その本の「はじめに」には、著者の「伝えたいこと」がギュッと詰め込まれています。この連載では毎日、おすすめ本の「はじめに」と「目次」をご紹介します。今日は加藤千尋、呉文翔、福富尚、山﨑敦(共著)の『 マッキンゼー 価値を創るM&A 』です。「まえがき」をお届けします。
【まえがき】
日本企業のM&Aを多く支援し、またそれ以上に様々な企業のM&Aの経過を見てきた中で、「組織能力としてのM&A」が十分に育っていないために躓いてしまうのを見るたびに、非常に悔しく感じる。「よい投資先」と思って買収した海外企業を1、2年間自由に放っておいたら急失速し、最終的には対象企業の経営陣に本社が相手にされないようないびつな関係性に陥るディール。あるいは持ち込み案件に受動的に飛びついてしまい、明確な事業やPMI(買収後統合)のオーナーが不在のまま、大きな金額を投下してしまい、責任の所在が不明確なままシナジーが出ない状況が続くディール。あるいは、一度検討をはじめた案件を他社に取られたくないがために明らかに高すぎる価格を出してしまうディール。
M&Aを実際に価値創造に繋げることは、なぜこうも難しいのか。そして特に日本企業はどうして落とし穴にはまってしまうのか。
机上では考え抜き、価値創造の蓋然性が高いと思えるディールのはずでも、DD(デューデリジェンス)の段階でのやり取りや価格交渉、PMIに潜む幾多の落とし穴に躓くたびに、少しずつ価値毀損してしまうのがM&Aの怖いところである。ましてや、戦略なく持ち込み案件に手を出す場合は、そもそも価値創造の道筋が立てられず、開始前から「負け」が約束されている危険性すらある。
一方で、日本企業の多くには、M&Aを通じて企業価値を向上し、組織を変革させるポテンシャルが十分にあるのは紛れもない事実である。事業上のシナジーの実現だけでなく、組織文化の統合も十分に意識的に行うと、適正の高い経営人材のプールを増やし、従業員のやりがいや投資家をはじめとしたステイクホルダーの将来への期待も一段と向上させることが可能である。私自身、うまくいった例として外資系企業が日本の製造業によるカーブアウト事業を買収した際のPMIをいくつも支援してきた中で、感銘すら受けることが何度もあった。しっかりと計画・実行されたPMIを通じて、買収された企業の従業員が当初の「不安と(場合によっては)恐怖」に満ちた状況から「希望」を持ち始め、そこから「よりよい経営や事業運営、実績となった企業で力を発揮する喜び」に移る過程を見ると、これこそM&Aの醍醐味だと強く感じる。日本企業もそのようなM&Aを、国内でも海外でも実現できるはずであるし、もちろん実際に実現している例も多い。
まだM&Aで十分に実績や勝ちパターンを確立していない日本企業が、いかにしてM&Aを組織能力として構築し、体系的に成功確率を向上できるか。この問いを解き明かすのが、本書のミッションである。
この課題を解くには、M&Aの本質を知る必要がある。そもそもM&Aにおける成功とは何を指すのか。戦略の定義から案件創出まではどの程度の「詰め具合」や「体制・運用」が求められるのか。いい案件なのにDDで躓いたり高値を出したりしない、あるいは進むべきでない場合に踏み留まるコツは何か。ディールが成約したあと、価値創造を実際に実現するPMIという大変革プロジェクトの肝は何か。長期にわたって買収後の事業のパフォーマンスを担保し、想定通りでない場合に効果的に介入するガバナンスは何か。これらの答えが解き明かされ、社内での「組織能力」として備わってこそ、M&Aの成功確率を最大化する素地が整ったと言える。
本書は、日本企業の経営陣、すなわちM&Aの各段階での企業の経営判断に関わっている、また今後関わっていく方々に向けて書き下ろしている。突き詰めて言えば、M&Aは経営判断の連続であり、価値創造の成否を左右するのは、経営陣がどのような戦略決定をし、どのような体制・人材を構築し、最初から最後までどのように重要なポイントを押さえていくかである。特に、M&Aの長い旅路の途中で管掌する経営メンバーが変わったりすることもある中で、戦略からPMI・ガバナンスまで、どのように価値創造のタスキを繋ぐのか。このようなテーマに答えるため、本書では、M&Aの前段階から最後まで通して、M&Aの価値創造の原則になるべく忠実かつ実践的な形で、経営陣として押さえるべきポイントを中心に述べることを意識している。
欧米企業と日本企業の双方でM&Aの支援をしてきた著者陣の経験値として、特にM&Aについては、欧米企業のいわゆる「ベストプラクティス」を日本企業にそのまま適用することは難しいと感じる。原理原則は共通しているが、日本企業に特有の課題や落とし穴とその対処法を記してこそ、価値のある本になると強く意識している。そのため本書では、日本企業で我々がM&Aの各ステップを支援しながら目にしてきた事例を反映することに注力している。
M&Aは日本企業にとって、これまでに増して必要となっている打ち手である。国内市場の成熟とともに、既存の国内市場での成長を得ることはより困難となる。海外に展開している企業でも、同じ市場に同じ規模でいるだけでは十分な成長や利益率の向上を継続することは難しい。M&Aは、適切に活用できれば、スケールメリットの実現やコスト構造の改善だけでなく、隣接領域の成長を実現する上で自社内で欠けている能力の入手など、非常に有用な手段となり得る。
更に、日本の上場企業のPBRの低さが課題となっているように、経営資源をよりリターンの高い領域に投下していくことの重要性も改めて注目されている。社内のプロジェクトや研究開発テーマだけでなく、M&Aもリソース配分の対象として、定常的に経営の選択肢とすることで、より効果的な資源投下が可能となる。
実際に、多くの日本企業がM&Aを経営テーマとして掲げている。特に、不況時や不確実な市況において、積極的に事業ポートフォリオを入れ替えた企業は、不況が終わったあともよい業績を残す傾向があるとマッキンゼーによる研究でも明らかになっている。多くの日本企業との議論でも、過去の自社のM&Aの失敗も振り返りながら、「社内でM&Aの体制と組織能力を築きたい」と正面からM&A能力構築に取り組む企業も間違いなく増えていると実感している。特に近年このような動向の加速を実感して非常に嬉しく感じている。我々が本書を通じて願うのは、日本企業がM&Aの組織能力を構築・強化し、M&Aを通じた価値向上を実現することに少しでも貢献することである。
マッキンゼー・アンド・カンパニー パートナー
加藤千尋
【目次】


