2026年1月3日(現地時間)、ベネズエラは米国の軍事攻撃を受け、マドゥロ大統領が拘束された。「独裁政権」「反米国家」と言われるベネズエラだが、その実態はどうなのか。日経の元サンパウロ支局長による『 ポピュリズム大陸 南米 』(2023年6月刊)より、一部を抜粋してご紹介したい。
「この子、かわいいでしょ。あんた、どう思う?」――2019年9月。ベネズエラの首都カラカス近郊の空港の通関で荷物の検査を受けていると、荷物検査官の若い女性の肩越しに、先輩と思われる少し年配の女性が話しかけてきた。
30度を超える高温にも関わらず、空調は一切動いていない。20代前半に見える検査官の女性は汗をぬぐいながら、黙々と私のスーツケースに入っていた衣服をひとつずつ手にとって中身を確認している。不自然なほどゆっくりした動きの間、「先輩」はカリブ訛りのスペイン語で一方的にまくし立てる。
「ベネズエラほど美人が多い国はないわよ」「ここに来る中国人は多いけど、日本人はめずらしいわね」「この子、パートナーを探しているの」
要領を得ない会話をしばらく交わした後、どうやら買春を持ちかけられているということに気がついた。慌てて断ると、「先輩」はつまらなそうな顔をして去って行った。
残された検査官の女性は肩をすくめながらスーツケースに入っていたチョコレート菓子を指さし、「私、チョコレートが好きなの」と悪戯っぽくねだった。菓子の価格は約2ドル(約216円)。彼女の1カ月分の給料に相当するという。そう言われて、断れるはずがなかった。
彼女とて、好き好んで初対面の日本人に体を売ろうと思ったわけではないだろう。ハイパーインフレで経済が崩壊状態にあるベネズエラでは、税関の職員という公的な立場だろうが、外貨を稼がないと生活が成り立たないという現実があった。
出鼻をくじかれ、釈然としない気持ちで検査を通り抜けて後ろを振り返ったが、女性はまた2人組になり、私の次の男性客に「商談」を持ちかけていた。照りつけるようなまぶしい日差しと、国の入り口で堂々と売春が行われているというコントラスト。ベネズエラという国の現状を物語っているようだった。
ゴミ袋をあさる若者たち
独裁政権、ハイパーインフレ、クーデター未遂……おどろおどろしい言葉とセットになったベネズエラだが、世界最大の原油埋蔵量を誇る同国はかつて中南米で最も豊かな国と呼ばれ、栄華を誇った。カラカス市内に張りめぐらされた高速道路は1950年代に完成し、当時、敗戦後で発展途上国だった日本が参考にしたという逸話もある。
空港で喰らった衝撃が覚めやらぬ中、高速道路に乗ってカラカスの市街地に近づくと、かつての栄華を思わせる高層ビル群が目前に迫ってくる。しかし、近づいてみると、当時から時計が止まったかのようだ。どのビルも古くなり、外壁はくすんでいる。目抜き通りですら、シャッターを下ろしたままの店も多い。故障したまま放置された信号機を前に、渋滞した自動車が車列をつくり、クラクションを鳴らしていた。
自動車を降りて道を歩く。市内の中心部だというのに、1本路地に入ると、ボロボロのTシャツを着た若者たちが集まり、路上に置かれたゴミ袋をあさっていた。飲食店から廃棄されたゴミのうち、腐っていないものを探して飢えをしのぐためだ。飲食店の従業員がゴミ袋を置くと、数名の若者が一斉に集まって袋を開いていた。
思わず目を背けたくなるような光景だが、これもベネズエラの日常だ。取材に同行した現地のジャーナリスト、カルロス・カマチョは「20年前はこんな光景見たことがない。今の政権がすべてを壊した」と呟いた。
強弁する大統領、「我が国に飢えはない」
ベネズエラのマドゥロ大統領は「我が国に飢えはない」と述べ、ベネズエラの惨状を伝える報道はベネズエラに悪い印象を持たせるために米国が仕掛けた「フェイクニュース」だと主張する。
2019年2月には、米国のスペイン語放送局ユニビジョンの取材班がインタビューに応じたマドゥロに対し、取材前に撮影したゴミ収集車から食べ物をあさっている若者達の映像を見せて感想を聞いたが、取材班全員が拘束され、国外退去させられた。
ベネズエラ政府はCLAPと呼ばれる食料配給プログラムを実施している。マドゥロはすべての国民が政府からCLAPを受け取っており、飢えの心配はないと主張する。「21世紀の社会主義」を標榜するベネズエラ政府にとって、食料配給は目玉政策だ。弱肉強食の資本主義国より優れていると国民に示すためにも、絶対に譲れない一線となっている。
言うまでもなく、ベネズエラ政府の主張は現実からかけ離れている虚偽であることは自明だ。カラカス市内の「バリオ」と呼ばれる貧困街の廃ビルで暮らしている33歳のエウヘイロ・ウガスは「ここには食料どころか、水すらない」と嘆く。最後にCLAPが届いたのは3〜4カ月前で、ここ数週間、肉や魚などのたんぱく質は口にしていないという。
エウヘイロは闇市場で仕入れたタバコやパンなどを路上で売って暮らしているが、月の稼ぎは50ドル程度。一見、月給2ドルの公務員よりも恵まれているようにも見えるが、食糧配給抜きではその日暮らしの、生きるためにギリギリの線だ。
国外に脱出しようにも、当座の資金すら事欠く状況と言える。エウヘイロが住む廃ビルには50人程度が身を寄せて暮らしていたが、誰一人、CLAPは受け取っていないという。
隣の部屋に住む、小さい子ども3人を抱える家をのぞくと、ジャガイモをおかずに、水でふやかした米を準備していた。食事は1日に1食。3人の子どもたちは年齢に比べ明らかに小さく、やせ細っていた。
取材中、生まれて初めて見るアジア人に興奮して抱きついてきた4歳の末っ子はやつれており、サンパウロで暮らす私の子どもと同い年だと思えないほど軽かった。
選別される国民
政府は食料を配給していると言い、国民は受け取っていないという。矛盾しているように見えるが、答えは単純だ。マドゥロ政権は食料を配る世帯を選別しているのだ。
インフラは荒廃し、貧困街では水道が止まり、山からの湧き水で暮らしている人々がいる。一方、数キロメートル離れただけのカラカス中心部では小型スピーカーから音楽を流しながら、友人たちと昼から宴会を楽しんでいる人々がいた。
テーブルの一角に座る60歳のグスタボ・ロドリゲスは「15日ごとにCLAPを受け取っているから、生活に困ることはない」とビール瓶を片手に余裕の表情で話す。
ローカルのテレビ局でジャーナリストとして働くグスタボはベネズエラの現状について「石油を狙う米国が仕掛けた経済戦争だ」と力説する。隣のテーブルでグラスを傾けていた66歳のウンベルト・マルケスは呼応するように、リュックから次々と食料を取り出した。パスタ、コメ、牛乳、油……すべて政府からの配給だ。
「政府が国民の面倒を見てくれる、そんな国が世界のどこにある? 日本は豊かな国だろうが、真似できないだろう」と嬉しそうだ。
ハイパーインフレが進む中、現地通貨のボリバルソベラノ(Bs)の価値は紙くずのようになっており、ウンベルトの月給はドル換算で2ドル程度にすぎない。それでも、政府の食料配給や現金支給があるため、十分に暮らせるという。
「今は戦争中だ、我々は戦いを止めない」と誇らしげに語る彼らは、政府から食料などを受け取ることができない国民を「米国の操り人形を支援する、愚かな奴らだ」と切り捨てる。
ベネズエラ、アルゼンチン、チリ、ブラジル。機会の不平等による格差の再生産、貧困の連鎖で、ポピュリズムへの道を突き進む南米。いったい、現地では何が起こっているのか。元日経サンパウロ支局長が描く南米のリアル。
外山尚之著/日本経済新聞出版/3080円(税込み)

