日本経済は長期停滞から脱出できるのか。「経済学の書棚」第37回後編では、前編で紹介した日本経済の入門書で全体像をつかんだ後に、さらに踏み込んだ専門家の分析に接したい読者のための本を取り上げる。日本の生産性の低迷が長期停滞の根本的な原因だとの見方を前面に打ち出した『日本経済の未来と生産性』と、不確実性の動向や不確実性と実体経済の関係について整理・考察する『不確実性と日本経済』の2冊を紹介する。

「経済学の書棚」第37回後編では、日本経済の入門書で全体像をつかんだ後、さらに踏み込んだ専門家の分析に接したい読者のニーズに合いそうな本の中から『日本経済の未来と生産性』と『不確実性と日本経済』の2冊を選んだ
「経済学の書棚」第37回後編では、日本経済の入門書で全体像をつかんだ後、さらに踏み込んだ専門家の分析に接したい読者のニーズに合いそうな本の中から『日本経済の未来と生産性』と『不確実性と日本経済』の2冊を選んだ
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米中韓に技術で水をあけられた日本

 日本経済が長期停滞に陥っているとの共通認識の下で、研究者たちは、さまざまな着眼点や切り口から、その原因を解明しようとしている。後編では、日本経済の入門書で全体像をつかんだ後、さらに踏み込んだ専門家の分析に接したい読者のニーズに合いそうな本の中から2冊を選んだ。

 宮川努編『 日本経済の未来と生産性 豊かさの基盤としての資本と技術力 』(東京大学出版会/2025年7月刊)のキーワードは「生産性」だ。日本の生産性の低迷が長期停滞の根本的な原因だとの見方を前面に打ち出し、10人超の研究者による論文を収録している。

『日本経済の未来と生産性 豊かさの基盤としての資本と技術力』(宮川努編)。日本の生産性の低迷が長期停滞の根本的な原因だとの見方を前面に打ち出し、10人超の研究者による論文を収録。画像クリックでAmazonページへ
『日本経済の未来と生産性 豊かさの基盤としての資本と技術力』(宮川努編)。日本の生産性の低迷が長期停滞の根本的な原因だとの見方を前面に打ち出し、10人超の研究者による論文を収録。画像クリックでAmazonページへ

 序章「生産性向上の新たなステージ」(著者は宮川努氏)は同書の総論に当たる。要旨は以下の通りだ。

  • 日本は、新型コロナウイルスの感染拡大による経済の落ち込みからの回復が遅く、行動制限中にデジタル化の遅れや新たな技術革新に対応できていないことを思い知らされた。
  • 日本経済の退潮は、2020年代に始まったのではなく、その30年以上も前から続く停滞の結果である。生産性の低迷がこの停滞を顕著に示している。
  • 生産性向上のためには、投資の回復が必須だが、米国、中国、韓国に技術的に水をあけられた現状では戦略的な対応が必要である。まずはデジタル化と人材育成を優先的に進めていくべきである。

 長期停滞の最大の要因は投資不足だと断じ、その要因として(1)バブル期の積極投資がバブル崩壊後に過剰設備に転じ、設備増強を手控えた、(2)1997~98年の金融システムの崩壊、(3)2010年代初頭の円高で製造業が生産拠点を海外に移した、(4)デフレで実質金利が上昇し、設備投資を減少させた、(5)日本企業が収益率の高い投資機会を見いだせず、国内投資を減らした、の5点を挙げている。

 同書は全体で3部構成。第Ⅰ部「技術革新の生産性向上効果は持続可能か」では、特許や研究開発投資に着目する。生産性向上の要因である技術革新の役割を再考し、持続的な技術革新のための課題を考察している。

 第Ⅱ部「グローバル化に伴う生産性向上の課題」は、グローバル・バリュー・チェーン(GVC)の影響、国家間の労働生産性の格差がテーマ。技術革新が進み、企業が国際取引を通して生産性を向上させる機会が多くなった反面、ロシアのウクライナ侵攻やアメリカのトランプ大統領による極端な関税政策が生産性にマイナスの影響を与えるなど、グローバル化の光と影を捉えている。

 第Ⅲ部「非市場経済における生産性を考える」では、社会インフラや教育など、これまで生産性の向上を側面から支えてきた要素の役割を再検討する。

 第Ⅲ部の終章(宮川氏が執筆)では、「最近の日本では国内総生産(GDP)とは異なる豊かさの指標に注目が集まっているが、もはやGDPには期待できないので、もう少し良い指標を探したいという安直な動機が透けて見える」と糾弾する。さらに、「長期停滞に関わった責任者は、この時期の経済運営や企業経営について深く反省してからこうした議論に入るべきだ」と訴えつつ、議論を展開する。

 ここでは、豊かさを計測するさまざまな指標を取り上げている。長期にわたって豊かさを提供できる資産に焦点を当てる「資本アプローチ」や、宇沢弘文氏による「社会的共通資本」にも言及する。

セカンド・ベストの目標を設定せよ

 宮川氏は、米国や中国などへの急速なキャッチアップは難しいとみている。生産性は1人当たりGDPを向上させるための1丁目1番地であるが、それ以外の指標も考慮しながら、まずは手に届くセカンド・ベスト、サード・ベストの目標を設定し、少しでもそれに向かって経済や生活が上向いている感触が得られる政策の実現に努めるべきだと唱えている。

 一橋大学特任教授の森川正之著『 不確実性と日本経済 計測・影響・対応 』(日本経済新聞出版/2025年1月刊)は、「不確実性」がもたらすネガティブな影響に注目する。

『不確実性と日本経済 計測・影響・対応』(森川正之著)。内外の研究と著者自身の研究成果をベースに、不確実性の動向や不確実性と実体経済の関係について整理・考察した書。画像クリックでAmazonページへ
『不確実性と日本経済 計測・影響・対応』(森川正之著)。内外の研究と著者自身の研究成果をベースに、不確実性の動向や不確実性と実体経済の関係について整理・考察した書。画像クリックでAmazonページへ

 同書は、内外の研究と著者自身の研究成果をベースに、不確実性の動向や不確実性と実体経済の関係について整理・考察する。

 副題にあるように、(1)不確実性をどのように計測するか、(2)不確実性が経済にどう影響するのか、(3)不確実性にどう対応すべきなのか、の3つの課題に力点を置いて議論を進めている。

 経済学者のフランク・ナイト氏は100年前に「リスク」と「不確実性」を明確に区別し、確率分布が既知な場合をリスク、確率分布を特定できない場合を不確実性とする二分法を提唱した。近年の経済学の研究論文では、不確実性を、リスクを含む広い概念として使用するのが一般的であり、同書もリスクを含めて不確実性という単語を使っていると断っている。

 同書によると、経済主体が直面する不確実性は本質的に主観的なものなので、一般に直接観測することはできない。このため、不確実性の実証分析のためにさまざまな代理変数を使ってきた。(1)時系列データに基づくGDP、為替レート、株式市況などのボラティリティ、(2)エコノミストなどの経済予測の分散(不一致度)、(3)計量経済モデルやサーベイ・データに基づく予測誤差、(4)不確実性に関する新聞報道件数のテキスト分析、(5)エコノミストや企業・家計の主観的不確実性、である。

 5番目は経済主体にとっての不確実性を直接、把握しようとする試みだ。

企業・家計の行動、マクロ経済に負の影響

 こうして計測した不確実性が、企業、家計やマクロ経済に与える影響を同書に沿って見てみよう。

▽企業は不確実性に直面すると、設備投資、研究開発、従業員の採用、キャッシュ保有、価格設定などの行動を変化させる。内外の多くの研究が、様子見(ウエイト・アンド・シー)メカニズムなどを通じて企業の積極的な行動を抑制することを示している。以下は、同書で紹介している内外の研究から得られた知見の一部である。

  • 生産規模が小さい企業ほど予測精度が低い傾向がある。
  • 生産の不確実性は不況局面で高い傾向があり、生産の不確実性がマクロ経済の変動に先行する傾向がある。
  • 若い企業ほど売上高伸び率の期待値が高いが、主観的不確実性も高い。
  • 企業はマクロ経済成長率の不確実性を認識すると価格を引き下げる傾向がある。
  • 仕入価格の上昇が見込まれるときに企業はそれを販売価格に転嫁しようとするが、その見通しが不確実なときには価格転嫁を控えるか、販売価格を引き下げる傾向がある。

▽不確実性が高まると、家計は貯蓄を積み増し、消費を抑制することを多くの研究が示している。以下は、同書で紹介している知見の一部だ。

  • 不確実性は家計の資産選択に影響し、リスクの低い資産、流動性の高い資産への再配分をもたらす。
  • 子供の将来所得の不確実性は親の消費を抑制する。
  • 複雑な所得税制は不確実性の源泉となる。
  • 人的資本投資の効果や生涯所得にも不確実性があり、高等教育への進学や女性の就労や出産の意思決定に影響する。
  • 失業リスクや将来賃金の不確実性は、子供を持つ意思決定にもネガティブな影響を持つ可能性がある。

▽不確実性指標を用いてマクロ経済への影響を扱った実証研究はおびただしい数にのぼり、多くの研究は不確実性がマクロ経済(景気)に対して負の影響を持つと結論付けている。以下は研究から導き出せる政策への含意だ。

  • 不確実性が高いとき、金利引き下げ、減税といった通常の景気刺激策の効果は弱くなる。
  • 「経済政策不確実性指数」が高いとき、政府支出のマクロ経済効果は大幅に低下する。
  • 大きな不確実性ショックの際には、金融・財政政策に依存するのではなく、不確実性自体の低減に力点を置いた政策が必要になる。

 世界を見渡すと、国民の支持獲得のためにポピュリスト的な政策を打ち出すことも多くなっており、選挙が政策の不確実性をもたらし、政府の政策自体が不確実性を高めることも少なくない。

 終章では不確実性への対応のあり方を論じている。著者が提示する対応策を列挙する。

不確実性を低減する政策とは

    (1)不確実性ショックの発生自体をできるだけ回避・抑制する。
  • 中長期的な視点からの安定的な制度設計に努め、政策・制度の運用についての予測可能性を高める。
  • 金融政策については、適切な「市場との対話」を通じて不必要な不確実性ショックを生まない。
  • 財政政策に関しては、政府債務のGDP比が主要国の中でも突出して高い点に注意し、中立的でクレディブルなマクロ経済見通しを示す。
  • 国際ルールの実効性を回復する努力を続ける。
    (2)不確実性の影響を軽減する。
  • 不確実性が高まったときにショックが増幅しない仕組み、実体経済への影響を緩和する政策をあらかじめ準備しておく。
  • 過去の不確実性への政策対応の有効性や副作用を事後評価し、将来の政策への教訓を得る。
    (3)不確実性のモニタリングと予測技術の向上
  • 不確実性を定量的に捕捉する技術は進歩しており、リアルタイムに近い不確実性指標も存在する。そうした指標を活用して、グローバルな不確実性の動向をモニタリングする。

 日本経済は長期停滞から脱出できるのか。長期停滞を引き起こしている要因や、脱出のために必要な行動、政策対応は研究者の間でほぼ認識が一致している。現状に甘んじず、思い切って殻を破ろうとする企業や個人が増えれば、2026年が日本にとっての分岐点になる可能性はある。

写真/スタジオキャスパー

高まる政治・経済の不透明感

不確実性は経済活動にどう影響するのか。マクロ経済から企業・個人が直面する不確実性まで、独自のデータ分析、内外の最新研究をもとに不確実性ショックのメカニズムを明らかにする。

森川正之著/日本経済新聞出版/定価4620円(税込み)