資源に乏しい日本では人材が成長の源。教育の重要性が一段と増している。教育を経済学で捉えることによってどのような課題が見えてくるのだろうか。「経済学の書棚」第33回前編では、教育をテーマとする学術論文の内容を平易に解説し、子育ての参考になりそうな知見を紹介する『科学的根拠で子育て』、教育経済学の知見に基づき、教育を分析するための枠組みとエビデンスを概説する『教育投資の経済学』を取り上げる。
信頼性が高い学術論文を厳選
少子化に歯止めがかからず、労働市場で若年層の争奪戦が起きている日本では、教育の重要性が一段と増している。日本の将来を担う若年層にはどんな教育が必要なのか。前編では、経済学の視点から、有効な教育方法や教育政策を提示する「教育経済学」の入門書を紹介する。自分が受けた教育や子育ての経験をもとに教育論を語る人は少なくない。そうした経験談にも一定の意味はあるが、データの裏付けを伴わない教育論に振り回されるのは不毛だと経済学者たちは説く。
慶応義塾大学教授の中室牧子著『 科学的根拠(エビデンス)で子育て 教育経済学の最前線 』(ダイヤモンド社/2024年12月刊)は、教育をテーマとする学術論文の内容を平易に解説し、子育ての参考になりそうな知見をちりばめた入門書だ。
学術論文といっても玉石混交ではあるが、教育経済学の研究に長年携わってきた専門家である著者の知識と経験を総動員して、信頼性の高い学術論文の内容をできる限り分かりやすく説明するように努めたという。
「○○すると○○の効果があった」とプラスの因果関係を証明する論文だけではなく、「効果がなかった」「悪影響があった」と結論付けた論文もバランス良く取り上げている。
著者によると、教育経済学とは、教育にかかるお金や時間、意思決定や成果を経済学の観点で分析する学問分野だ。経済学者は教育や子育てに関するデータを活用する。子どもの頃のある時点で受けた教育が、大人になってからの就職、収入、昇進、結婚、健康、幸福感などに与える影響を明らかにできるようになった。
「将来の収入を上げるために、子どもの頃に何をすべきなのか?」(第1章)、「非認知能力はどうしたら伸ばせるのか?」(第3章)、「親は子育てに時間を割くべきなのか?」(第4章)など、子育てや教育に関する「よくある質問」をタイトルに掲げ、学術論文が出した結論を踏まえて各章の中で「回答」を示している。
勉強ができる子に変える3つの秘策
「勉強できない子をできる子に変えられるのか?」(第5章)では、「目標」を立てる、「習慣化」する、「チーム」で取り組む、の3つの秘策を伝授する。
3つの秘策は、いまこの瞬間、子どもたちが、勉強ができるようになることだけを目的にしているのではなく、学校を卒業した後も勉強することが苦にならない方法を知り、技術を身につけてもらうことを目的にしていると説明している。
「日本の教育政策は間違っているのか?」(第9章)では、教育を受ける側(需要側)と、公教育や教育サービスを提供する側(供給側)のどちらに働きかけるのが有効かを考えることが重要だと指摘する。
著者は教育経済学の効力をアピールする一方で注意点にも言及する。エビデンスとは、あくまでもある集団に対する平均的な効果を指し、すべての子どもに当てはまるとは限らない。それぞれの子どもの個性を踏まえて活かしていくことが大切だと訴えている。
第10章「エビデンスはいつも必ず正しいのか?」では、エビデンスには信頼性の「階層」がある、エビデンスは合理的な判断を助ける「補助線」にすぎない、エビデンスは「絶対に覆らない決定版」ではない、海外のエビデンスは日本にはあてはまるとは限らない、といった注意点を列挙している。
神戸大学教授の佐野晋平著『 教育投資の経済学 』(日経文庫/2024年1月刊)は、教育経済学の知見に基づき、教育を分析するための枠組みとエビデンスを概説する本。
著者が執筆にあたって留意したのは、(1)理論、データ、エビデンスをバランスよく紹介する、(2)できるだけ日本のエビデンスを紹介する、(3)できるだけ広範なトピックを扱う、の3点だ。
人的資本理論とシグナリング理論の違い
第1章では、教育経済学の基礎理論である人的資本理論とシグナリング理論、第2章では「教育の生産関数」の枠組みを解説する。
同書によると、人的資本とは人々が身につける知識やスキルを指し、経済学では、教育は人的資本への投資だと考える。教育への投資は、投資による便益(金銭的なメリット)と投資にかかる費用の比較で決まる。多くの人が大学に進学するのは、人的資本の蓄積によって就職後の賃金が上昇すると判断するためだ。
一方、シグナリング理論は、大学に進学したこと自体が個人の能力を示す情報になると考える理論である。教育は人的資本を蓄積するのか、単に情報を伝達する手段なのかを区別する研究が盛んだが、研究上の決着はついていないと述べている。
教育の生産関数とは、インプットである学校資源、家庭資源とアウトカムである学力などの関係を定式化したものだ。学校資源とは、教師、授業時間、クラスの規模など学校によって決まる資源、家庭資源とは、学校外教育や育児時間など、家庭によって決まる資源を意味する。
アウトカムは学力などの認知スキルだけではなく、コミュニケーション能力などの非認知スキルや受験の結果など様々である。教育の生産関数は、アウトカムを向上させるためには、どんなインプットが重要かを解明するのに役立つ。
インプットは家計の経済状況にも左右される。教育に十分な資金を投入できる家計と、それが十分にできない家計には「教育格差」が生まれがちだ。経済格差と教育格差の関係を明らかにし、政策に生かすことも可能になる。
第3章には、学級(クラス)の規模、同級生や先生がアウトカムに与える影響に関する研究成果が登場する。ここまでの章で、教育経済学の基礎理論や主な研究成果を網羅している。
第4章は、教育政策の評価がテーマだ。「ゆとり教育」、学校間競争、奨学金、試験の順に、内外の教育政策の効果に関するエビデンスに触れている。
学校間競争で教育の質は向上するか
学校間競争の節を見てみよう。公的な学校教育は人的資本を形成する手段の一つであり、公的教育の質の向上は重要な政策課題だ。そこで、質の向上を図る手段としてしばしば学校間競争の促進が挙げられるという。
学校間競争を促すには、教育サービスの受益者である生徒にとっての選択肢を増やせばよい。通学区域の拡大、バウチャーや授業料減免など家計に対する金銭的補助、学校あるいは教育サービス提供者への補助、規制緩和といった方法がある。
学校間競争が活発になると、選択可能な学校が増え、児童生徒は自分の特性に合った学校を選べるようになる「セレクション効果」が生まれる。各学校は生徒獲得のためにより多くの資源投入や効率化を迫られ、全体として学校の生産性が向上する。
学校間競争は「学校の序列化」を生む可能性があるものの、内外の研究成果の多くは、学校間競争を促す政策は質を向上させる効果があると結論付けていると説明している。
加えて、学校の質が向上すると、その地域の魅力が高まり、地価の上昇につながるとの仮説が世界各国の研究で立証されていると指摘し、学校間競争の効用を説く。
第5章「社会の変化への対応と教育」では、日本経済や社会の構造変化に対応するための教育面での課題に焦点を当てる。労働経済学の知見も活用しながら、技術革新と仕事の関係、男女間格差が生じている要因、人口の高齢化と公的教育費支出の関係などのテーマを取り上げている。
(後編に続く)
写真/スタジオキャスパー
佐野晋平著/日本経済新聞出版/1320円(税込み)



