過去200年以上の所得や資産のデータ分析から、富裕層に富が集中する現象の背景にある原理を導き出し、世界中に波紋を広げた『21世紀の資本』(原著は2013年刊)。この大著を著したフランスの経済学者、トマ・ピケティ氏は現在どのような考えを抱き、行動しているのか。資本主義の限界や副作用を見据えてきた彼が、膨大なデータ分析や歴史研究に立脚しながら、国家をどう運営すべきかを抽出・提言した新たな大著『資本とイデオロギー』(原著は2019年刊)を紹介する。

「経済学の書棚」連載第11回は、世界中に波紋を広げた『21世紀の資本』を著したフランスの経済学者、トマ・ピケティ氏の現在地を知るための書籍4冊を紹介する
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ピケティ氏の現在地

 世界中で温暖化と環境破壊が激しさを増し、大規模な自然災害が頻発している。経済格差や不平等も広がる一方だ。資本主義が環境破壊の原因だとする確証はないし、社会主義国にも格差や不平等は存在するが、資本主義の限界や副作用が顕著になっているのは確かだ。世界の大多数の国は資本主義の下にあり、多くの国家の基盤が揺らいでいる。フランスの経済学者、トマ・ピケティ氏はこうした問題を見据えて意欲的に研究に取り組んでいる。ピケティ氏は今、何を訴えているのか。

『21世紀の資本』に続く大著の邦訳

 過去200年以上の所得や資産のデータ分析から、富裕層に富が集中する現象の背景にある「資本収益率(r)>経済成長率(g)」という原理を導き出し、世界中に波紋を広げた『 21世紀の資本 』(トマ・ピケティ著/山形浩生、守岡桜、森本正史訳/みすず書房/2014年12月刊)に続く大著の邦訳が出た。

 『 資本とイデオロギー 』(山形浩生、森本正史訳/みすず書房/2023年8月刊)は膨大なデータ分析や歴史研究に立脚しながら、国家をどう運営すべきかを抽出・提言した書だ。

『資本とイデオロギー』(トマ・ピケティ著)
『資本とイデオロギー』(トマ・ピケティ著)
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 ピケティ氏は『21世紀の資本』は世界の富裕国に分析が偏り、格差や再分配に関連する政治、イデオロギーの変化をブラックボックスとして扱っている欠点があると自己診断し、『資本とイデオロギー』では政治やイデオロギーの問題に正面から切り込んでいる。

イデオロギーが格差を正当化

 あらゆる人間社会は、その格差を正当化せざるを得ない。同書は、格差を正当化してきた人間社会の実態を簡潔に示すこんな一文から始まる。人間社会は長い歴史をたどってきたが、どんな時代のどの国家にも格差は存在した。格差が存在するのはやむを得ないと多くの人々を納得させ、国家を維持するための手段が「イデオロギー」だという。

 同書によると、イデオロギーは肯定的で建設的な意味であり、社会をどのように構造化すべきかを表現する、もっともらしい先験的な思想や言説の集合を指す。格差を正当化する「格差イデオロギー」は「政治レジーム」と「所有権レジーム」に支えられている。

 政治レジームとは、コミュニティの境界線とその領域、集合的な意思決定の仕組み、構成員の政治的権利を記述するルール群。所有権レジームとは所有権のさまざまな形やちがう社会集団の間の財産関係を表現するための、法的および実務的手順を記述したルール群と定義している。

 現代の格差イデオロギーとは何か。「万人が市場と財産への平等なアクセスを享受し、最も豊かな個人が蓄積した富の恩恵を自動的に万人が受ける、自由に選んだプロセスの結果だから、現代の格差は公正なのだ」と多くの人が信じ、格差を受け入れている。

 こうした「所有権主義的で能力主義的なナラティブ(物語)」が急速に世界を覆ったのは20世紀末。旧ソ連の崩壊とハイパー資本主義の勝利に続き、世界規模で大幅に改訂されて広まった。ところが、こうしたナラティブは各国でちがった形をとりながら脆弱に見えてきている。

格差拡大に対応できるナラティブとは

 ピケティ氏は「格差拡大と移民、気候変動の課題に対応できる新しい普遍主義的で平等主義的な信頼できるナラティブ」を生み出すために、歴史に目を向け、壮大なスケールで過去から現代に至る「格差イデオロギー」の変遷を描き出す。イデオロギー、政治、格差のレジームは常にいくつも存在し得るし、別の道が常に存在したことがわかる。21世紀の今日でも財産関係はいろいろな形で組織できると強調している。

 聖職者、貴族、平民からなる前近代の「三層社会」では、各集団が他の集団にとって欠かせない機能を実行するという独特なやり方で格差を正当化していた。1789年のフランス革命は三層社会の見本ともいえるフランスのアンシャン・レジームを断ち切った。19世紀のフランスで花開いたブルジョワ社会は、これに続く「所有権社会」の原型となった。フランスでは1800~1914年に極度に不平等な所有権社会が発達した。

 所有権社会とは、地位と民族、宗教の差が原理的には消えたのに、所得と富の差が信じがたい水準にまで到達できる社会だ。地位や民族、宗教の差が中心的な役割を果たし、ときにはそれが所得と富の大幅な格差と連動する社会が奴隷社会、植民地社会、ポスト植民地社会である。18世紀以降、三層社会が、所有権社会と奴隷社会、植民地社会、ポスト植民地社会との複雑な混合物へと次第に変わっていく経緯を詳細に記述している。

 所有権社会を支える「財産主義イデオロギー」が19世紀後半と20世紀初頭に採用した特殊な一形態が資本主義なのだとピケティ氏は位置付ける。

財産主義イデオロギーを阻んだ障害

 好調で堅固に見えた財産主義イデオロギーには3つの障害があった。それぞれの社会内部での格差拡大、植民地との格差拡大、ナショナリズムとアイデンティティ主義の台頭だ。所有権社会はやがて暴力的な危機に陥り、世界大戦、社会民主主義や共産主義の挑戦、植民地の独立運動が巻き起こる。

 所有権社会は1914~1945年に崩壊した。名目上は資本主義を掲げる国々でも、国有化、公教育、保健と年金改革、最高所得と最大財産に対する累進課税を通じて、1950~1980年に実際には社会民主主義に転向した。しかし、1980年代に入ると社会民主主義は問題にぶつかり始め、その後至るところで見られ始めた格差拡大には対処できなかった。教育と知識への平等なアクセスの必要性に対応できず、国を超えた新しい連邦形態を築けなかった。

 社会民主主義は、高学歴層を中心とする「バラモン化」の道をたどり、大衆の支持を得られなくなった。1980年代には財産主義イデオロギーが息を吹き返したものの、再びその脆弱さが目立つようになった。このままだと、アイデンティティに基づくナショナリズム政治が大きなナラティブになりかねないと危惧している。

参加型社会主義を提唱

 ピケティ氏は新たなナラティブとして「参加型社会主義」を提唱する。企業内部での徹底した権限の共有(=資本の真の社会所有)、巨額の財産に対する累進性の高い課税(=資本の一時所有の原則)、累進課税を財源とするユニバーサル資本支給(若い成人に対する資本支給)などが柱となる。ピケティ氏が描き出す新たなナラティブは、ハイパー資本主義やナショナリズム政治の対抗軸となり得るのか。さらには日本にも通用するナラティブなのか、議論してみる価値は大いにあるだろう。

(後編に続く)

写真/スタジオキャスパー