口美雄監訳/成松恭多、杉本卓哉、藤波由剛訳/日本経済新聞出版/2017年4月刊)に言及している。

『人事と組織の経済学 実践編』(エドワード・P・ラジアー、マイケル・ギブス著)。採用の基準から報酬などインセンティブの与え方、福利厚生まで、会社と従業員がWIN-WINになる合理的な人事戦略を経済学的に解説
『人事と組織の経済学 実践編』(エドワード・P・ラジアー、マイケル・ギブス著)。採用の基準から報酬などインセンティブの与え方、福利厚生まで、会社と従業員がWIN-WINになる合理的な人事戦略を経済学的に解説
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 鶴氏によると、ラジアー氏は米スタンフォード大学教授を長く務めた「人事の経済学」の創始者。既存の労働経済学は企業の現場の問題解決には必ずしも結び付かないと考え、実践的な学問の体系を生み出した。同書では、採用・離職、従業員への投資、企業組織と従業員の職務の設計、評価・昇進を含む報酬制度など企業と社員の関係を雇う側の立場からトータルに捉えて解説している。

職務設計で労働者のモチベーション向上

 同書の議論の前提はジョブ型雇用である。「職務設計」を取り上げた第7章では、職務設計には、(1)労働者の任務を実行する効率性を向上させる(2)職務について労働者に知識を持たせ、それを活用させる(3)労働者のモチベーションを向上させる、の3つの目的があると説明している。3つの目的は矛盾するときもあり、その場合にはトレードオフが生じる。特に仕事の専門化による利点と他の目的はトレードオフの関係になりやすいが、多くの場合、3つの目的は矛盾せず、その実現を目指す職務設計は可能だと説く。

 ポイントは職務の拡充と労働者への権限移譲だ。複数の任務を与え、分散化を進めるよう提案している。その際に、どの任務がまとめられるべきで、どの決定に対し労働者に裁量を与えるべきかという課題が生じる。

 分散化によって上位経営陣は多かれ少なかれ組織に対する統制を失う。会社における分散化は、継続的な改善や、戦略の戦術への落とし込みと実行の際に最も効果を発揮することが多いと強調している。

 雇用関係をテーマとする第15章には、従業員と企業との間の経済的関係は、しばしば複数期間にわたって継続し、多くの側面を持っているとの記述がある。その複雑さと複数期間にわたるという特性、予見不可能性により、雇用関係の全ての側面について規定した正式な契約を結ぶのはほぼ常に不可能だ。その関係の大部分は「暗黙の契約」によって規定される。企業と従業員が暗黙のルールについて共通の理解をしている場合に限り有効に機能する。信頼や評判は経済的に価値のある無形資産である。人事の経済学における暗黙の契約の重要性について読者により強く意識してもらうのが、同書の主な目的だと総括している。

 同書は日本型雇用を意識した著作ではないが、「決められた職務を淡々とこなし、最低限・必要以上のことはやらない」社員を生みがちなジョブ型雇用の欠点を補うための具体策として提唱している内容は、日本型雇用システムに通じる要素が多い。日本型と欧米型の雇用システムは互いの強みを取り入れながら接近しているのだろうか。

 ポール・ミルグロム、ジョン・ロバーツ著『 組織の経済学 』(奥野正寛、伊藤秀史、今井晴雄、西村理、八木甫訳/NTT出版/1997年11月刊)は経済組織に関わる様々な問題を経済分析の枠組みの中で体系的に論じた大著だ。ミルグロム氏は2020年に「オークション(競売)理論の発展への貢献」でノーベル経済学賞を受賞した。

『組織の経済学』(ポール・ミルグロム、ジョン・ロバーツ著)。2020年にノーベル経済学賞を受賞したミルグロム氏による、企業組織とその制度をシステムとして独創的にアプローチした、米国MBA、比較制度分析、企業理論の決定版テキスト
『組織の経済学』(ポール・ミルグロム、ジョン・ロバーツ著)。2020年にノーベル経済学賞を受賞したミルグロム氏による、企業組織とその制度をシステムとして独創的にアプローチした、米国MBA、比較制度分析、企業理論の決定版テキスト
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 全編を通じて経済学の観点を採用し、現象の背後にある原理を導き出そうとしている。経済学の観点とは、人々は自己の利益に導かれて行動し、互いの利益になる場合にのみ合意するとの見方である。経済理論の応用例を豊富に含む点も同書の特徴で、本文中に100余りの事例が織り込まれている。個別企業だけではなく、市場経済への移行が思うように進まなかった旧共産主義国や、経済成長を遂げた日本の組織・制度をシステムとして捉え、事例研究の対象とした。

様々な慣行からなる雇用システム

 同書を貫くテーマは「コーディネーション(調整)問題」だ。組織を効率よく運営するためには、組織のメンバーが整合的に、全員に共通した利益の増進を目的として働くようにコーディネーションを図り、動機付ける必要がある。

 経済組織を構成する様々な要素の間には、しばしば重要な相互依存関係が存在する。一群の要素の間にはしばしば「補完性」が存在するため、ある要素を採用すると他の特定の要素の有効性や収益性が高まり、ある要素を除去すると他の特定の要素を採用したり維持したりする価値を低減させる。システム全体を分析し、他のシステムに比べて1つのシステム全体が有利になるのはどんな要素がある場合かを検討するべきだと指摘する。

 同書が「成功事例」として取り上げているのは、1990年代初頭まで日本の大企業の間で慣行になっていた人的資源の管理方法だ。終身雇用、年功賃金と年功昇進、新卒採用、低い企業間流動性、コンセンサスを前提とする意思決定などの慣行は補完的であり、これらの慣行が集まれば、それぞれの慣行がもたらす成果を足しあわせたよりもはるかに大きな成果が生まれる。日本の人的資源の管理政策は全体で一貫性をなしており、基本的な要素は相互に、そして企業の戦略と構造の他の側面とサポートし合っている。他国が日本の人的管理のいくつかの側面だけを他の一連の慣行に付け加える形でばらばらに真似をしても、成果を生み出せないと主張している。

日本型雇用のどこを変えるべきか

 欧米から「成功事例」として注目を集めていた日本の雇用システム。同書は90年代以降の日本企業を取り巻く環境の激変にも触れている。

 日本企業の資本コストは急増し、土地と株式のブームが終息した。人口の高齢化が進み、労働市場にも変化が訪れている。経営者のために従業員が献身するシステムに若者が異議を唱え、共働き夫婦の増加で人的資源政策の改善を迫られている。教育制度は生徒に事実を教えることには成功しているものの、創造性を阻害していると批判されている。

 日本型システムの様々なほころびを記述し、「かつてのやり方はもはや、お互いに支え合うという意味での整合性を失っている。整合性をもう一度確立するためには、広範な改革が必要だろう」と唱えている。

 様々な要素が集まって成り立っている日本型雇用システムの一部に無造作に手を加えるとむしろマイナスの効果を生む可能性がある。システム全体を見据えた改革の設計図を描き、実行できるかどうか。同書は、小手先の雇用改革に走りがちな現在の日本に対する警告の書にもなっている。

写真/スタジオキャスパー

希少な人材をいかに採用し、有効に活かすか?

人事経済学の泰斗がシカゴ大学ビジネススクールの名物教授と組み、企業の人事に関する諸項目について、ケースを多用しながらより実践的・具体的に解説した決定版。社員の採用から教育、解雇、昇進システム、人事考課、報酬まで、合理的な手法とは何かを示唆する。

エドワード・P・ラジアー、マイケル・ギブス著/樋口美雄監訳/成松恭多、杉本卓哉、藤波由剛訳/日本経済新聞出版/5280円(税込み)