イノベーション(革新)は経済成長の源泉とされているが、そもそも何を指し、どうすれば起きるのか。イノベーションが起きないと悩む前に、イノベーションについてじっくり考え、その本質を理解することが必要だ。「経済学の書棚」第10回前編は、「イノベーションには統一理論はない」と喝破する『イノベーション 世界を変える発想を創りだす』と、イノベーションそのものの性質に焦点を当てた教科書『イノベーション』を紹介する。

「経済学の書棚」連載第10回は、イノベーションの本質を理解するための5冊
「経済学の書棚」連載第10回は、イノベーションの本質を理解するための5冊
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イノベーションを起こすには

 イノベーション(革新)は経済成長の源泉であり、世界中の企業はイノベーションを起こそうとして競争している。日本企業にはイノベーションを起こす人材が足りないといった声もよく耳にする。イノベーションとはそもそも何を指し、どうすればイノベーションは起きるのか。イノベーションについてじっくり考えるための座標軸となる本を紹介する。

 英国のビジネス・スクールでイノベーションを担当するマーク・ドジソンとデビッド・ガン著『 イノベーション 世界を変える発想を創りだす 』(島添順子訳/白水社/2023年6月刊)はイノベーションに関する諸学問の知見をまとめた「イノベーション総論」といった趣の本だ。

『イノベーション 世界を変える発想を創りだす』(マーク・ドジソン、デビッド・ガン著)。イノベーションに関する諸学問の知見をまとめた1冊
『イノベーション 世界を変える発想を創りだす』(マーク・ドジソン、デビッド・ガン著)。イノベーションに関する諸学問の知見をまとめた1冊
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 同書ではイノベーションを最も簡単に「応用に成功したアイディア」、組織と関連付けた形では「組織的な成果やプロセスへ成功裡に応用されたアイディア」と定義し、なぜイノベーションに大きな影響力があるのかを説明している。イノベーションがどのようにして起こり、何によって、誰によって促進され、どのように追求され組織化され、その結果は何であるのかを描く。

 イノベーションを創出し、提供するメカニズムに注目するのは、組織の存続にとってイノベーションが不可欠なためだ。変化し続ける市場や技術に対応するためにはイノベーションが求められる。

イノベーションの統一理論は存在しない

 同書によると、単一の統合されたイノベーション理論は存在しない。経済学、政治学、社会学、地理学、組織学、心理学、ビジネス戦略などが部分的な説明をしているだけだ。

 基礎研究がイノベーションの礎だとする「科学プッシュ」モデル、市場における需要が重要だと見る「需要プル」モデル、製品開発と製造工程の間で前後しながらイノベーションが起きると考える「カップリング」モデル、革新的な企業間の協力による「協力」モデル、顧客や共同開発者といったパートナーを組み込んだ「戦略的統合とネットワーキング」モデルといったモデルがある。

組織を活用したエジソン

 発明家は「孤高の天才」というイメージを持つ人も多いだろうが、実態は異なる。18世紀の起業家で陶器産業を発展させたジョサイア・ウェッジウッド、19~20世紀の米国で発明王と呼ばれたトーマス・エジソン、20世紀の米国の化学者でケブラーという名称の繊維を発明したステファニー・クオレクらのエピソードを挿入しながら、イノベーターたちがいかにうまく組織を活用したのかを明らかにしている。

 イノベーションの負の側面も論じている。イノベーションによって大量虐殺兵器がもたらされ、環境に甚大なダメージを与えた。インターネットはテロリズムや児童の搾取、ネットいじめの手段にもなっている。AI(人工知能)やIT(情報技術)の発達は雇用に破壊的な影響をもたらす可能性があり、社会全体で対策に取り組むよう求めている。

 イノベーションの恩恵を最大限に享受しつつ、どのように負の側面を減らしていけばよいのか。「新技術の設計者が優先すべきは人間にとって意味のある仕事を増やす方法であって、これを置き換えることではないのだ」と警鐘を鳴らしている。

 早稲田大学教授の清水洋著『 イノベーション 』(有斐閣/2022年10月刊)はイノベーションの性質に焦点を当てた教科書だ。経営学を基礎に置く従来の教科書はイノベーションのマネジメントに重点を置いている場合が多い。一企業がイノベーションを完全にマネジメントし、コントロールできるわけではない。企業がマネジメントしうる範囲を超えるものではあるけれども、イノベーションに影響を与える要因はたくさんあると指摘する。

『イノベーション』(清水洋著)。イノベーションの性質に焦点を当てた教科書
『イノベーション』(清水洋著)。イノベーションの性質に焦点を当てた教科書
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イノベーションのメカニズムと論理に着目

 清水氏はイノベーションの「メカニズムや論理」に着目し、首尾一貫した形でイノベーションを巡る様々な問題を体系的にまとめている。

 同書によるイノベーションの定義は、経済的な価値を生み出す新しいモノゴト。経済的な価値を生み出していなければ、いくら新しくてもイノベーションとは言えない。昔ながらのやり方を忠実に守り、経済的な価値を生み出す伝統産業もある。その企業がイノベーティブだったからというより、参入障壁が高く、新規参入の脅威が少ないために利益率が高くなっているという。

 第Ⅰ部「イノベーションの基本」では、「イノベーションとは何か?」、「イノベーションはどう測るのか?」、「イノベーションのパターン」と題する各章でイノベーションの基礎を解説する。

 「イノベーションを生み出す環境」(第Ⅱ部)、「新しさを生み出す企業」(第Ⅲ部)、「企業の戦略」(第Ⅳ部)、「イノベーションの政策と社会」(第Ⅴ部)では、国、産業界、企業、個人の各レベルでイノベーションを起こすための方法を示し、幅広い視野で論点を掘り下げている。

 第Ⅱ部の記述によると、人類の歴史の中で、イノベーションが持続的に生まれるようになったのは250年くらい前から。インセンティブ(誘因)、コスト、知識のプールの3要素がそろったためである。

 自分の損得ではなく、信念や使命感、突然のひらめきなどで新しいモノゴトを生み出そうとする人はいるが、それに頼っていたらイノベーションは散発的になる。インセンティブの基盤となるのは私有財産制度や特許制度だ。イノベーションを起こせば自分の経済的な利益になるからこそ、多くの人はイノベーションに励む。

 イノベーションを起こすのに必要な経営資源を調達するコストが高すぎると新しいチャレンジが起きなくなる。労働市場、技術の市場、金融制度がイノベーションを後押しするように機能しているかどうかが重要だ。

 知識が体系的に積み重ねられると、新しい知識が次のさらに新しい知識を生み出す重要なインプットになる。

雇用への悪影響を懸念

 最終章の「イノベーションと社会」では、イノベーションが雇用に与える影響を詳述している。イノベーションの恩恵は長い時間をかけて、社会全体へ浸透していく。その一方、イノベーションの「破壊」の側面は短期間に特定の人に現れるという。新しいイノベーションが社会に浸透していく過程で経済的な格差が一時的に大きくなる。

 イノベーションによってスキルの二極化が進むためだ。中程度のスキルの職業に就く人は減少し、低スキルの職業に就く人の数は増えていくが、低スキルの人たちの賃金は上昇しない。

 イノベーションを促進し、創造的な側面の恩恵を広く社会に浸透させるためには、再分配について検討する必要があると主張する。

 富裕層と貧困層を比べると後者の数が圧倒的に多くなり、民主主義では大票田となる。そこに訴求するような政治家が現れ、保護主義的な政策を掲げる。やがて全体主義へとつながり、戦争を経て格差が小さくなった。オーストリア出身の経済学者、カール・ポランニーは第2次世界大戦を引き起こした人類の歴史をこう総括した。清水氏はポランニーの歴史観に賛同しつつ、同じ過ちを繰り返さないためにも格差の問題に対応するよう求めている。

 格差拡大を抑制しながらイノベーションを持続させるためには、(1)イノベーションに代替されたタスクに従事していた人々を他のタスクに移りやすくする(2)技術との関係が補完的なタスクに従事する人を増やしていく、の2点が重要だと説く。

(後編へ続く)

写真/スタジオキャスパー