日経文庫『人材マネジメント入門』(守島基博著)は、人材マネジメントの考え方を、獲得、育成、評価などのステップを追って解説しており、2004年の刊行以来、20年にわたって読み続けられているロングセラーです。本書から抜粋、再構成してお届けする連載の第2回は、人材を獲得する際に必要な「人材スペック」の明確化について取り上げます。
人材スペックの明確化
どのような方法を使うにせよ、人材を獲得するにあたっては、人材の種類や、採用したい人材の能力・資質を明確にしなくてはなりません。つまり、求める人材について必要なスキルや能力・資質などを言語化し、募集や採用のための基準として示す必要があります。こうした人材像の明確化を、「人材スペックの明確化」と呼びます。
人材スペックの基礎にあるのは単純な考え方です。採用にあたって、必要な人材像(能力や資質や、組織との長期的な関係のあり方などまでを含めて)を、ある程度明確にしておくべきだという主張です。スペックという言葉は、ハイテクなど技術系労働者の採用に際して、求める人材について必要なスキルや能力を言語化したことから使われはじめました。最もわかりやすいのが、資格や特定分野における知識です。比較的容易に言語化されやすいため、採用において多くの企業が「スペックをきって」募集や採用を行っています。
また、こうした考え方は、単に技術系人材の獲得だけではなく、他の人材にも応用されます。さらに人材像の明確化は、人材の獲得だけではなく、育成、配置転換、評価など、その他の人材マネジメントを遂行するうえでも重要です。考え方を紹介する意味で、1つの例として、著者が提案した人材スペックの5項目を以下に示しました。
2 組織との関係のあり方(雇用形態のあり方)
3 組織文化と価値観の共有度
4 変革する能力(メタコンピテンシー)
5 異端児性:予想しないことを仕掛ける能力
まず第一は、戦略から導かれる役割遂行能力です。つまり、人材がもつべき、戦略を達成したり、役割を遂行したりするための能力です。重要なのは、こうしたコンピテンシーや能力に関するスペックを、あくまでも戦略まで戻って明確化することです。
ただ、注意しておくべきなのは、ここでいう戦略とは、短期的な事業上の目的だけではなく、もう少し長期の企業ビジョンや、企業がどの分野でビジネスをしていくかという事業ドメインまでを含むということです。
わが国のように、企業の戦略も経営における長期性が重要で、人材の雇用も長期的に行われることが多い場合、俊敏な戦略転換が難しく、短期の戦略だけではなく、長期的にしか変化しないビジョンやドメインを基礎にして、必要な能力やスキルを明確化することが必要だと考えられます。そのため、第一の項目は、企業の戦略だけでなく、将来にわたっての事業ドメイン(事業領域)に関連する知識や能力だと考えていただいてかまいません。
人材スペックとして2番目に重要なのが、組織と個人との関係です。企業からみれば、その人材を長期的に育成してさまざまなポストを担う人材として育てていきたいと思っているのか、それとも短期的に今の仕事に必要な人材を採用したいと思っているのかに関わる区別です。
具体的には、このスペックは、企業と個人の雇用形態のあり方に最も大きく反映されると考えられます。一般的に、長期的に雇用される人材は、1つの仕事のためだけに採用されるのではなく、その後の育成や配置を通して人材としての価値を変化させていくと考えられます。またその逆が、短期的で、今の仕事のためだけに労働力を提供するタイプの人材スペックです。
組織文化や組織の価値観を共有する
人材スペックの第3項目は、組織文化や、組織の価値観の共有度です。これは、組織の達成したい戦略目標ではなく、組織の文化や価値観を具体的に共有している程度を、採用やその他、仕事と人のマッチングを考えるうえで、人材スペックの一部とする考えです。
例えば、ホンダなどのように、全社的に価値観の共有を徹底することで企業としてのアイデンティティと活力を維持しているところがよい例です。
ただ、ここで興味深いのは、アルバイトやパートタイマーなどについても、価値観の共有を従業員の選抜と評価の重要なポイントとして位置づけている企業があることです。外食や小売などの業態で成功している企業によくあるパターンです。
こうした業態では、個人の行動がより自律的になり、個別の従業員の判断によって顧客への対応が決まる可能性が高いからです。もしくは、マニュアルなどによる細かい指示では、個別状況まで対応しきれないからでもあります。このような場合、従業員の判断の指針として、価値観の共有化が必要です。このような価値観共有の重要性は、人材に自律的な働き方を要求する戦略においては、共通に適用されるスペックになりつつあります。
第4に、変革をリードしたり、組織の変化に対応していったりするための能力があります。あいにく変化に対応する能力については、人材マネジメント上多くは語られていません。変革とは未来への適応です。将来のイメージを描き、それに対応していく方法を考えたり、新しいやり方を学習したりする能力が不可欠です。そこで、リスクに対する態度や価値観、論理的な推理力(未来を描く能力)、学習していく能力などが必要だと思われます。
第5に、「異端児性」があります。筆者はこれを、人材スペックの「その他基準」と呼んでいます。人材スペックのその他基準とは、「一芸に秀でる」ということです。基準の内容は、極端にいえば何でもよいのであって、今の戦略や将来のビジョンと直接関連はしないので、特に指定することはありません。しかし、企業が急激な変革をしなくてはならないときに、企業にとって重要なイノベーションが異端児から出てくる場合も多いのです。
もちろん、こうした異端児能力の多くは無駄に終わるかもしれません。しかし、企業が急激な(したがって、論理的に推測が難しい)変革へ向けて、ある程度のヘッジをしておくためには、こうした人材上のスラック(余裕)は必要です。
採用はスペックだけではない、でも
ただ、最近の研究(例えば阿部正浩らの研究)によると、こうしたスペックは実際の採用においてあまり役に立っていないようです。実際、職種や業種、経験、資格などのスペックについて、企業と個人の一致度でみた場合、採用者と不採用者で大きな差はありません。つまり、企業の求めるスペックと、個人がそのスペックをどれだけ充足しているかの一致度は、採用者と不採用者で違いはないのです。こうした傾向について阿部らは、採用決定にあたっては、言語化しやすいデジタル情報よりは、言語化しにくいアナログ情報(性格や人柄など)が重要なためであろうと推測しています。
確かにそうなのでしょう。「採用は最後は人柄だからね」とか「人は技能じゃないよ、心だよ」などという表現も聞かれます。しかし、それでは経営の一機能としての人材マネジメントは始まりません。
スペックを指定して採用することは、企業が戦略達成や競争力を維持するための人材を獲得するために必要な第1ステップなのです。人材がどういう能力をもっていて、変革を受け止める能力や意思があるかなど、スペック上の条件をクリアしてはじめて心や性格の議論ができるのです。スペックを無視して、人柄のよさや性格などで採用するわけにはいきません。その順番で考えるために、人材スペックは重要な手がかりなのです。そうでないと、人材マネジメントはいつまでたっても「名人芸」の域を出ず、科学になりません。
20年間売れ続けるロングセラー。勝ち組企業となるためには、全社的視点からの人材活用が必要だ。その答えを提供するのが人材マネジメントだ。本書は、人材マネジメントの考え方を、獲得、育成、評価などのステップを追って解説する。
守島基博著/日本経済新聞出版/913円(税込み)

