その本の「はじめに」には、著者の「伝えたいこと」がギュッと詰め込まれています。この連載では毎日、おすすめ本の「はじめに」と「目次」をご紹介します。今日は中山淳雄さんの『 エンタメビジネス全史 「IP先進国ニッポン」の誕生と構造 』です。

【序 章】

「遊びは子供のためのもの」という嘘

 アニメやゲームからおもちゃに至るまで、「エンタメ」「コンテンツ」「遊び」と言われる領域は、“大人になる前の子供が社会性を身につけるための遊び”として取り扱われてきた。未熟な子供たちは、狩猟の練習のために格闘する子ライオンのごとく、遊びを通してチームの作り方や勝負事を覚え、次第に立派な大人として社会に組み込まれる「労働」を身体化させていく。遊びは大人の階段をのぼるための道具であり、国家と大人たちはそれを社会の構成員を育てていく一要素として取り扱ってきた。
 ……というのは嘘である。エンタメ/コンテンツ/遊びは元来、子供向けのものではない。エンタメは「大人」こそが熱狂してきた領域で、実は「子供」が消費者として対象になっていったのは、日本では大正時代、欧州や北米でも20世紀に入ってからの話である。大人が興じてきた遊びが、思考のトレーニングや社会の予行演習になる、もしくは子供向けだからこそ消費・市場が伸びるということで、あとから子供向けに作り替えられたのである。
 そもそも子供に教育を与えて、社会全体の生産性を高めようという発想自体が近代に入ってからのものであり、それ以前は子供といえども労働力でしかなく、“未熟な大人”として数えられるような時代が一般的であった(01)。子供が労働力であった時代は、彼らは遊びも教育も与えるべき対象ではなかった。

 世界最古の遊びとして、紀元前3000年ごろのボードゲームの「セネト」が挙げられる。古代エジプト人が楽しんだ2人用のスゴロクのような遊びは、壁画に描かれ、埋葬された墓にも納められている。同じようなスゴロク形式の「バックギャモン」は紀元前2000年のボードゲームで、これは1960年代に再び人気を博し、国際バックギャモン協会も設立されている。こうした遊びが日本に伝来したのが7世紀の奈良時代、ここで「双六(すごろく)」という言葉に変換されて人気を博し、持統天皇から「雙六を禁(いさ)め断(や)む」と禁止令が出されたことが『日本書紀』にも出てくる。
 遊びの持つ強すぎる魅力は、「賭博」に容易に転化しがちで、支配層はその賭博を常に規制の対象としてきた。8世紀の大宝律令にも出てくるが、賭博の徒をとらえた官吏はその懲罰金の「50%」を自分のものにしていい、という驚くほど高いインセンティブを与えている。賭博に対して捕縛・密告・自首の奨励が常にあったということは、そのくらい禁令が効果をなさず、民衆が常に賭博とともにあったことを逆に証明している。

01 フィリップ・アリエス(著)、杉山光信・杉山恵美子(訳)『〈子供〉の誕生 アンシァン・レジーム期の子供と家族生活』みすず書房、1980

混然一体のインセンティブが働いて経済を回す

 労働が光であり、遊びは影である。というのは誰が言い始めたのだろうか。国民国家の時代となってから、「国民」が管理の対象となり、労働をすることが“向社会的である”と言われ始め、家族はその教育状態から生産人口の増加のための出産に至るまで、計測の対象となった。この400年ほどの間に、エンタメは向社会的なもの(合法な遊び)と反社会的なもの(非合法な遊び)に線引きがなされ、徴税のためにも、やれ刺激が強い賭博は非合法なものだ、などと「遊びの分割統治」がなされるようになった。
 だが労働だけでなく遊びもまた、経済を回す立派な一要素である。そもそも20世紀になって舞台、映画、テレビ、出版などエンタメのクリエイターによる生産・供給量が爆発的に増えるのは、それが「儲かるから」にほかならない。皆がチケットを買って観てくれるから新しい歌舞伎が創作されてきたし、書籍や雑誌が全国に流通するようになったから夏目漱石や川端康成といった「作家先生」の商売が成り立つようになった。楽しませたいという〝純粋な〟気持ちの裏側には、もっと多くの人に影響を与えたいという影響欲や、それによって資本がどんどん回転・増幅するという資本投下インセンティブがあり、これらが混然一体となってエンタメ業界を回してきたのだ。
 1990年から日本は競争劣位に陥り、GDP成長という意味ではOECD諸国と比較して一人負けに近い状況にあり、「失われた30年」などと自嘲してきている。
 だが、少なくともエンタメ業界においては様相が異なる。出版、テレビといった旧来型のマスメディアコンテンツは20年以上も下り坂にあるが、ゲームやアニメは世界に冠たるプロダクトとなっているし、電子マンガ、ライブ配信、2.5次元舞台、テーマカフェ、アニメイベント、Vチューバーなど急成長しているサブジャンルが非常に多い産業でもある。
 なによりその経済規模は、かつて我々が“大人の階段をのぼるための道具”として教育に利用してきたときとは隔世の感がある。日本では年間300兆円が民間消費の総額だが、そのうち衣食住など「生活必需品」と言われるもの以外の、いわゆる「無駄なもの」に消費されるのは50兆円、全体の15%程度に達する。年収300万円の人でも、そのうち45万円くらいは、友達と飲み会に行ったり、映画を観たりコンサートに行ったり、ガチャを回してみたりするものだろう。なかなかの金額である。

アニメ、ゲーム、マンガを「生み出す人たち」を愛す

 本書は大人のためのエンタメ本である。その経済規模、社会的意味、個人にとっての意味を歴史的に分解していく。
 本書は、アニメ、ゲーム、マンガを愛する人たちだけのものではない。「花を愛するのに、植物学は必要ない」と小説家の稲垣足穂が言ったように、その中身や誕生の過程を知ることとその作品を愛することには直接的には関係がない。時計の中身を知ったからといって、その機能から得られている我々の満足は必ずしも向上しない。
 だがその歴史的な生産体系と変化を知ることは、このエンタメの持つ魅力の根源的な解明につながり、なにより多くの生産者を生み出す教本になりえるだろう。体系的にエンタメ全般の産業構造と成り立ちをまとめることは、21世紀に入って注目を集めてきたこの分野をさらに羽ばたかせるためのヒントになりえるのではないか? そう思って筆をとり始めた。
 この本はアニメ、ゲーム、マンガを「生み出す人たち」を愛するための本である。彼らはどうしてこの領域に「意味」を見出し、自らの人生を賭けて、当たるも八卦(はっけ)、当たらぬも八卦のこの業界に飛び込んできたのか。
 人気者のアイドルと売れない地下アイドルよろしく、一度ヒットすれば嫌でも視線や関心はコントロールできないほど膨れ上がるのに、そこに至るまでは、どんなに愛嬌を振りまきプロモーションをしても誰も見向きもしてくれない。
 欲しくて欲しくて仕方ないものは、100人に1人、いや1000人に1人だけが独占してしまい、あまりに不平等に配分された大成功とそれ以外の無用の産物に囲まれた不思議で不可解な世界。それがエンタメである。
 この世界に潜む不合理性や不可思議性に、理を持ち込み、設計図に基づいて再現するという学問があってもいいのではないか。
 私が「エンタメ社会学者」を名乗り、10年以上にわたってゲーム、アニメ、演劇舞台、スポーツなどを手掛けるビジネスをしてきた経験を昇華させるべく、早稲田大学、シンガポールの南洋理工大学、慶應義塾大学で教壇に立ちながら著書にその過程をまとめあげてきたのには、こうした背景がある。私もまたエンタメ産業の不思議で不可解な世界の魅力に囚われた1人である。

エンタメを産業として分析する

 本書は、いかにエンターテイメントの領域が経済を回し、社会的な関係性の潤滑油となり、個々人が前向きに生きるための「好ましく循環する社会」に貢献しているかを明らかにすることに真正面から取り組むものである。
 参考にしている1冊の本がある。ハロルド・ヴォーゲルの“ Entertainment Industry Economics ”である。米国で最重要産業と目されるメディア・エンターテイメントの業界を幅広くカバーし、映画、テレビ、音楽は当然として、ゲームやミュージカル、果てはスポーツからギャンブルに至るまで、10以上ものエンタメ業界の産業構造について解き明かした名著である。財務会計に始まり、開発やマーケティングなど産業機能まで詳細に説明されており、これほど広く深くエンタメ産業をカバーしている書を私は他に知らない。
 著者ハロルド・ヴォーゲルはメリルリンチの産業アナリストとしてこの本を記し、コロンビア大学などで教鞭をとりながら常にアップデートを続けており、1986年の初版に始まった同書は、3~5年ごとに書き加えられ続け、35年目となる2020年には10版がリリースされた。スティーブ・ジョブズとともにピクサーを世界的企業にしたCFOのローレンス・レビーも、業界に入るにあたり、最初に目を通したのが同書である(02)
 なぜ同じような本が日本にないのか、といったところから私の疑問は始まった。
 私は“Entertainment Industry Economics”を切に必要とした時期がある。2017年、早稲田大学と南洋理工大学で非常勤講師として「エンターテイメントビジネス戦略」という講座をもち、90分×15コマ=約23時間にわたって英語でエンタメ業界について講義するにあたり、とにかく困ったのである。英語でエンタメを全部説明しなくてはいけない! そのとき「英語で書かれたエンタメ全般の産業論」としての唯一無二の同書にたどり着いた。
 だが同書は北米を中心としたもので、ジブリや東映アニメーションは出てこないし、任天堂やソニーについての記述も少ない。『ガンダム』や『ドラゴンボール』についての言及もない。
 「エンタメ社会学者」と私が名乗り始めたのはこの2017年だった。当時は『カードファイト!! ヴァンガード』や『BanG Dream!』、新日本プロレスといったエンタメコンテンツを展開するブシロードの海外担当役員として事業を行いながら、学者を兼務していた。
 エンタメ社会学者とは何か。私の定義では、人の集団や価値観、文化形成の構造を解き明かすあらゆる仕事は社会学に含まれる。ときにアニメやゲームを作ってファンが形成される過程そのものが社会学としては格好の分析材料である。リクルートスタッフィングやDeNA、バンダイナムコスタジオ、ブシロードといった会社を渡り歩きながら、また事業者として利益最大化を最重要ミッションとしながら、私はどこか学者然としてその現象そのものを誰もが咀嚼できるように引いて分析しようと試みるもう1人の自分を守り続けてきた。
 事業者であり学者であった私は、10年以上エンタメビジネスをしながら、同時に趣味で同ジャンルの歴史書から解釈本まで読み続けてきた(ざっと数えるだけでも1000冊ほど)。また21世紀に入ってからは「クールジャパン」という掛け声のもと、日本のコンテンツで海外市場をとっていこうという動きが行政も巻き込んで広がった過程も見てきた。それはソ連崩壊後に音楽グループのタトゥーを世界展開したロシアや、通貨暴落後にドラマを海外展開した韓国がそうであったように、「挫かれたプライドを、ソフトな商品の文化浸透力によって回復させる試み」であった。
 自分たちの文化が自分たちと異なる社会の人々に受容されることは、自分たちのアイデンティティの確認にもなる。日本も例外ではない。世界2位の経済大国でありながら、「失われた30年」の中で様々な経済指標で他国に追い抜かれ続けてきた日本にとって、エンタメは経済規模こそ限定的だが、海外における自分たちのプレゼンスを取り戻す道具の1つになるものではなかっただろうか。
 2014年にバンダイナムコスタジオのカナダ開発拠点副社長として初めての海外赴任をしたときに驚いたのは、『パックマン』の影響力の大きさであった。バンクーバーにある50余りの開発会社のほぼすべてに足を運んだが、誰1人としてパックマンに影響を受けていないトップはいなかった。当時30~50代の経営者たちは、すべからくパックマンに熱狂した30年前の思い出を昨日のことのように語り、バンダイナムコが「再び」あのときのように輝く姿を期待してくれた。
 ……そう、1990年代には世界の市場の7~8割を占めていた日本のゲームソフトだが、2000年代にはすでに北米でずいぶんと存在感を失い、EA(エレクトロニック・アーツ)やアクティビジョン・ブリザードのような新進気鋭の地場ゲーム会社のソフトが台頭していた。日本のソフトは市場の2~3割くらいといったプレゼンスに落ちていた。日本が世界のゲーム産業を作ったと言っても過言ではないのに、なぜ存在感が失われたのだろうか?

02 ローレンス・レビー(著)、井口耕二(訳)『PIXAR〈ピクサー〉 世界一のアニメーション企業の今まで語られなかったお金の話』文響社、2019

「放置されたサブカル領域」だった日本のエンタメ

 エンタメ産業をきちんと分析するアカデミックな動きは、日本では見られただろうか? 大学にゲーム学科ができたのは2003年の大阪電気通信大学が最初である。さらに歴史が古く、ゲーム同様に日本発の産業と言えるマンガの学部設立に至っては、京都精華大学の2006年である。だが、ゲームもマンガも国立大学での学部学科の新設は2022年の今をもっても果たされていない。
 かたや米国では、アイビーリーグの一角、南カリフォルニア大学は2002年にインタラクティブメディア&ゲーム学部を設置している。ゲームに関しては「次の映画産業だ」と多くの大学が2000年代に次々と公式学科を作り、2010年前後には全米で250校を超える大学がゲームのカリキュラムを備えている。
 米国でも1990年代においては、ゲームの教育が「高等教育」ではなく「職業訓練」としかみなされていなかった。だが1999年にエンターテイメントの専門大学院(ETC)が先端事例として設立されてから、ゲーム産業振興を熱望するランディ・パウシュがディズニーやエレクトロニック・アーツでも働いた経験を論文化し、次第に共通基盤化していった(03)。省庁によるトップダウンではなく、草の根研究者のボトムアップな情熱と研究から、実際に多くの大学がそれを取り込んでいくオープンさがあった。
 これに対して日本では、エンタメは「放っておかれたサブカルチャー領域」だった。「まともな大人たち」はこの業界に取り合わなかった。
 「ファミリーコンピュータ」の大ヒットによって驚異的な高収益企業となった任天堂は証券市場や企業研究者など一部からは注目されたかもしれないが、その規模は50億~60億ドルの北米ゲーム市場における成功であり、1兆2000億ドルの米国自動車業界でGMに立ち向かうトヨタ自動車やホンダ、1000億ドルのホームエレクトロニクス業界でGEに立ち向かうソニーや松下電器産業(現パナソニック)のような「主要産業の攻防」こそが日本経済にとっては重要だと思われていた。
 ゲームにしてもこのありさまで、ましてアニメやマンガといったジャンルは完全に産業としての分析の対象外だった。きちんとこの領域を構造化し、その産業に入る人材を育て、エコシステムを回転させよう、といったウェーブとならず、ゲーム、マンガ、アニメが好きなクリエイターや社会のはぐれ者にひたすらお任せしていた。
 米国が産官学の三極体制で映画の「ハリウッド」を作り上げたようなチャンスは日本にもあり、たとえばゲーム業界において東京や京都、大阪は世界的に良いポジションにあったはずだが、その存在をさらに飛躍させていくチャンスを日本はみすみす逃してしまった。
 シリコンバレーが格好の事例だが、1つの産業、1つの地域、1つのクラスターが輝くのに、企業プレイヤーの力だけでそれが実現できることはほとんどない。そこには人を育てる大学があり、スタートアップを育てるベンチャーキャピタルと新興企業を歓迎する文化があり、移り変わるユーザーの嗜好に対応して新陳代謝するバラエティのある作品群があり、マネタイズの試行錯誤を許す資本力がある。産業育成とは「経済圏」であり、各個別のプレイヤーのみの試行錯誤によってにわかに出来上がるものではない。
 私がエンタメ社会学者としてやりたいことは、日本独自のエンタメの産業的な強さを、きちんと構造化することである。ゲーム、アニメ、音楽、映画、舞台演劇、スポーツなどの歴史、現在の姿、未来に向けた成功事例をピックアップしながら、「日本アイデンティティの回復」をも包含できる姿として光を照らすことである。

クリエイター → IP → メディア → ユーザー

 ひとまず、エンタメ産業の全体像を図解によって明らかにしたい(図表0-1)。

図表0-1 エンタメ産業の構造
図表0-1 エンタメ産業の構造 出典)著者作成
出典)著者作成
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 コンテンツは「媒介される情報(テキスト、音楽、映像、ゲーム)」でしかなく、本質的にはすべて一個人としてのクリエイターもしくはクリエイションを行うチームによって作られ、ユーザーに届け、楽しませるためのものである。大作映画だとしても、全世界に配信されるゲームだとしても、その発生源のクリエイターがまずありき。そしてメディアの先に受け取るユーザーがいる。作品を通じて、という間接の形式はとっていても、エンタメ産業は一種のコミュニケーション産業と言える。
 エンタメの凄いところは、このクリエイターの偉業があまりに際立つおかげで、そこにIP(Intellectual Property:知的財産)と呼ばれる「権利」が発生することである。
 誰が見ても『ハローキティ』がキティとわかるのは、過去50年にわたって、キティのぬいぐるみからグリーティングカード、アニメ、アプリ、コラボ企画に至るまで様々なメディアでキティというキャラクターを見てきたおかげである。そしてキティのアイコンがあるだけで、世界観から社会的なメッセージまで含めて、商品のバリューを上げることができる。
 それはキャラクターに限らず、『大谷翔平』といったアスリートにも、『Ado』などのミュージシャンにも付加される。ブランドがIP化するおかげで、その本人やオリジナルのクリエイターが不在だとしても、あたかもそこに同じ世界が再現されているかのように、商品が「オーラ」をまとう。だから『ハローキティ』は毎年1000億円以上もの商品を売り上げ、過去50年の歴史の中で10兆円近い関連商品が購入され、そしてその商品や体験への満足度がブランドとなっているからこそ、また新たに購入されるのだ。

クリエイターは時代に合わせてメディアを選ぶ

 クリエイターは時代に合わせてメディアを選ぶ。たとえば映画館はかつて娯楽の代表として隆盛した。大正時代にすでに100万部のミリオンセラーがあった書籍・雑誌、それを全国どこでも販売できるようにした書店流通の世界も同様だ。
 これらの「メディア」は媒介者でしかないが、コンテンツの力によってメディア自体にもブランドがついてくる。1970年代は質の良いハンカチや筆記用具が小売店に並んでいるだけでも十分に「メディア」だった。キティの商品が並ぶサンリオショップは皆の憧れの場所で、わざわざ夜を徹して東京までやってきてサンリオショップで物品を購入して帰る熱心なファンがいたほどだ。
 テレビは、人類にとって最初に出会った「1億人が同時に同じものを見聞きするメディア」となり、その中でコンテンツとユーザーを奪い合ってきた。1980年代のフジテレビはどの時間帯でも面白く視聴率トップを走ったが、1990年代はその座を日本テレビが奪い取っていった。
 2000年代の2チャンネルやニコニコ動画もまたその場所でしか見られないコンテンツがあり、2010年代のユーチューブは様々な動画がとめどなくアップされる夢のようなメディアとなった。2020年代、TikTokで5秒10秒のコンテンツを見ているうちに、油断すると1時間くらい平気で時間をつぶせてしまう。ネットフリックスが年に2兆円近くの資金を使って、世界で最もお金をかけたコンテンツを量産するのも、ネットフリックスというメディアそのものにロイヤリティを持ってもらうためだ。
 クリエイターたちは「その時代」「その場所」に合わせて、様々にメディアを乗り換えた。それは純文学の作家も、映画の脚本家も、マンガ家も、放送作家も、作曲家・作詞家もそうだし、武道家たちも、pixivのイラストレーターも、Vチューバーたちも等しく「クリエイター」であり、ユーザーがそのとき最も欲しているメディアを使って、自分自身がエンターテイメントだと思えるものを届けていく。

図表0-2 エンタメ産業への参加者と構成要素
図表0-2 エンタメ産業への参加者と構成要素 出典)著者作成
出典)著者作成
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ゼロイチでビジネスを生み出す教科書

 本書が対象とするのはコンテンツ市場(12兆円)、スポーツ市場(10兆円)、コンサート・演劇などのライブ市場(6000億円)である。この年間合計20兆円を超える消費市場を「興行」「映画」「音楽」「出版」「マンガ」「テレビ」「アニメ」「ゲーム」「スポーツ」の9つの分野に分けて、歴史から紐解いていく。それぞれの産業がどんな環境下で誰の手によって生まれ、どんな手段でビジネスモデルを構築していったのか。そのエポックを押さえていく。
 これはエンタメビジネスの教科書だが、かといってエンタメだけに閉じる話ではない。なぜならこの9分野すべてがもともと市場としてはゼロから生み出されたものだからだ。人を喜ばせたいというピュアな発想から生まれ、その可能性を見いだした投資家などの支援者がついて、コンテンツを供給するクリエイターが企業の中に入り、ユーザーが定期的にお金を払う状態に至るまで、並々ならぬ過程を経ている。それはゼロイチでビジネスを生み出す教科書にもなる話だ。

【目次】

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