時価総額世界一を2024年6月に達成した米エヌビディア。その急成長のきっかけとなったのが、台湾積体電路製造(TSMC)との取引開始と、GPU(画像処理半導体)の開発である。『NVIDIA(エヌビディア)大解剖』(島津翔著、日経BP)から一部を抜粋してお届けする。
エヌビディアとTSMCの蜜月の始まり
1990年代の後半、エヌビディアの最高経営責任者(CEO)、ジェンスン・ファン氏は、製品開発と同時にもう1つの挑戦に取りかかっていた。台湾積体電路製造(TSMC)との取引開始である。今や世界トップのファウンドリーであるTSMCは当時から高い技術を持っており、ファン氏は生産をTSMCに委託しようと考えていた。
実は1993年のエヌビディア創業時、ファン氏はTSMCに連絡を取っている。2007年、シリコンバレーのコンピューター歴史博物館で開かれた講演会で、ファン氏はTSMCのカリスマ創業者である張忠謀(モリス・チャン)氏と対談し、そのことを明かしている。2人が当時を次のように振り返ると会場は笑いに包まれた。
モリス・チャン氏「1990年代の初頭にもいくつかのファブレスが台頭し、我々もその動きを助けました。彼らは私たちがいなかったら(ファブレスのビジネスを)始めなかったかもしれない」
ジェンスン・ファン氏「エヌビディアが1993年に創業した時、我々には利用できるファウンドリーがありませんでした」
チャン氏「いや、私たち(TSMC)は既に存在していたけど、あなたは検討しなかったでしょう?」
ファン氏「検討しましたよ。電話したんですが、折り返しがなかった」
チャン氏「1993年ですか?」
ファン氏「オフィスの誰かに電話したんです。間違った番号にかけたのかもしれない」
ファン氏はチャン氏に手紙を書いた。また無視されるだろうと期待していなかったが、エヌビディアのオフィスの電話が鳴った。当時のエヌビディアはRIVA 128の出荷で慌ただしかったという。台湾紙の工商時報は、当時の様子を次のように報じている。「私はTSMCのモリス・チャンです」。ファン氏はそれを聞いてすぐに叫んだ。「モリス・チャンからの電話だ! 静かにしてくれ!」。この電話が、以来25年以上にわたって続くTSMCとエヌビディアの関係の始まりだった。
1998年、エヌビディアとTSMCは提携する。エヌビディアにとって第4世代となるRIVA TNTはTSMCが製造することになった。ともに台湾出身で米スタンフォード大学の卒業生でもある2人は厚い信頼関係を築く。エヌビディアはRIVA TNT以来全ての世代でTSMCに協力を仰いでいる。チャン氏はファン氏を経営者として高く評価し、2024年11月に出版した自伝では、2013年にTSMCの後継者としてファン氏をスカウトしたことを明かしている。2度の勧誘にも、ファン氏は「既に仕事がある」と断ったという。
1999年はエヌビディアにとって記念すべき年になった。1つは、上場である。グラフィックス・チップRIVA 128とRIVA TNTの成功で急成長したエヌビディアは、1999年1月22日、米ナスダックに新規株式公開(IPO)した。売り出し価格は12ドル。株価は当日終値で20ドル近くまで急騰した。まだインターネットバブルが弾ける前。ハイテク株のIPO祭りが続いていた時代だ。
世界初のGPUの誕生
パソコンの普及や人気ゲーム機の台頭に伴って、グラフィックス・チップ市場は熾烈な競争が繰り広げられていた。新興の米3dfxインタラクティブや米S3グラフィックスが台頭する中、カナダのATIテクノロジーズや米インテルも加わって日進月歩の性能競争が続いた。開発にかかる時間を短くし、半年に一度、新製品を出すエヌビディアに引っ張られるように、各社もこぞって開発サイクルを短縮化していた。
この最高性能争いにおいて、決定的な製品を開発したのもエヌビディアだった。エヌビディアは公式ブログで1999年を次のように振り返っている。「映画『マトリックス』のVHSを借りるためにビデオチェーンに長い列ができ、2000年問題への備えを怠らない人々は世界的なコンピュータークラッシュを恐れて現金を貯め込んだ。10代の若者たちは(ファイル共有サービスの)ナップスターでブリトニー・スピアーズやエミネムの楽曲を嬉々としてダウンロードしていた。でも、ミレニアムの変わり目の熱気の中で、もっと革新的な何かが展開されていた」
「これはもうグラフィックス・チップではない。『グラフィックス・プロセッシング・ユニット(GPU)』と呼んでほしい」。1999年8月31日にシリコンバレーで開いた発表会で、ファン氏はこう息巻いた。歴史に名を刻む世界初のGPU、「GeForce(ジーフォース)256」の登場である。価格は約300ドル。圧倒的なグラフィックスの描画性能だけでなく、それまでの常識ではCPUで行ってきた座標変換(3次元の物体を移動させる処理)や陰影を付ける計算もグラフィックス・チップで担うという新機軸を打ち出した。

これにより、3次元グラフィックスのほぼ全ての作業を行うことができる。ファン氏がただのチップではなくGPUと名付けたのは、こうした理由があった。以後、座標変換と陰影計算を実行する機能(ジオメトリエンジン)を持つグラフィックス・チップを、業界はGPUと呼ぶことになる。
ジーフォースの登場を、世界中のゲームメディアはこぞって「衝撃的」と報じた。惜しくも2024年に幕を閉じた米老舗テックレビューサイト「AnandTech」はジーフォース256をこう評した。「ゲームを起動した直後、タイトルを見たことさえなかったかのように(別物に)感じる」
翌2000年には、マイクロソフトが開発を進めていたゲーム機「Xbox」に搭載するチップへの採用が決定。2社は将来的な供給に関する業務契約を結んだ。マイクロソフトがエヌビディアに対して2億ドルを前払いするという異例の契約だった。最高性能争いで一歩抜け出したエヌビディアはこうしてライバルを蹴散らし、3次元グラフィックス・チップ改めGPUで圧倒的な存在感を示すようになった。
AI(人工知能)への足掛かりはこうして築かれたのだった。

[日経ビジネス電子版 2025年3月27日付の記事を転載]
島津翔(著)、日経BP、1980円(税込み)
