その本の「はじめに」には、著者の「伝えたいこと」がギュッと詰め込まれています。この連載では毎日、おすすめ本の「はじめに」と「目次」をご紹介します。今日は白畑真さんの『 デジタルインフラの地政学 インターネット データセンター AI 急所を握るのは誰か 』です。「本書について」の一部と「Introduction インターネットという見えない大陸」をお届けします。

【本書について】

 本書は、デジタルインフラの地政学的な構造を分析する書である。

 著者はアジアのインターネットインフラと相互接続の現場に20年以上携わってきた。地政学や国際政治の概念は、デジタルインフラの構造を読み解くための分析の道具として用いた。本書が示そうとするのは、物理的空間・論理的空間のデジタルインフラと地政学的観点がどう結びつくかという見取り図である。(以下略)

【Introduction インターネットという見えない大陸】

 見えるものと見えないもの。

 紀元325年、ニカイア公会議で採択されたクレドの一節である。アリウス論争を背景に招集された同会議の主題はキリストの本性だったが、採択されたクレドの冒頭には「見えるもの・見えないものの創造主である父」という一句が刻まれた。可視と不可視の両方にわたる秩序が、一つの権威のもとに位置づけられた瞬間である。

 それから約1700年後のいま、我々は再び「見えるもの」と「見えないもの」をめぐる争いのただ中にいる。

 「見えるもの」は海底ケーブルの敷設経路やデータセンターの立地、「見えないもの」はインターネットの経路制御や電子証明書の信頼連鎖、ドメイン名とIPアドレスの調整などだ。これらは国家、企業、NPOなど、さまざまな主体が分担して支えてきた。利害はしばしば衝突したが、それでも全体としては共存してきた。だがその分散は、少数の巨大企業や国家への再集中によって崩れつつある。

 オフィスの集中空調が快適な室温を保つように、私たちはデジタルの恩恵をほとんど意識せずに享受している。だが、その空気はどこから来るのか。誰が風量を調整し、誰が止める力を持つのか。デジタルインフラの地政学とは、この「見えるものと見えないものの深み」をめぐる主権の攻防の記録だ。

世界がブルースクリーンに染まった日

 2024年7月19日、サイバー空間の「集中空調」は突然停止した。たった一つのセキュリティソフトのエラーが、世界中の航空網、医療機関、放送局を機能不全に陥らせた。

 日本時間午後1時過ぎ、何百万ものWindows端末が突如としてブルースクリーンを表示して機能停止した。日本でも、ジェットスターの国内線がシステム障害で欠航し、福岡空港では職員が手書きで搭乗券を発行した。大阪のユニバーサル・スタジオ・ジャパンでは猛暑のなかPOSレジが停止して冷たい飲み物すら買えなくなった。最新鋭のITインフラが止まった瞬間、現場を支えたのは紙とペンだった。

 その原因は、高度なサイバー攻撃でも巨大地震でもなかった。障害を引き起こしたのは、米セキュリティ企業CrowdStrike(クラウドストライク)が配信した設定ファイルだった。ファイルサイズはわずか数十KB(キロバイト)。世界中の端末が同一の設定ファイルを同時に受け取り、同一の障害で同時に停止する。セキュリティを高めるための仕組みそのものが、850万台を巻き込む巨大な単一障害点となった。米保険会社Parametrix(パラメトリックス)の推計では、Microsoftを除くFortune 500企業だけで、直接損失は約54億ドル(約8100億円)に達した。

 だが、この一件は序曲にすぎなかった。

 2025年、デジタルインフラの脆(もろ)さはかつてない規模で表面化した。6月にはGoogle Cloud PlatformのAPI(アプリケーション・プログラミング・インターフェース)管理・制御プレーンが世界規模の障害を起こし、Google CloudとGoogle Workspaceの多数の製品に影響が及んだ。10月にはAmazon Web Services(AWS)のus-east-1リージョンで生じたDynamoDBのエンドポイントのDNS(ドメイン・ネーム・システム。ドメイン名をIPアドレスに変換する仕組み)解決障害を起点に約15時間にわたる連鎖的な障害が広がった。さらにその9日後にはMicrosoft Azureの設定変更を起点とする障害が世界中のエッジに波及した。

 論理空間での集中に加え、物理空間の脅威は2022年以降、新たなフェーズに入った。ロシアのウクライナ侵攻は通信インフラが現代戦の兵站線であることを浮き彫りにし、台湾・馬祖島で発生したケーブル切断では中国船の関与が疑われ、台湾有事における通信遮断の予行演習ではないかとの指摘も出た。

 そして2026年3月、デジタルインフラへの脅威は軍事行動という形で現実となった。米・イスラエルによるイラン攻撃に対する報復として、イランのドローン攻撃により、AWSのアラブ首長国連邦(UAE)施設2カ所が直接被害を受け、バーレーンでも施設近傍への攻撃によりAWSインフラに物理的な影響が出た。クラウド事業者が軍事衝突の直接的影響を受けた、少なくとも公に確認された事例として初めての事態だった。

本書の問題意識

 これらの出来事が示しているのは、個々の障害や攻撃の深刻さだけではない。より重要なのは、デジタルインフラが少数の制御点に集中しているという構造そのものだ。この集中は、平時には効率と利便性をもたらす。しかし有事には、脆さと支配力の源泉となる。

 デジタルインフラは、もはや中立的な技術基盤ではない。地理、制度、技術が重なり合う戦略空間である。

 その集中は物理空間と論理空間の双方に形成され、その制御を誰が握るかが、国家と企業の選択肢を制約する。一方の空間で生じた障害がもう一方の空間へ波及し、複数の箇所を同時に止める。

見えない大陸の到来

 四半世紀前の2000年、世界はインターネットが切り開く未来に熱狂していた。ドットコム・バブルの絶頂期、時価総額の上位には米Cisco Systems(シスコシステムズ)、米Lucent Technologies(ルーセントテクノロジーズ)、カナダNortel Networks(ノーテルネットワークス)といったインフラの巨人が並んでいた。

 経営コンサルタントの大前研一氏は、2000年に刊行した著書『The Invisible Continent』(邦訳「新・資本論」東洋経済新報社、2001年)で、この来るべき世界を「見えない大陸」と呼んだ。地理的国境が意味を失い、国家の制約から解放された摩擦のない経済圏。サイバー空間を現実と切り離された別次元として捉えるこの楽観論が、広く信じられていた。

 2026年の現在地はどうか。LucentはフィンランドNokia(ノキア)の一部となり、Nortelは経営破綻した。代わって上位を占めるのは米NVIDIA(エヌビディア)を筆頭に、米Apple(アップル)、米Microsoft(マイクロソフト)、米Alphabet(アルファベット)、米Amazon.com(アマゾン・ドット・コム)、米Meta(メタ)。インフラの上でデータを支配するプラットフォーマーたちだ。

 彼らは豊富な資金力を背景に海底ケーブルやデータセンターまでも自ら建設し、物理空間から論理空間までの垂直統合を進めている。誰もが自由に往来できるはずだった見えない大陸は、いまや少数の巨大企業が通行料を取る私有地の集合へと変わった。外資の物理インフラとソフトウェアの上でデータを耕す、いわば「デジタル小作人」とも呼ぶべき関係が、世界規模で常態化しつつある。

 この「見えない大陸」を、誰もが依存せざるを得ない生活基盤へと変えたのが、2020年の新型コロナウイルス感染症によるパンデミックだ。日本の緊急事態宣言や世界各地のロックダウンによって、私たちの生活と仕事は一気にサイバー空間へ移った。ZoomやTeamsを使った遠隔会議が日常となり、EC(電子商取引)サイトでの購買が途絶えた店頭販売に代わり、行政サービスも教育もリモート環境へと移行した。

 世界のインターネット基盤は前例のないストレステストにさらされた。2020年3月には通信トラフィックを削減するため、欧州連合(EU)がNetflixやYouTubeに欧州での画質引き下げを要請するに至った。インターネットは、好きなときに訪れる場所ではなく、いや応なく暮らす場所になった。

 Ciscoがかつて掲げた「働き、暮らし、遊び、学ぶ、そのすべてを変える(Changing the Way We Work, Live, Play and Learn)」というスローガンは実現した。新たな現実として。

 では、この社会基盤の安定は誰が保証しているのか。海底ケーブルのルートを決定しているのは誰か。その答えは一つではない。国家と企業が、時に協力し、時に対立しながら、インフラの姿を変えている。

物理空間と論理空間、そしてチョークポイント

 本書が問いたいのは、突き詰めれば次の一点である。

 「インターネットは誰が、どこで、どのようにコントロールしているのか?」

 そしてその帰結としてさらに問うべきなのは、

 「そのコントロールが失われたとき、代わりはあるのか?」

 本書が対象とするデジタルインフラとは、デジタル情報の生成・伝送・蓄積・処理を支える、物理的なインフラと論理的な制御の総体である。

 物理空間は海底ケーブル、データセンター、半導体、電力網といった目に見える地理的座標を持つインフラだ。特定の国の領土や領海に根ざし、伝統的な国家主権が直接的に及ぶ。

 論理空間は、通信を制御するプロトコル、クラウドを管理するソフトウェア、身元を証明する認証基盤などで構成される、目に見えない空間だ。国境に縛られず、コードやアルゴリズムで秩序を形成する。この空間で人や企業の行動を規定するのは、法律だけではない。利用規約や仕様変更を通じて行動を実質的に制約する、プラットフォームの力もそこに含まれる。

 本書では、このように制度ではなく機能を通じて人や企業の行動を左右する力を「機能的主権」と呼ぶ。その担い手は、国家だけではない。グローバルなプラットフォーマーもまた、その力を握っている。

 物理空間にも論理空間にも、トラフィックやデータが通過せざるを得ない「チョークポイント」が存在する。チョークポイントとは、地政学において船舶が必ず通過しなければならない戦略的な海の隘路(あいろ)を指し、たとえばホルムズ海峡やバブ・エル・マンデブ海峡、マラッカ海峡がその代表例だ。デジタルインフラの地政学においては、海底ケーブルの集中海域やキャリアホテル型データセンターのような目に見えるチョークポイントと、認証基盤やクラウドの制御プレーンのような目に見えないチョークポイントがある。

 特に注意すべきなのは、目に見えないチョークポイントである。ケーブルが切れなくても、データセンターが稼働していても、認証機能が停止すればデジタル経済も大きな範囲で機能不全に陥りうる。目に見えないがゆえに放置されやすく、放置されるがゆえに危険度は高い。

 ただし、システム工学における単一障害点が直ちに地政学的チョークポイント効果を生むわけではない。それが代替の効かない依存の集中点となったとき、地政学的なチョークポイントが成立する。その武器化には、供給を遮断する「止める力」と、情報を監視する「見る力」の二面がある。

本書の概念導線

 インターネットは自律・分散・協調という設計思想を基に生まれた。だが経済合理性がその理想を裏切り、少数のハイパースケーラーへの集中を生んだ。集中が進むと、本来独立していたはずの複数のシステムが、技術・商業・地政学の共通要因によって同時に機能停止するリスクが高まる。本書はこの現象を「相関故障」と呼ぶ。その相関が海底ケーブル、半導体、電力、法域と結びつき、複数のシステムが地政学的な要因で同時に停止する現象を、地政学的相関故障と呼ぶ。

 国家は、地政学的相関故障のリスクを軽減するため、あるいはその制御力を戦略的に利用するため、主権の回復、勢力圏の形成、規制と軍事化で応答してきた。企業もまた、規制対応、インフラ投資、垂直統合を通じて、再編の一部を担っている。

 本書では、まず集中と相関故障の実態を明らかにする。そのうえで、国家はこの地政学的な現実にどう備えるべきかを、制度・調達・国土配置の観点から論じる。さらに企業に対しては、依存を管理するための実務的な条件として、可視性・代替性・交渉力を提示する。

読者への手引き

本書の狙いと想定読者

 クラウド障害が経営会議の議題となり、半導体不足が調達計画を狂わせ、データローカライゼーション規制が海外展開を制約する。企業のCIO(最高情報責任者)をはじめとする情報システム担当者が直面するリスクの根本原因は、もはや技術の内側にはない。サプライチェーンの途絶、ライセンス条件の激変、法域をまたぐ制裁の波及。これらは技術的事象に見えて、その背景は地政学にまで及ぶ。本書は、この見えない関係を可視化し、CIOの意思決定に役立つ視点へと変換する試みである。

 本書には3つの狙いがある。デジタルインフラの依存構造を可視化すること、その依存がもたらす地政学的リスクを解読すること、そして日本企業が取るべき具体的な行動を提示することだ。想定読者はCIO、情報システム部門でインフラ戦略・クラウド設計・ベンダー管理を担う実務者、経営企画・リスク管理・調達部門の方々、そしてデジタル社会の構造的リスクに関心を持つビジネスパーソンである。技術的な概念は可能な限り平易に解説した。BGP、DNS、PKIといったプロトコルや技術基盤の基礎知識があればより深く読める。

各部の概要

 本書は、次の順序で議論を進める。第I部(Part I)の第1章・第2章(Chapter 1-2)で「なぜ集中が起き、何が壊れるのか」を理解できる。第II部(Part II)の第3章〜第7章(Chapter 3-7)で「どこが支配され、誰が武器化するのか」の見取り図を得られる。第III部(Part III)の第8章〜第10章・終章(Chapter 8-10, Epilogue)で日本はどのような戦略を取るべきか、そして企業は自社の依存をどう管理すべきかを考える。視点は技術から地政学へ、地政学から経営へと移動し、最後は、読者自身の意思決定に使える視点へとつなげる。

読者タイプ別の読み方

CIO・情報システム部門(インフラ戦略担当)
 時間が限られる場合は第I部、第III部の順に読むことで、リスクの全体像から自社の行動指針までを最短で把握できる。第II部は関心のある地域やテーマを選んで読んでもよい。

情報システム部門(クラウド設計・運用担当)
 日々の設計・運用に直結するのは、第2章、第4章、第10章である。障害事例、論理空間の制御点、マルチクラウド設計や縮退運転を扱うためだ。第9章のSCS評価制度の節は調達プロセスの見直しに役立つ。インターネットのプロトコルやガバナンス構造に精通している方は、第1章の前半(設計思想の整理)は確認程度に読めばよい。

経営企画・リスク管理部門
 第III部を重点的に読み、その背景情報として序章(Introduction)と第2章を押さえることを勧める。第6章の規制動向(DMA・DORA・データ法)は国際事業を持つ企業に直結する。

調達部門
 第9章のSCS評価制度とガバメントクラウドの節、第2章のVMware・Oracleのロックイン事例、第10章のベンダー関係の3原則が実務に直結する。


【目次】

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