政府に忠誠を誓い、政権に役立つと認められれば生活に困ることはなく、野党を支持すれば食料配給をはじめとした公共サービスから排除される――。このような選別を可能にしたのは、ある「監視ツール」の存在だった。日経の元サンパウロ支局長による『 ポピュリズム大陸 南米 』(2023年6月刊)より、一部を抜粋してご紹介したい。

 カラカス中心部に位置する、ベネズエラを代表する名門病院でもあるベネズエラ中央大学病院。病棟には診察を希望する患者が長蛇の列を作り、建物の外にはみ出していた。列の先頭に立っていた48歳の女性は「朝の6時から4時間並んでいるが、いつ順番がくるのかわからない」とため息をつく。

 心臓に病を抱える高齢の父のために診断のアポを取るべく、2時間かけて西部バレンシアからやってきたが、待ちぼうけを食らっているという。列に並んでいる人たちは皆、同じような境遇だ。医療資材や医療従事者の手も限られる中、優先されるのはコネか金を持っている人々であり、持たざる者はいつくるかわからない順番をじっと耐えて待つ必要がある。

 建前上、すべてが平等であることを謳(うた)う社会であるにも関わらず、命の扱いすら平等でない。

 病院の中庭をのぞくと、トラックの荷台から大きなビニール袋を降ろしている人たちがいた。袋の中身は政府配給の食料品だ。周囲を取り囲むように、白衣や手術着を着た人々が人だかりをつくっていた。貧しい患者を放置して、医師や看護師が自分たちの食料を受け取りに来ていたのだ。

 食料が入った袋を両手に抱えて談笑しながら歩く医師らの姿を、列に並んでいる病人や家族たちが羨ましそうに眺めていた。平等からほど遠いグロテスクな光景だが、異を唱えるものは誰もいない。

「祖国カード」という醜悪な制度

 そもそも、どうやってベネズエラ政府は国民の意思を監視し、食料配給などをコントロールしているのか。その謎を解く鍵が、「カルネット・デ・パトリア(祖国カード)」と呼ばれる身分証明書だ。表面にQRコードと持ち主の顔写真が印刷されているもので、電子マネーとしても使うことができる。

 政府からの現金支給などはここに振り込まれるほか、家族や資産、医療履歴などが記録される。日本のマイナンバーカードよりもよほど先進的で使い勝手がよさそうだが、独裁国家の国民監視ツールとして、これほど醜悪な制度はない。

 祖国カードが最も有効活用されたのが、2018年5月に実施された大統領選だった。再選を目指すマドゥロは自身の支配下にある選管当局や司法を使い、有力野党指導者の出馬を阻止。主要野党がボイコットを呼びかける中、当て馬として出馬したのは全国的に無名の存在であるヘンリ・ファルコン前ララ州知事だった。

 そもそも欧米諸国の選挙監視団が派遣されておらず、公平性の欠片もない選挙だったため、「マドゥロが圧倒的な民意によって再選された」という大勝を演出するために担がれたことは明らかだった。実際、ファルコンの選対事務所を取材したが、選挙中だというのに弛緩した空気が漂っており、スタッフの誰一人として本気で当選を信じている様子はなかった。

 マドゥロ側の支持者も当選が確実視されている選挙に対してやる気はなく、投票直前の大規模集会は地方から大型バスで無理矢理動員された人々が気だるそうに座っていた。

 ステージの上では反米思想で知られるアルゼンチンの伝説のサッカー選手、ディエゴ・マラドーナが登場し、マドゥロへの投票を呼びかけていたが、盛り上がっているのはステージ前の一部だけで、会場には終始、しらけた雰囲気が漂っていた。

 緩んだ空気は投票所でも同様だった。カラカス市内の投票所のそばには与党・統一社会党(PSUV)の職員がテントを構え、投票を終えた人の祖国カードのQRコードをスマートフォンで読み取り、実際にマドゥロに投票していたかどうかを確認していた。椅子に座った職員がダラダラと確認作業をする間、確認されている人は所在なさげに突っ立っていた。

 匿名を条件に話を聞くと、与党は地区ごとに投票率を確認しており、政権への支持が少ない地区は食料配給を止めると脅されていたという。

 外国人の記者である私が写真を撮っても、職員たちは平然としていた。マドゥロが選挙前に「国民の義務を果たした者にのみ臨時ボーナスが配られる」と明言したこともあり、投票の秘密という民主主義の根幹を無視し、国民の投票行動をコントロールすることに疑問すら持っていないようだった。

 こうしたなりふり構わない政策が奏功し、マドゥロは得票率67.8%と、20.9%のファルコンに大差をつけて「当選」した。

投票結果を管理する与党の職員たち。その行動に疑問を持つようすはない(著者撮影)
投票結果を管理する与党の職員たち。その行動に疑問を持つようすはない(著者撮影)
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背後にいる中国テクノロジー企業

 祖国カードを基盤とした国民監視システムの背後にいるのは、強権国家の中国だ。システム開発を請け負ったのは同国を代表する通信機器企業である中興通訊(ZTE)。トランプ米政権が安全保障上の脅威として経済制裁を実施したいわくつきの企業で、米下院諜報委員会は「中国共産党や人民解放軍と密接な関わりを持っている」と指摘している。

 私がカラカスで取材した在ベネズエラの外交筋は匿名を条件に「中国政府は官民一体でマドゥロ政権を支えている」と語った。米国上院外交委員会が20年に公開した報告書では、中国企業が開発した顔認証技術などもベネズエラ国民の監視に使われていることが明らかにされている。

 通信機器大手の華為技術(ファーウェイ)や監視カメラ世界最大手の杭州海康威視数字技術(ハイクビジョン)など、米国から経済制裁を受けている中国企業はいずれもベネズエラ内で大きな存在感を放つ。

ロシア、キューバが支える「反米国家」

 中国と並び、ロシアもベネズエラ政府の後ろ盾となっている。ロシアのプーチン大統領は経済力や軍事力で劣る欧米に対抗するため、世界各地で米国と対立する国を支援していた。距離的に米国の目と鼻の先にありながら反米を国是として掲げるベネズエラは、ロシアにとっても重要な「パートナー」だった。

 当時、日本経済新聞のモスクワ支局長だった古川英治はプーチンの外交について、軍事・経済力による「ハードパワー」、文化や価値観に基づく「ソフトパワー」に劣る国の戦略として、「ダーク(闇)パワー」と呼んだ。

 ベネズエラが反米国家として中南米地域に存在し続けることは、のどに刺さった小骨のように米国の外交上の懸念として残り続ける。ロシアはダークパワーを駆使するため、陰に陽にベネズエラを支援し続けた。

 ベネズエラ産の原油の売り先がないとわかればロシアが代理購入し、ベネズエラ国営企業には融資で資金繰りを助けた。軍事面でも、定期的にロシア軍を派遣することでマドゥロ政権を支えた。

 もっとも、プーチンにとって支援は慈善事業ではない。原油の購入代金は市場価格より安く抑えられ、ベネズエラ軍はロシア製の兵器の購入を強いられた。

 カリブ海に浮かぶ反米国家、キューバもベネズエラ政府を支え続けた。そもそもベネズエラ政府が掲げる反米思想や社会主義思想の原点はキューバ革命だ。ベネズエラ政府はキューバを率いるカストロ兄弟を慕い、米国の制裁で万年経済難のキューバに対し、原油をただ同然で提供し続けた。自国民が飢える中でも、キューバへの経済支援は欠かさなかった。

 表向き、キューバ側はベネズエラに対して医師を派遣することで医療や福祉の改善を支援したとされるが、実態はそれだけではない。軍高官や諜報機関の幹部も派遣し、反政府主義者のあぶり出しや拷問など、ベネズエラ政府の統治にはキューバ政府が伝統的に用いる手段が使われた。

 表向きには民主主義国家を標榜しながら、専制主義国家である中国やロシア、キューバの支援を受け、自分たちに都合の良い国民だけを厚遇し、そうでない国民が飢えようとも知らぬ顔をする。

 それが貧困を撲滅すると謳(うた)って誕生した、21世紀の社会主義の成れの果てだ。

現地特派員による渾身のルポ!

ベネズエラ、アルゼンチン、チリ、ブラジル。機会の不平等による格差の再生産、貧困の連鎖で、ポピュリズムへの道を突き進む南米。いったい、現地では何が起こっているのか。元日経サンパウロ支局長が描く南米のリアル。

外山尚之著/日本経済新聞出版/3080円(税込み)