経済学を学ぼうとして挫折した経験のある方も多いのではないだろうか。「経済学の書棚」第22回前編は、現代経済学の知っておきたい基本を会話形式で解説する『超速 経済学の授業』、効率か公平かという切り口で経済学の可能性と課題を述べる『経済学の思考軸』、現代経済学の成り立ちや、その背景にある考え方を丁寧に解説する『経済学の学び方』を紹介する。
経済学は人類規模の思考実験
経済学とはどんな学問なのか。数多くの入門書や教科書があり、どの本を手に取ればよいのか迷う人も多いだろう。今回は、現代経済学の基本を解説しつつ、その「弱み」にも触れるユニークな入門書を取り上げる。数式は登場せず、読み物として楽しめる本を選んだ。
東京大学名誉教授の井堀利宏著『 超速 経済学の授業 』(あさ出版/2024年4月刊)は、短時間で経済学の基礎を吸収できるように工夫した本。先生(井堀氏)と生徒が対話(授業)形式で話を展開する。「一般の社会人が世の中の動きを知る上で身につけておきたい経済学の知識を大胆に取捨選択した」という。
「第0時限」のテーマは「経済学は人類規模で実施する思考実験」。経済学は経済の仕組みを明らかにする学問であり、現実の世界で私たちが豊かになるための方法を考えていると説明する。
同書によると、実験を通じてある主張(=仮説)を明らかにすることを「科学」という。経済学ではてんびんやフラスコといった実験道具は使わない。その代わりに架空の世界を想定して経済社会の仕組みを表すミニチュア(=モデル)を組み立て、それを利用して思考実験を行う。
架空の世界で物事を考えるときには、まず単純な世界での仕組みを組み立てると、私たちがお金を稼いだり、消費したりする経済的な活動の流れをはっきりさせることができる。架空の世界では、感情を一切持たないロボットのような人間たちが暮らす世の中を想定する。すべての人間が「合理的に動く」と考える。モデルは経済の動きを予測したり、安定した豊かな経済を生み出したりするために使われる。
井堀氏の言う「架空の世界」とは、現代経済学の根幹を成すミクロ経済学が想定する世界であり、モデルや理論が持つ意義を分かりやすく伝えている。
「架空の世界で構築されたモデルは現実の世界でうまく機能するのでしょうか?」という生徒の質問に対して、「現実の世界はいつも同じ環境ではなく、経済状況が変化すると必ずしも当初に考えていた理論通りにはいかないこともある」と回答している。「では、どうすればいいのでしょうか?」と続ける生徒に「複雑な状況で現実の消費者や企業の行動を適切にコントロールし、私たちの不幸せな事態を避けるためにあるのが政府と中央銀行という機関だ」とマクロ政策に話題を広げている。
本編には、「バブルの構造はネズミ講と同じ」、「You Tuberから考える経済成長とは?」、「経済学で戦争を見ると新たな気づきがある」、「なぜ私たちは公共事業に期待しなくなったのか?」など通常の入門書ではあまり見かけない見出しが並ぶ。社会人が関心を持ちそうな話題から入り、経済学の面白さを伝えようとしている。
政府・日銀の共同声明に異議あり
マクロ政策のかじ取り役である政府と中央銀行の関係にも触れている。「日銀と政府が協力して経済を活性化させればより大きな効果が発揮できそうですね」と問いかける生徒に、「実は、日銀と政府は連携し合わずに独立して経済政策に取り組むべきとされている」と答えている。
政府のなかで仕事をしている政治家の多くは次の選挙で勝利したいと考え、直近の経済を活性化させるためにインフレ率は高い方がよい、というスタンスを取る。一方、日銀は中長期的にインフレ率が上昇し続けるリスクを心配する。政府が過度に経済を刺激しすぎるとインフレ率がどんどん上昇して、やがては狂乱物価やバブルのような大混乱が起きかねないからだと指摘する。
2013年、政府と日銀は共同で声明(アコード)を発表し、2%のインフレ目標を掲げた。「原則論でいえばこれはおかしい出来事だ」と評している。
一橋大学特任教授の小塩隆士著『 経済学の思考軸 効率か公平かのジレンマ 』(ちくま新書/2024年5月刊)は「経済学の出発点は、あくまでも個人」という説明から本編が始まる。同書を貫くテーマは副題にある「効率」と「公平」だ。公平の問題に淡泊になりがちな経済学の急所を突いている。
小塩氏によると、経済学は、世の中にある限られた資源をどれだけ効率的に配分するかという「効率性」の評価軸と、その資源を世の中で困っている人たちにできるだけ多めに配分し、格差を小さくするという「公平性」の評価軸を持っている。
世の中にある資源を人々に配分した結果、世の中の誰についても、その人をよりハッピーにするためには、その他の少なくとも1人をアンハッピーにしなければならない状況が「パレート効率的」の概念であり、資源配分が「効率的である」と解釈できる。市場が完全競争の状態であれば、市場に任せておけば「パレート効率的」になるとの仮説が「厚生経済学の第1定理」だ。
公平性より効率性を優先する風潮
小塩氏は効率性と公平性の問題を同時に議論すべきだと考えているが、効率性の問題さえ解決できれば、公平性の問題はなんとか解決できるという想定も巷(ちまた)の経済論議ではよく耳にするという。本来であれば、効率性の問題と公平性の問題とは密接に関連し合い、切り離しては議論できないと小塩氏は強調するが、多くの経済学者は公平性の問題を後回しにしたり、視野から外したりしがちだ。
経済学では、「人々が社会全体の所得格差を忌避するのは、人々がリスク回避的だからだ」と個人に還元して公平性の問題を解釈する。小塩氏は「所得格差をどう考えるかは、世の中の有り様に関する論点だ。リスク回避という、あくまでも個人レベルの問題に“翻訳”して説明するのは議論のすり替えだ」と批判する。
さらに、人口が減少する中で「将来世代」や「世代間の公平」という時間の概念を議論の中に加えると、「経済学の考え方の根っこにある厚生経済学の第1定理が満たされなくなる」との見方を示す。市場メカニズムに任せておくと、人々が消費に回せる財の量を最大にするという黄金律の達成は保証されない。政府はむしろ市場に積極的に介入し、「私たちは、将来世代に残すべき富にできるだけ手をつけないように努めるべきだ」と訴えている。
京都大学教授の根井雅弘著『 経済学の学び方 将来の経済学研究者のために 』(夕日書房/2023年10月刊)のテーマは「正統と異端のせめぎ合いのなかからイノベーションが生まれる」。高校生を対象とする講演を端緒に生まれた本でもあり、「将来の経済学研究者のために」という副題を付けているが、決して難解な本ではない。現代経済学の成り立ちや、その背景にある考え方を丁寧に解説している。
正統派と異端派の論争を知ろう
根井氏によると、経済学の教科書では「需要と供給の均衡」や「有効需要の原理」などを学ぶが、それらが学界に根づくまでには、正統と異端の切磋琢磨(せっさたくま)を含めて、様々な論争や紆余曲折(うよきょくせつ)があった。
例えば「需要と供給の均衡」は中学校の公民の教科書にも載っており、大部分の人は経済学の基本中の基本として昔から確立していると思い込んでいる。経済学の歴史をひも解くと、経済学の基本中の基本として定着させるのに貢献したのはアルフレッド・マーシャルであると分かると指摘し、どんな葛藤があったのかを掘り下げていく。
同書ではマーシャルのほか、アダム・スミス、ジョン・スチュアート・ミル、ジョン・メイナード・ケインズ、ヨーゼフ・アロイス・シュンペーターを順に取り上げる。
スミスは「見えざる手」というキーワードをもって自由放任主義を正当化するために利用され、ケインズは「不況になれば財政出動すべきだ」という特定の政策の旗振り役として名前が使われていると根井氏はみる。「正統と異端のせめぎ合い」のなかから経済学の思想や理論が生まれてきた過程を丁寧に描き出すことで、世間に広がる一面的な理解を正そうとしている。
「正統と異端のせめぎ合いのなかからイノベーションが生まれる」という考え方は、企業家による「新結合」が経済発展の原動力になると説いたシュンペーターの仮説に通じる。根井氏は、シュンペーター自身の思想も「正統と異端のせめぎ合い」のなかで形成されたと解説している。
(後編に続く)
写真/スタジオキャスパー



