その本の「はじめに」には、著者の「伝えたいこと」がギュッと詰め込まれています。この連載では毎日、おすすめ本の「はじめに」と「目次」をご紹介します。今日は神田眞人さんの『 強い日本を残す 円安と闘った男がすべてを語る 』です。
【まえがき】
人類の歴史の岐路にあって、今、マニラのアジア開発銀行(ADB)総裁室で、微力ながら、少なくとも1944~45年以来、未曽有の不確実性と格闘している。このリスクから何とか世界を、特に脆弱な人々を守り、それだけでなく、このチャレンジをより良い社会にするための機会に転じよう。就任して3カ月の間に約20カ国以上の首脳とそう話し合った。
少なからずの大統領や首相が、今の外的ショックについて、それに身を委ねたり嘆いたりするのではなく、自国の競争力を高め強靭にするため、そして、国際社会を進化させるための契機として活用したいと述べた。そしてこの努力をADBに是非、支援してほしいと語ったのである。最先端のビジネスリーダーから現場の最貧層のステークホルダーまで様々な人々との意見交換も重ね、また、組織の全課室に赴いて議論するなかでも、この危機感とオプティミズムを共有した。
今は、財務官など一介の国家公務員をやっていた時とはまったく比較にならないほど、多忙かつ重責である。はるかに広く、複雑で、多様な仕事であるが、総理や大臣といった上司がおらず、孤独にひとりで考え、決断しなければならない。平時であれば、そんな状況は稀かもしれないが、国際秩序が溶解し、当然視してきた制度や価値観が壊れ、とりわけ、日替わりで驚くようなことが起こる「トランプ2・0」からは、環境が激変してしまった。
私より古株の各国際機関のトップたちは、仕事と生活が激変したと言っている。確かに少なからずの国連機関は存続の危機にさえある。私としても、物理的にもこんなに働いているのは40代半ば以来かもしれない。当時は世界銀行理事代理としてリーマン・ショック(2008年)の対応に追われたり、財務省主計官として東日本大震災と原子力発電所事故(2011年)への対応に追われたりした。これらについては本書(第4章)で触れられている。
しかし、今、この仕事を何とかこなしているのは、やはり、40年近い公務で学んできた知見や、先輩諸兄から教えていただいてきた専門知識、築きあげてきた人間関係(第5〜7章)のおかげである。とりわけ、本書の中心となっている財務官時代の経験(第1〜4章)は極めて貴重な財産かもしれない。
財務官時代の2023年は、主要7カ国(G7)の議長国および東南アジア諸国連合(ASEAN)と日中韓3カ国のASEANプラス3の議長国を務める役割が重なる日本にとって21年に1度のタイミングに当たった。結局8年務めることになった経済協力開発機構(OECD)コーポレートガバナンス(企業統治)委員会議長も続けていた。
これらは貴重な体験だったが、100年に1度のパンデミックとされる新型コロナ感染症の影響による経済的困難に加え、ロシアによるウクライナ侵略(特に第3章)、ハマスによるイスラエル攻撃、地政学的緊張の高まりといった異例の事態への対応を迫られたことは大きかった。
第1章で詳述されている24年ぶりの円買い介入も、新型コロナ禍がもたらした経済混乱、急速なインフレ、主要国の金利急騰も背景にあったものであり、この時期特有の困難さの象徴にすぎない。
いずれにせよ、こういった経験が評価されて何とかアジア開発銀行総裁に選出されたところがあるが、何よりも、ご指導いただいた先生方、先輩諸兄、苦楽を共にし、応援してくださってきた仲間の皆さんのおかげであり、心から感謝し、恩返しすべく、また、日本人の名誉を汚さないよう、必死に職務にあたっている次第である。
それにしても、私は未だ国際機関を運営する現役であり、本書に記されたような経験談を話すにはいささか早すぎると強く躊躇したのは事実である。役人は、OBになっても、黒子の方が仕事をしやすいし、世論から叩かれるリスクも少なく、普通は嫌がるものである。官僚としては異例かもしれないインタビューや発刊に応じたのには、大きく2つの理由がある。
ひとつは、公務員の不人気、ひいては酷(ひど)いといってもよいバッシングの傾向である。多くの醜い不祥事や情けない非効率があるのは事実だが、大多数の職員は公僕として、高い志と能力をもって社会に奉仕しているし、その役割は、この不確実性の高い複雑な時代にあって、一層、高まっている。しかし、少子化・人口減少や社会の価値観の変容・多様化とあいまって、公務員志望者の激減は残念ながら事実である。
そうしたなか、財務省だけでなく、官邸、内閣官房、人事院を含めた政府高官、ひいては財界や学界、言論界から、是非、公務の重要性や魅力が伝わる発信をしてほしいと強く依頼を受けていた。とりわけ、官僚批判のネット世論が広がる辛い環境で職務に精励してくれている中堅、若手の諸君の多くから、リスクを取って、社会に発言するよう懇願されてきた。
なかには、幹部はほとんど皆、萎縮して絶対に表に出ないけれども、神田さんはこれまでずっと実名で改革を叫んで十分に炎上してきたから、今更、失うものはないでしょう、と、放っておいてくれ、と思うような、変な応援もあった。
確かに、隠れずに表に出て、教育・科学技術改革(特に大学改革)、原発再稼働推進、コーポレートガバナンスや企業新陳代謝などの論陣を張ってきたなか、反対派、守旧派から、誹謗中傷からデマの流布(例えば私が大学予算を削減したという事実はない)を含め、組織的な反対運動を徹底して浴びてきたので、時には嫌になったこともあった。
周囲からは、もう少し、保身も考えた方がいいというアドバイスを強く受けてきた。しかし、これまでやりがいのある仕事をやらせてもらい、充実した人生を送ってこられたのは、先輩や仲間のおかげであるので、後輩たちのためにも、恩返しをしなければと思った次第である。
もちろん、大蔵省、財務省改革に携わっていたころから情報公開、国民との対話の重要性を強く感じ、実践してきた(第5章)ので、今のような人類共同体が急速な大変容の過程にあり、日本も世界も未曽有のリスクと機会に直面している時こそ、情報が新鮮なうちに、読者と共有した方がよいという判断もあった。交渉経緯などはろくに記録も取っていないので、記憶が脳裏に残っている間に、国家機密でない限り、国民の知的公共財に小さな貢献をすることは正しいと思った。
そうはいっても、やはり、気の小さい人間なので、様々な批判のリスクを懸念して逡巡していたところ、もうひとつのお受けした要因は、清水功哉さんという極めて優秀な記者さんから強力なお誘いを受けたからに他ならない。
5年以上前から、いずれ業務体験を記録にして世に伝えては、という話をされてきたのは、実は二人いる。財務官になってからは各社からあわせて数十人いらっしゃったが、それより前からというのは、B社のS編集長とこの日本経済新聞の清水編集委員のお二人だった。ご辞退しても、次の月にはまた、退官してからでもいいので、是非という強い熱意に私の方が折れたのが実態である。
清水さんは金融界などで評判の高い記者として以前より存じ上げていたが、実際、付き合ってみても、プロ意識の高い信用できる方だと判断して、インタビューをお受けした次第である。
官僚が回顧録的なものを出すのは珍しいし、退官後かなり経ってからが普通であるが、財務官OBに関しては、アジア開発銀行総裁の先輩である黒田東彦さん、浅川雅嗣さんたちが退官後間もなく上梓されており、特に、浅川さんはまさにこの清水さんから、退官直後、『日本経済新聞』の「人間発見」のインタビューを受け、これを土台に単行本をまとめられた。
この前例があったのは安心感があったし、私もまったく同じ顚末で、「人間発見」のインタビューを受け、その後、何回も追加取材を受けた結果、本書にたどりついたわけである。このような機会をつくってくださった清水さん、そして、本書の刊行にご尽力いただいた日経BPの堀口祐介さんに心からの御礼を申し上げたい。
父が他界してからちょうど1年近くになる。国際会議でシンガポール出張中に亡くなってしまった。母も数年前に永眠したが、この時も、20カ国・地域(G20)の会議で米国ワシントンDCに出張中だった。両親の死に目に会えなかったことは無論、残念であったが、両親はいつも、社会のために貢献できるように私たち兄弟を育ててくれてきたので、公務に微力を尽くしてきたことに満足してくれていると思う。
実は、私は2回、癌で摘出手術をしているが、どうしても親を心配させたくなくて黙ってきた。もう時効だと思うので、ここで白状します。隠しててごめんなさい。公僕を続けてこられたのは、最高に素晴らしい妻と娘と一緒に生きてこられたこともあるが、やはり、自分の幸せを犠牲にしてでも子どもの教育に全力を傾けてくれた両親のおかげである。心からの感謝をもって、亡き父、満州男と、亡き母、一枝に本書をささげたい。
2025年8月
神田眞人
【目次】






