忘我の境地に入る「フロー状態」は、思考能力や身体能力が最高度に発揮されているときで、EQの最高次の発現だといいます。全世界でベストセラーになった 『EQ こころの知能指数』 (ダニエル・ゴールマン著/土屋京子訳/講談社+α文庫)を、ヒトラボジェイピー社長の永田稔さんが読み解きます。 『ビジネスの名著を読む〔リーダーシップ編〕』 (日本経済新聞出版)から抜粋。
スポーツ選手の忘我の状態
スポーツ選手や芸術家が最高のパフォーマンスを発揮した際、「忘我の境地だった」という感想を耳にすると思います。この忘我の状態を「フロー状態」と呼びます。
フロー状態は思考能力や身体能力が最高度に発揮されている状態で、EQの最高次の発現といわれています。この状態にあるときは、感情が才能の発揮を妨げないよううまく制御されるだけでなく、感情により自身が高く動機づけられています。不安や緊張から解き放たれている状態ともいえるでしょう。
誰でも「何かが最高にうまくできた」経験があると思います。そのときを思い返すと、自分の行為に完全に入り込み、高い集中力を発揮していたのではないでしょうか。目の前の目標や課題に熱中し、自意識やエゴ、不安から解放されるだけでなく、歓喜や自らを完全に制御できていると確信する“効力感”まで感じているのです。
フロー状態はどのようにすれば実現できるのでしょうか。その状態に入るには、連載第2回 「『EQ』が高い人はここが違う 重要な5つの能力」 で述べたような感情の認識や自制、動機づけが行われながら、目の前の課題への高度な意識の集中が必要になります。課題に取りかかる前に心を静め、意識を集中させるのです。
自分の強み、得意なスタイルに集中することもフロー状態に入るコツといわれています。「自分はできる」という自信は、不安な気持ちを消し去り意識の集中度を高める効果があります。その際に、少し高めの目標を設定することがよい効果を生み出します。課題は簡単すぎても、難しすぎてもうまくいかないとされています。
ここに自らの才能を開花させるヒントがあります。少し高い目標に挑むことで意識の集中を高め、フロー状態の中で楽しさや効力感を感じ、その楽しさゆえにさらに高い目標に挑戦しようと思う好循環が生じるのです。そのようにEQは才能を広げ、能力に磨きをかける力を持つのです。
秘策は「開き直り」
Y課長が主催したEQに関する勉強会は進み、「才能を生かすEQ」の項に進みました(連載第2回 「『EQ』が高い人はここが違う 重要な5つの能力」 参照)。
講師は話を続けました。
「皆さんはオリンピックなどでスポーツ選手が非常にリラックスをしながら、非常に素晴らしい演技をするのをご覧になったことはありませんか?」
「そういえば、惜しくもメダルは逃しましたが、◯◯選手の後半の演技が素晴らしかったのを覚えています。前日の失敗で気落ちしているかと思っていたのですが、しっかり立て直して普段以上の演技をし、高得点を得たのはとても驚きました」。メンバーの1人が答えました。
「◯◯選手の今回の演技はとても印象的でしたね。私は◯◯選手の後半の演技を見て、『◯◯選手はフロー状態に入っているな』と感じました」
「先生、フロー状態とはEQが最高に発揮された状態だと本にありましたが、もう少し説明をしていただけませんか?」
「分かりました。例えば、皆さん、仕事でうまくいかなかったことや、反対にとてもうまくいったときの例を何か挙げてもらえますか?」
Mさんが答えました。「私は以前、プレゼンがとても苦手だったのが、ある時を境に克服できました。その日のことは非常によく覚えていて、言葉もすらすら出るし、いろんな質問にも答えることができるようになりました」
「とてもいい例ですね。もう少し詳しく聞いてみましょう。まず、昔はプレゼンが苦手だったということですが、どのように苦手だったのですか?」
そのメンバーは当時を思い出すように答えました。「人と話をすることは昔から苦手ではなかったのです。でも、大勢の人前でのプレゼンは苦手で、とても緊張してひどい時には頭が真っ白になり言葉につまるような感じになってしまいました。そうなると、なかなか立て直すことが難しく、最後までうまくプレゼンができないことが多かったです」
「なぜ緊張したか、思い当たることはありますか?」
「今振り返って考えると、とにかく失敗をしてはいけないと強く思いすぎていたように感じます。また、自分の話す内容や話し方にも自信が持てていませんでした。プレゼンの当日はいつも不安や焦りを感じていました。その不安や焦りを解消できないままプレゼンに臨んでいたように思えます」
「そうなんです。人間は不安や焦りなどを感じると、頭や体の働きが悪くなると心理学の実験でも説明されています。当時のMさんは、プレゼンでの失敗を過度に心配するあまり、持っている能力を十分に発揮できない状態だったと推察します。人間は、危機感が強すぎても弱すぎても、持っている能力を十分に発揮できないのです。Mさん、今はどうですか?」
「今は反対にとてもリラックスしてプレゼンに臨むことができるようになりました」
「何か変わるきっかけがあったのですか?」
「大きな変化は、開き直りでした(笑)。ある時、あまりにプレゼンがうまくいかないので、次は最も重要なことを伝えるということだけに集中し、話し方も自分のスタイルで行おうと開き直りました。それまでは、いろんな人のかっこいいプレゼンをまねようとしていましたが」
「得意なスタイルに絞ったのですね」
「そうです。それまでは、あれもこれも話したりやったりしなければならないと考えていたのをやめ、話を絞り、得意なスタイルで組み立て直しました」
フロー状態の効果とは
「他にはどうですか?」
「あと、あまり聞き手の顔色を気にしないようにしました。それまでは、自分の話がどう思われているんだろうと常に気にしており、聞き手の様子をうかがっていました」
「その結果、どうなりました?」
「まず気分がとても楽になりました。気にすることを絞ったためか、集中力がとても高まりました。集中力が高まるにつれ、今まで感じていたような不安も感じなくなりました。今までは、心がざわざわして落ち着かないままプレゼンを行っていました」
「プレゼンはどうでした?」
「不思議な感覚でした。自分がプレゼンの場、全体を支配しているような感覚になりました。雑音は一切耳に入りませんでした。その一方で、気にしないと決めていた聞き手の様子はこと細かに観察ができていました。質問に対しても、自分の頭が解放されているような感覚で次から次へアイデアや答えが出てきました」
「そのような状態でどんな気持ちになりました?」講師は尋ねました。
「とても気持ちがよかったです。プレゼンはこんなに気持ちがいいものなのかと思いました」
講師は参加者の方を向き、続けました。
「皆さん、今のMさんの話がフロー状態に入った様子です。不安や緊張から解き放たれ、持っている能力が最大限に発揮された状態です。フロー状態の特徴は、リラックスしつつやるべきことが意識しなくても次々とできるような状態です。Mさんも経験された、場を支配する感覚もフロー状態の特徴です」
他のメンバーが質問をしました。「何がMさんをフロー状態に入らせたんでしょうか?」
「フロー状態に入るには、課題への集中力を非常に高める必要があります。Mさんの場合は、今までのプレゼンにあった余計なものをそぎ落としたことによって、課題に集中しやすくなったのだと思います。また、聞き手の顔色を気にしなくなったのもいい効果を生んだと思います。より一層、自分のプレゼンに集中ができたのだと思います」
講師は続けました。
「さらに、自分の得意なスタイルを見つけたことも大きいと思います。フロー状態に入るには、適度な自信も必要です。自分の強みであるスタイルで行う割り切りをしたことで、不安が軽減されたのだと考えます。一度フロー状態に入ると、Mさんの言うように気持ちよさを感じ、また次もやってみようという意欲と成功したという自信につながり、よいサイクルに入ります。Mさん、どうでしょう? 自信がついたんではないですか?」
「そうですね。自信がついたと同時に、もっと上手に行いたいという意欲が高くなってきました」
「その感情もフロー状態の効果です。もっとうまく行うために勉強をしようという、よい方向には行っていると思います。ただ、目標が高すぎると、また緊張をしたり不安が生まれたりするので、その点に注意されるといいと思います」
Mさんは講師のアドバイスをもとに、フロー状態の気持ちよさを思い出し、さらにスキルを高めようと思いました。
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