その本の「はじめに」には、著者の「伝えたいこと」がギュッと詰め込まれています。この連載では毎日、おすすめ本の「はじめに」と「目次」をご紹介します。今日はミレヤ・ソリース(著)、上原裕美子(訳)の『 ネットワークパワー 日本の台頭 「失われた30年」論を超えて 』。「日本語版序文」をお届けします。
【日本語版序文】
この序文執筆に際して私が想定したねらいは二つあった。一つは、日本の読者に向けて、本書の中心的メッセージをいっそう明確にすること。そしてもう一つは、本書で取り上げた分野──グローバル化、日本の政治経済、地経学、地政学──のすべてに関し分析をアップデートして、ネットワークパワー(国家)たる日本の役割についての意味を引き出すことである。
日本の近年および将来の可能性を語るにあたり、「失われた二〇年」や「失われた三〇年」といった表現が支配的言説として使われる。この常套句に日本の読者が疑問の目をもってくれるよう促すのが、本書の基本的なねらいだ。過去三〇年間を衰退と停滞で手も足も出なかった時代と定義するのではなく、日本の政治・経済・外交政策に対する評価を通じ、より大きな変容と適応のストーリーとして提示する。日本にとってこの三〇年が過酷な時期であったことは間違いない。再燃する国家間対立や、国際紛争の広がりに加えて、国内では人口減少、低成長、数々の自然災害、グローバル化による危機に直面した。日本はこれらの課題の解決に苦戦し、時には場当たり的な対応をしながらも、適応と進化を続けた。その過程を通じて、いまやこの国は世界に影響をおよぼしうる存在として、二一世紀最初の四半世紀を決定づける大きな変化を形成する力をもっている。
日本は経済グローバル化に巧みに適応してきた。所得格差は拡大しているが、社会および政治的な一体性という強みもある。また、強靭性のあるリベラルな民主制があり、他の工業国を揺り動かしているポピュリズムの波に呑まれていない。過小評価されることが多いのだが、これらは大きな功績だ。巨大な経済グループや深化した安全保障関係の形成を仲立ちすることで、ネットワークパワーとしてみずからを作り替えてきたのも、他国には見られない類いまれな業績と言える。連結性を推進する日本政府の大戦略には確かに先見の明があった。これからの地政学のかなめとなるのは、複数の領域で連携しあう同志国のネットワークだ。この重要な条件において、日本は変化の先端を進んでいる。
とはいえ、切迫する国内問題と悪化する国外危機が今後も日本とパートナー諸国に負荷をかけ、この激しい荒波における舵取りを困難にするだろう。次にまとめるとおり、ここ数年に生じた主な展開は、国内の再生路線を維持していけるかどうか、また二〇一〇年代と同じく二〇二〇年代にも決断力ある外交活動を実行していけるかどうか、その成否に日本の命運が大きくかかっていることを強調している。
日本経済の正常化?
ここ数年の日本の経済および経済政策をめぐる報道には、「過去最高の」「~年ぶりに」という表現が頻出している。二〇二四年初頭には日経平均株価が三万九〇九八円という過去最高値に達し、バブル崩壊前の記録を更新した。コアインフレ率はほぼ二年にわたり二%目標を上回り続けた。二〇二四年の春闘では約三〇年ぶりの賃上げ率を達成した(平均五・三%増)。超金融緩和政策を終息させる条件がようやく整い始めたと判断し、三月に日本銀行総裁の植田和男がマイナス金利解除を宣言して、一七年ぶりの利上げに動いた(ただし〇%から〇・一%程度。これらの動きがあったにもかかわらず円安は続き、翌四月には一ドル一五五円に到達して、一九九〇年以降三四年ぶりの安値更新となった。同時期に政府は財政刺激策にいっそう力を入れている。ここ二年間に国会が承認した予算案は、二〇二三年度一一四・三八兆円で過去最高、二〇二四年度が一一二・五七兆円で過去二番目だった。
ニュースの見出し以外の重要な傾向にもいくつか注目したい。アベノミクス期にも日本株は上昇したが、今の株式ブームは当時と類似点もあれば差異もある。主な差異の一つは現在の国際環境だ。米中の緊張関係と、中国経済の大幅な成長鈍化により、日本という市場は安全な場所とみなされ、外国人投資家にとっての魅力が増した。その一方で現在の株式相場の上昇は、企業改革の重要性をあらためて裏づけるものだ。これについては日本取引所グループが企業を促し、企業評価を向上させ、より効率的な資本の利用につなげている。今後の最大の疑問は、株価上昇の恩恵がこのまま金融セクターにとどまる──過去にそうだったように──のか、それとも今回は広範囲に波及効果をもたらしていくのか、という点だ。
岸田文雄首相は政治的資本を大きく投入して、自身が掲げる「新しい資本主義」を軌道に乗せるであろう実質賃金上昇に向け、強気の改革を進めている。大手企業はようやくこれに耳を貸し、大幅な賃上げを始めているが、中小企業でどの程度まで賃上げが進むかはまだ判断がつかない。日銀は引き続き慎重な動きをしており、インフレ傾向を監視しながら、賃上げが国内消費を改善するかどうかを評価している。アメリカの頑固なインフレに鑑みると、連邦準備制度(Fed)が利下げに踏み切るとは考えにくく、日米間の大きな金利差が日本の利上げ後に予想されていた円上昇を食い止め続けている。
日本の経済政策の正常化はすでに始まった。新しく、そして重要な取り組みではあるが、金融政策の次なるパラダイムへの移行は今後時間をかけて進むだろう。関係機関は引き続きインフレ率を子細に監視し、利上げが経済成長を抑制しないよう神経をとがらせていくこととなる。
岸田および自民党の真価が試される究極の課題:政治改革
経済に関する喜ばしいニュース──デフレ脱却と、労働者の大幅な所得増加──は、岸田首相を政治的に助けてはいない。国民の政権支持率は何カ月も低迷し、NHK(日本放送協会)による二〇二四年四月の世論調査では二三%にまで下がった。多くの世帯が実感している物価高も一因だが、前年に自民党内の複数派閥において、政治資金パーティ収入からの議員へのキックバックについて法で定められた報告がなされていなかったことが明るみに出て、自民党に対する国民感情は著しく冷え込んでいる。この不正資金問題は自民党にとって過去数十年間で最も深刻なスキャンダルであり、岸田がこれにどう対処するかが岸田自身の政治的運命を決定づけるだけでなく、日本の民主制に大きな影響をおよぼしていくと思われる。
問題は広く根深い。多数の派閥にわたる大勢の政治家──特に影響力をもつ安倍派の議員たち──が関与している。立法関係者、会計担当者、政治家秘書らが何人か起訴されたが、派閥の幹部クラスの議員たちは刑事処分に至っていない。このスキャンダルが特に人々の神経を逆撫でする理由は、旧来の金権政治の根絶や透明性と説明責任の改善がいかに難しいものであるかを浮き彫りにしているからだ。特に、根本的にはカネと人事の集まりだった自民党の派閥制度に、厳しい目が向けられている。
岸田首相と自民党上層部は党の改革を約束し、国民の信頼回復に向けて倫理憲章やガバナンスコードの強化を行った。二〇二三年一二月の四閣僚交代から一カ月後、岸田自身の派閥の解散を決定したことは多くの人を驚かせた。岸田は賛同する派閥リーダーたち──全員ではない──とともに、他の派閥にも同じ選択を奨励している。派閥を真の政策集団に転換し、政治家の責任を強化するという目的のもと、自民党は二〇二四年三月に党政治刷新本部による改正案を承認。改正案は──本格的に実施されるならば──党のダイナミクスを作り替えることが可能となるものだ。新たなルールでは派閥の政治資金パーティ開催や議員人事に関するはたらきかけを禁じている。また、収支報告の確認作業の一端に政治家自身を関与させることで、会計責任者だけが責任を負わされないようにした。ただし運用には法に基づく執行が必須であり、党改革を試みる自民党の本気度はこれから試されることとなる。
岸田首相は自民党議員ら三九人に対してバランスをとった処分を試みた。国民の要求を満たすだけの厳しいペナルティを与えつつ、四月に補欠選挙、九月に自民党総裁選を控え、場合によっては首相判断で解散総選挙があるかもしれない年に、党の団結が揺らぐほど厳しすぎるペナルティにはしないというバランスだ。幹部二人に離党勧告、その他は一時的な党員資格停止や役職停止としている。しかし日本国民の怒りはやわらがなかった。今もスキャンダルに対する首相対応に不満を抱き、派閥政治が真に排除されるかどうか疑わしく感じている。
政治資金規正法の改革を進めるために設置された衆議院特別委員会が、今後の岐路を左右する。議員たちの取り組みが表面的な対策しか生まないのだとしたら、政治プロセスにおける国民の心離れがいっそう進み、すでに投票率低迷に苦しむ日本の民主制度が損なわれていくだろう。反対に意義のある改革がなされるのであれば、政治に関心をもつ国民が増えて好循環が生み出される。金権政治を根絶し、さらなる政治改革を進めるためにも、これは非常に重要なことである。
ポストコロナのグローバル化
二〇二四年春の国会ではさらに重要な法案が通過する。改正入管法案(出入国管理及び難民認定等の一部を改正する法律案)だ。技能実習制度を段階的に廃止し、代わりに非熟練外国人労働者の育成システムを整える。高度熟練労働者に永住も認めるビザプログラムを通じて、外国人単純労働者を積極的に迎え入れていくという、二〇一九年から進めてきた取り組みをさらに強固にするもので、特に最新の改正は、雇用者による虐待を含め、技能実習制度が抱えるさまざまな問題を踏まえている。しかし、外国人実習生の在留資格において、労働環境が最善でない場合の転職を可能にする労働移動を完全に認めてはいないので、対策として中途半端である。実習生は指定された雇用主のもとで引き続き一年か二年は働かなければならない。とはいえ改革の方向性としては悪くない。日本が新型コロナウイルス感染拡大の対策として定めた厳格な入国規制が、壊滅的な労働力不足の解消を阻んでいたからだ。外国人労働者の数は二〇二三年秋に初めて二〇〇万人を超えたが、増大する外国人労働者が社会に溶け込むための十分な支援と、よりよい労働環境の提供という点で、今後いっそうの努力が求められる。
貿易におけるアメリカのリーダーシップが弱まり、経済的相互依存の武器化が拡大していることもあり、ポストパンデミック時代における日本の経済グローバル化は重大な試練に直面している。バイデン政権がインド太平洋地域に対して掲げた経済政策──「インド太平洋経済枠組み」(IPEF)──は期待外れの状態だ。IPEFの四本の柱のうち三本については交渉がまとまったが、もっぱらソフトな協力を提供するもので、長期的に実行されていくかどうかはジョー・バイデン大統領の再選しだいである。ドナルド・トランプはすでにこのイニシアティブへの批判を表明しているからだ。さらに、残った重要な「柱1」、すなわち貿易に関する基準は、厳しい逆風に直面している。バイデン政権は民主党内の進歩派からの反発を受け、IPEFにおけるデジタル貿易交渉を保留にし、WTO電子商取引交渉でも自由なデータ流通への支持を取り下げた。これはアメリカのデジタル貿易外交を迷走させ、日本にとってはデジタル保護主義の回避をめざす従来の味方が失われた。
アメリカの大統領選が今年秋に迫り、日本政府は、アメリカの貿易政策において継続する部分と変化する部分の両方に備えていかなければならない。自国防衛的な対中経済措置と、包括的貿易協定への懐疑的姿勢は、おそらく今後も継続するだろう。対中貿易戦争で設けられた関税は今も撤廃されず、中国政府が成長回復の手段として過剰生産能力の輸出を試みていくという懸念が増大していることに鑑みると、鉄鋼や電気自動車(EV)などの分野では、関税はむしろ拡大していくと考えられる。テクノロジーに関する輸出規制には当初は抜け道があり、中国がこれを利用することが可能だった。規制のアップデートによって抜け道は塞がれたので、もはやホワイトハウスを率いるのが誰になろうとも、「小さな庭に高い柵」どころか「より大きな庭に、より高い柵」が設けられる状態となっていくようだ。また、バイデンもトランプも日本製鉄によるUSスチール買収には反対で、アメリカの政治における経済ナショナリズムの根深さを強く示している。
しかし、第二次トランプ政権が樹立したならば、そのときの変化は大きい。好きなだけ関税が引き上げられ(すべての貿易相手国のすべての製品に一〇%、中国製品には六〇%の関税)、それからおそらくドル相場調整の圧力がかけられる。トランプおよび彼を取り巻く人々にとって関税とは管理貿易を確保する手段であり、ドルの切り下げは──実現方法は不明だが──アメリカの全体的な貿易赤字を低減するために必要とみなされている。このアプローチは世界経済に「トランプショック」をもたらす可能性が高い。
新たな地政学におけるコアリション・ダイナミクス
国際紛争の増加に伴い、世界経済の分断化は深まる一方だ。ハマスとイスラエルの戦争は半年が過ぎても熾烈をきわめ、人道危機の拡大と、より広範囲な地域紛争も引き起こしかねない危険が居座っている。ヨーロッパではロシアがウクライナ侵略戦争に力を入れ、特にアメリカの支援が遅れてからはいっそう勢いを強めた。東アジアでは北朝鮮の脅威が増大しているほか、中国の威圧的作戦──特に先日にはアユンギン礁〔訳注:英語名セカンド・トーマス礁〕でフィリピンの補給船に放水銃を使用し妨害を行った──が南シナ海を一触即発となりかねない状況にしている。世界のさまざまな場所で同時に緊張関係や紛争が生じているのは憂慮すべきことだが、直近の傾向がさらに不安な見通しを浮上させている。ジョンズ・ホプキンス大学教授ハル・ブランズが指摘するとおり、アメリカの敵──ロシア、イラン、北朝鮮、中国──が互いに新たな結びつきを形成しながら、アメリカ主導の国際秩序にそれぞれが独自に反発して、自分たちの相互利益のため、アメリカの資源動員力に負荷をかけている。たとえばイランと北朝鮮はロシアに武器を提供し、中国は軍民両用(デュアルユース)製品を出荷して、ロシアのウクライナ侵略戦争を支えている。引き換えにロシアは国連安全保障理事会における拒否権を発動することで、北朝鮮の大量破壊兵器開発プログラムに対する国連の監視を弱体化させている。
独裁国家同士のゆるい連合関係(コアリション)がもたらす、世界の安定に対する脅威の増大化傾向は、日本を新たな安全保障改革へとかりたてるとともに、日米同盟を深化させている。安全保障改革に関しては、自衛隊を一元的に指揮する統合作戦司令部設置、武器輸出規制緩和(日本にとって安全保障パートナー関係にある一五カ国に対し、現に戦闘が行われていないことを条件に、次期戦闘機の輸出も可能とする)のほか、経済安全保障分野におけるセキュリティ・クリアランス制度がこの春に衆議院で可決される。岸田首相の四月のアメリカ公式訪問では、同盟関係強化のための取り組みを集中させるべき二つの方向が明確に打ち出された。一つは技術の促進・保護における連携、そしてもう一つは、安全保障上の脅威に向けた相互運用性および準備態勢の向上である。半導体と人工知能(AI)、クリーンエネルギーと宇宙開発、防衛装備品の共同開発・共同生産など、多様な領域においてテクノロジーは日米が抱えるアジェンダのかなめだ。また、抑止力を高め、危機に対するリアルタイムの対応力を高めていくために、アメリカは在日米軍への指揮管理系統を強化していくこととなる。バイデンと岸田による首脳会談の前日に、「米英豪三カ国安全保障パートナーシップ」(AUKUS)が、AUKUSの第二の柱である軍事技術共有について日本の参加を検討する旨を発表したことからも、少数国間(ミニラテラル)の安全保障技術協力関係が深化する兆しも見られる。
アメリカは増大する地政学リスクに対し、同志国同士のコアリションを固めるという対応を進めており、日本はその最適なパートナー国だ。二〇二三年夏にキャンプ・デービッドで開催された首脳会談では、北朝鮮のミサイルに関するリアルタイムの情報共有と、サプライチェーンの危機耐性のための早期警戒システム開発において、日米韓が協力するという画期的な成果がまとまった。二〇二四年四月には日本、アメリカ、フィリピンのリーダーが集まり、中国の威圧的慣行を非難し、海洋における法の支配を支持し、海域の合同パトロールを計画していくことで一致した。この三国間の取り組みを支える背景には、自衛隊とフィリピン軍の共同訓練を推進する日フィリピン円滑化協定により、二国間の安全保障協力が深化している点がある。
このように少数国間で手を結ぶねらいは、各国の官民にまたがる協力慣行を制度化していくことだ。パートナーシップが一段階上のものへと格上げされ、予測のつかないアメリカ政治の変化にも振り回されにくくなる。日本政府にとっては、ルールベースの国際秩序を支持する諸国と共通の利害をもつことで、安全保障多元化戦略が強化される。グローバルサウスとの架け橋を築き、日本の成長と競争力を維持するにあたっても、日本の経済連結性戦略はこの先も重要な意味をもつ。地政学的な不確実性が深刻化する時代に、日本がとるべき確実な道は、日本自身がネットワークパワーとして切り拓いてきた道に他ならない。
二〇二四年四月、ワシントンDCにて
ミレヤ・ソリース
【目次】

