ベネズエラのカリスマ、チャベスが2013年に急死。あとを継いだのが副大統領のニコラス・マドゥロだった。資源バブルが崩壊するとベネズエラ経済は急速に悪化、反対勢力を抑えるためマドゥロ政権はますます独裁へと傾いていく。ハイパーインフレに苦しむベネズエラのようすを取材した、日経の元サンパウロ支局長による『 ポピュリズム大陸 南米 』(2023年6月刊)より、一部を抜粋してご紹介したい。
事実上の独裁体制を確立したにも関わらず、経済は行き詰まりが明らかで、ベネズエラ政府は対外債務すら払えない状況が続いていた。
2017年11月、金融派生商品の業界団体である国際スワップ・デリバティブズ協会(ISDA)は、ベネズエラ政府と国営石油会社(PDVSA)について、利払い遅延を理由に債券がデフォルト(債務不履行)状態にあると認定した。12月の時点で、物価上昇率は年率2600%を超えていた。
マドゥロ政権の経済政策は迷走を続ける。マドゥロは2018年2月、同国独自の仮想通貨「ペトロ」を発行すると発表した。
当時、世界的にビットコインが流行しており、仮想通貨業界では派生的に「草コイン」がつぎつぎと誕生。価値の裏付けがない仮想通貨が富を生み出すバブルを外貨獲得の手段として利用しようと狙ったものだ。世界最大級の原油を担保にするとしており、マドゥロは「世界で初めて天然資源に保証された仮想通貨を発行した」と誇らしげに語った。
しかし、ハイパーインフレでデフォルト状態にある国の発行する仮想通貨を信用する投資家がいるはずもない。世界の仮想通貨交換所でペトロは取り引きされず、仮想通貨で外貨を獲得するという計画は頓挫した。
相次ぐ外資の撤退、違法な操業
混乱に収束が見えない中、外資系企業はつぎつぎとベネズエラを見捨てていく。食品世界大手の米ケロッグは5月、ベネズエラの工場を閉鎖すると発表した。首都カラカス近郊の工場でシリアル食品などを製造していたが、経済混乱により、工場の稼働率が低迷していた。
同業のゼネラル・ミルズや日用品メーカーのキンバリークラーク、自動車大手のゼネラル・モーターズなど、多くの企業が既にベネズエラを去っていた。
言うまでもなく、企業の撤退は雇用の喪失につながるため、政府としては痛手だ。そのため、多くの国では補助金やビジネス環境の整備で海外企業を引き留める。
しかし、経済は政府がコントロールすべきものだという認識を持った左派政権にとって、こういった正攻法が選択肢にあがることはない。マドゥロ政権はGMやケロッグの撤退は憲法違反だとして、工場を接収。国営企業として操業を続けた。
部品不足から自動車生産は継続できなかったもようだが、ほどなくして、カラカスのスーパーには国営企業ケロッグ・ソシアリスタ(社会主義者)によるシリアル製品が出回るようになった。パッケージの正面には、ケロッグのロゴが堂々と使われた。
私的財産や知的財産を完全に無視しており、国際的にも到底認められない行為だが、既に民主主義を否定し独裁体制を築いたベネズエラ政府が海外企業からのクレームでブレーキを踏むことはなかった。
「1カ月働いても牛肉1パックも買えない」
物価上昇率は年率2万4000%を超え、多くの国民が海外に脱出する中、2018年5月に大統領選が実施された。野党の主要候補は政権の妨害により出馬すらできず、選挙監視団はロシアやキューバなど反米の友好国が中心。先の制憲議会選や統一地方選知事選で投票結果を操作していたという「実績」もあり、選挙前からマドゥロの再選が確定している茶番だった。
大統領選そのものに興味はなかったが、折角の機会なので、カラカス市内を実際に取材することにした。
「1カ月働いても牛肉1パックも買えない。うちの子どもはもう何カ月も牛乳を飲んでいない」。選挙前日の5月19日。快晴の土曜日にもかかわらず、32歳のジェニー・ジェペスは朝からいらだっていた。
極度の物不足により、ベネズエラの多くのスーパーでは入場制限を実施。朝から数時間並んでも、なにも手に入らないことが日常茶飯事だ。私も1時間ほど取材を兼ねて並んでみたが、スーパーの入り口から外に続く長蛇の列はほとんど動かなかった。
店員との交渉により、スーパーの内部も見せてもらったが、精肉コーナーの冷蔵ケースは空の状態で、電源も入っていない。肉や魚はまったく手に入らない状況だという。政府が価格統制で値上げを禁じたことで、商売が成り立たなくなっているためだ。それでも、市民は小麦粉や野菜を求め、強い日差しの中、じっと順番を待っていた。

970,000,000ボリバルという天文学的価格
行列ができているのはスーパーだけではない。「何時間待てばいいんだ。俺の金を返してくれ」。街中では、銀行の前にも人だかりがあった。ハイパーインフレに紙幣の印刷が追いつかず、口座に預金があっても引き出せない状況だという。預金者が行員と口論する様子は、かつて歴史の授業で学んだ、昭和恐慌時の取り付け騒ぎを思い起こす。
「1カ月で価格が2倍になる状況が続いており、もはや誰も政府や通貨を信用していない」。カラカス滞在中に取材したエコノミスト、ヘアン・ポールはこう指摘する。
ハイパーインフレであらゆる商品の値札にはゼロが並び、家電量販店で販売する液晶テレビは9億7000万ボリバルソベラノ(Bs)と、天文学的数字をたたき出す。コーヒー1杯飲むのにも札束が必要な状況下、デビットカードやスマホを使った送金が主な決済手段となるキャッシュレス化が急速に進んでおり、私がベネズエラ滞在中、現金に触れる機会はほとんどなかった。
カラカス市内の幹線道路には原油輸出で潤った往時を思わせるように、世界中の自動車メーカーのディーラーが軒を連ねる。しかし、どの店舗もショーウインドーの中は空っぽで、がらんどうの空間が広がっていた。平日でもシャッターを閉めた店が多く、かつての繁栄が幻のようだ。
物不足は広範な産業に影響を及ぼす。カラカス市内の地下鉄の駅では、人々が何も持たずに改札を通過していく。インクや紙といった物資がないため切符を発券できず、無料で鉄道を開放していたためだ。
反政府的なメディアを弾圧
ハイパーインフレはこの後、さらに加速。携帯電話が数十億Bsという価格を記録する中、マドゥロ政権は通貨のケタを5ケタ切り下げるデノミを実施したが、焼け石に水でしかなく、2019年1月には年率268万%を記録する。
なにもかもが破綻している状況だが、ベネズエラのメディアが事実を伝えることはなかった。チャベスは自身に批判的なテレビ局を閉鎖させるなど反政府的なメディアを弾圧したため、多くのメディアはマドゥロ政権の発足後も政権に都合の悪い報道は控え、ひたすら政府を礼賛しながら経済苦境はすべて米国の仕掛けた経済戦争のせいだとする大本営発表を垂れ流した。
カラカスでの取材で訪れた日刊紙エル・ナシオナルは政府に目をつけられた1社だ。75年の歴史を誇る新聞だが、政府に批判的な論調だったため、嫌がらせで紙やインクの輸入を止められた。
大統領選直前だというのに社内に熱気はなく、電灯もほとんどついていない編集フロアの一画で細々と編集会議を行っていた。フロアの大半は空席で、ほとんどの机がほこりをかぶっていた。
「普通の取材をしているだけなのに、テロリストとして逮捕されるリスクがある」「数年前は300人の記者がいたが、みんな海外に出て行ってしまった」。記者や編集者たちは口々に、もの悲しそうに語る。
同年12月、ナシオナルは廃刊を決めた。地元メディアが報じることはなくとも、ベネズエラ全土で品不足が解消されることはなく、難民としてベネズエラ国民が周辺国に流出する状況は加速していった。
ベネズエラ、アルゼンチン、チリ、ブラジル。機会の不平等による格差の再生産、貧困の連鎖で、ポピュリズムへの道を突き進む南米。いったい、現地では何が起こっているのか。元日経サンパウロ支局長が描く南米のリアル。
外山尚之著/日本経済新聞出版/3080円(税込み)
