イノベーションは経済成長の原動力であるが、その光と影を注視すべきではないか。「経済学の書棚」第10回後編は、資本主義の真に重要な長所はイノベーションを生み出せる点にあり、市場の調整機能ではないとの認識を示す『資本主義の本質について イノベーションと余剰経済』と、シュンペーターの理論に依拠し、国家の盛衰をイノベーションの観点から描写する『創造的破壊の力 資本主義を改革する22世紀の国富論』など3冊を紹介する。

前編 「イノベーションはどうすれば起きるのか 本質が分かる2冊」

「経済学の書棚」連載第10回後編は、国家の盛衰をイノベーションの観点から描いた書籍を紹介
「経済学の書棚」連載第10回後編は、国家の盛衰をイノベーションの観点から描いた書籍を紹介
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 イノベーションは企業や組織の行く末を大きく左右する。マクロの視点でみれば、国家の命運がかかっていると言っても過言ではない。

資本主義はイノベーションの発動力

 ハンガリー出身の経済学者、コルナイ・ヤーノシュは『 資本主義の本質について イノベーションと余剰経済 』(溝端佐登史、堀林巧、林裕明、里上三保子訳/講談社学術文庫/2023年5月刊)で資本主義はイノベーション・技術進歩・近代化の発動力になってきたと唱える。

『資本主義の本質について イノベーションと余剰経済』(コルナイ・ヤーノシュ著)。資本主義の真に重要な長所はイノベーションを生み出せる点にあり、市場の調整機能ではないとの認識を示す
『資本主義の本質について イノベーションと余剰経済』(コルナイ・ヤーノシュ著)。資本主義の真に重要な長所はイノベーションを生み出せる点にあり、市場の調整機能ではないとの認識を示す
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 同書は「イノベーションとは何か」、「不足経済と余剰経済」の2つの学術エッセイと補論からなる。大著『社会主義経済システム 共産主義の政治経済学』(1992年)の資本主義版と言える『資本主義システム』を完成させたかったが、大著を書き上げるのを約束することは非現実的であると判断し、学術エッセイ集の刊行に踏み切ったと説明する。

 「主流派経済学の教科書は、市場の調整的・均衡的役割に分析の焦点を当てる場合、ぼんやりとしたスケッチしか描いていない」。資本主義の真に重要な長所はイノベーションを生み出せる点にあり、市場の調整機能ではないとの認識を示す。

 ナチスドイツによる支配と解放、社会主義の到来、ハンガリー革命とその敗北、社会主義の再建、人間の顔をした社会主義の実験とその失敗、社会主義体制の崩壊と資本主義体制への回帰。1928年生まれのコルナイは8回の体制転換を体験したという。

 同氏は資本主義を「良い社会」だとは思っていないが、あらゆる実現可能な選択肢のなかでもっとも悪くはないものであり、社会主義よりもずっと良いと見なしている。

 実際にどれだけ差があるのだろうか。同氏は、旧ソビエト政権が誕生した1917年から2010年までの間に世界で生まれた重要なイノベーション111件のうち、旧ソ連で生まれたのは合成ゴムの1件のみだという。25~30件はコンピューター、デジタル機器、情報関連が占め、米国がほぼ独占している。

 資本主義はなぜイノベーションを活発にするのか。「分権的創意性」、巨額の報酬、競争、広範囲の実験、投下を待つ資本準備と融資の柔軟性の5つの特徴がイノベーションにとって重要だと指摘している。

 欧州の大学や研究機関に籍を置くフィリップ・アギヨン、セリーヌ・アントニン、サイモン・ブネル著『 創造的破壊の力 資本主義を改革する22世紀の国富論 』(村井章子訳/東洋経済新報社/2022年11月刊)の目的は主に3つある。

『創造的破壊の力 資本主義を改革する22世紀の国富論』(フィリップ・アギヨン、セリーヌ・アントニン、サイモン・ブネル著)。世界全体を視野に入れ、国家の盛衰をイノベーションの観点から描写した本
『創造的破壊の力 資本主義を改革する22世紀の国富論』(フィリップ・アギヨン、セリーヌ・アントニン、サイモン・ブネル著)。世界全体を視野に入れ、国家の盛衰をイノベーションの観点から描写した本
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 第1は世界の経済成長プロセスでの歴史上の大きな謎(19世紀の産業のテイクオフ、近年の長期停滞、不平等の拡大など)を解き明かすこと。第2は先進国におけるイノベーションと経済成長を巡る課題を改めて論じること。第3は政府と市民社会の役割を改めて考え直すことである。世界全体を視野に入れ、国家の盛衰をイノベーションの観点から描写している点が特徴だ。

シュンペーター理論で世界経済の謎を解明

 同書が依拠するのは、オーストリアの経済学者、ヨーゼフ・シュンペーターの理論。シュンペーターの創造的破壊のパラダイムは、(1)イノベーションの積み重ねが成長の最大の原動力(2)イノベーションによる超過利潤を独り占めできる(3)新しいイノベーションは古いイノベーションが生み出した超過利潤を破壊するーーの3点を前提にしていると要約する。

 完全競争を前提とする新古典派理論では、ある産業における競争とイノベーション(あるいは競争と生産性の伸び)の正の相関関係を説明できない。アルゼンチンが陥った中所得国の罠(わな)、米国経済の長期停滞の謎も解明できないという。

 「資本主義の未来」と題する終章では、資本主義を適切に運営する方法を巡る論点を整理している。市場に万事を委ねる自由放任型の資本主義から、政府と市民社会が十全に役割を果たせる資本主義へと移行し、イノベーションを阻害せずに社会的移動性を高め、不平等を減らすにはどのような政策を講じるべきか。適切な競争政策、グリーン技術開発への誘導、効果的なセーフティネットの用意などを具体策として挙げている。

 最後に、前編で紹介した『イノベーション』の著者、清水洋氏による『 野生化するイノベーション 日本経済「失われた20年」を超える 』(新潮選書/2019年8月刊)を取り上げたい。

『野生化するイノベーション 日本経済「失われた20年」を超える』(清水洋著)。イノベーションは人間のコントロールを超えて、あたかも生きているようにビジネス・チャンスに向かって動き出していく
『野生化するイノベーション 日本経済「失われた20年」を超える』(清水洋著)。イノベーションは人間のコントロールを超えて、あたかも生きているようにビジネス・チャンスに向かって動き出していく
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 「イノベーションが野生化する」というメタファー(隠喩)を使ったのは、イノベーションは人間のコントロールを超えて、あたかも生きているようにビジネス・チャンスに向かって動き出していくという側面に光を当てるためだ。

 日本に焦点を当て、打開策を探る第二部と第三部では、独自の視点から日本の問題点に迫っている。

 戦後の日本経済を振り返ると、高度成長期には資本、労働に加え、イノベーションの代理指標である全要素生産性(TFP)の貢献が大きかった。

停滞した日本のイノベーション

 ところが、1970年代のオイルショックを経るとTFPの貢献がマイナスになってしまう。それでも日本経済が安定成長を続けられたのは、資本の投下が貢献していたためだ。

 そして、バブル崩壊後の「失われた20年」には頼みの綱だった資本の貢献が大きく減少した。銀行の自己資本比率規制を強化する国際基準が整備され、日本の銀行がリスクを取れなくなったためと分析している。

 労働や資本の大幅な投入増が難しい現状から判断すると、日本が成長を取り戻すためには、イノベーションを再び活性化するしかないと結論づけている。

 どんな対策を打ち出せばよいのか。欧米へのキャッチアップで経済を成長させてきた日本は累積的なイノベーションに強みがあるが、それだけでは成長を取り戻すのは難しい。日本政府は企業の新規参入を促進するような政策を実行し、欧米型の破壊的なイノベーションを促すしかない。

 清水氏はこう強調する一方で、米国の単純な模倣は危険だと注意を喚起する。ヒト、モノ、カネの流動性を高めれば、イノベーションの破壊的な側面が強くなる。米国では、格差や失業率の高まりといった社会的なコストが発生している。日本が表面的に米国の真似をし、経営資源の流動性を高めてイノベーションを野生化させると、あっという間にイノベーションのタネがなくなり、格差が広がってしまうだろうと主張し、慎重な対応を求めている。

 イノベーションは経済成長の原動力であり、日本の救世主となる破壊的なイノベーションが群生する環境づくりが急務なのは言うまでもない。その際に、「創造」の側面にだけ目を向けるのではなく、「破壊」される側への対応にも同時に取り組むことで、「創造」を引き出す効果が一層、大きくなるーー。イノベーションの専門家たちの見解はほぼ一致している。

写真/スタジオキャスパー