その本の「はじめに」には、著者の「伝えたいこと」がギュッと詰め込まれています。この連載では毎日、おすすめ本の「はじめに」と「目次」をご紹介します。今日は広野彩子さんの『 世界最高峰の経営学教室<1 理論編><2 実践編> 』です。
【はじめに】
世界トップクラスの研究者が経営論壇で議論している内容を、日本のビジネスパーソンのためにかみ砕き、語りおろした「バーチャル特別講義」。
本書の内容を端的に表現すれば、こんな感じになるだろう。
その概要と読みどころは、入山章栄氏による巻頭の解説に書き尽くされている。ゆえに読者には、筆者自身によるこの「はじめに」は読み飛ばし、本題に入っていただいて一向に構わない。ここでは筆者の来歴や、本書を著した理由とその狙いを記したい。
本書は筆者が、週刊ビジネス誌『日経ビジネス』で、2019年3月からほぼ毎週掲載してきた欧米のトップクラスの経営学者らへのインタビュー連載「世界の最新経営論」に大幅な加筆、修正を加えてまとめたものである。文庫版ではさらに、理論編・実践編それぞれ1人ずつ、計2人の経営学者のインタビュー連載を新たに追加し、他のインタビューの多くについても未収録部分やその後のインタビューを追加し、情勢の変化を踏まえて大幅にアップデートした。冒頭は、日本を代表する経営学者である一橋大学の野中郁次郎名誉教授の論考を新たに収録したのが大きな特徴といえよう。
経営学の理論だけを取り上げているわけではないし、実践論やケースのみに注目しているわけでもない。ひたすら、現在、日本の企業経営で課題となっているテーマについて、その分野の第一人者、記者風に言えば限りなく「一次ソース」といえる専門家に当たり、話を聞いていった。
結果として、最先端の有力な理論あり、実践論あり、ケースあり、時事的な話題ありと盛りだくさんのラインアップになった。「企業経営」を論じる本ではあるが、「経営理論」の解説書ではない。学術入門書のようでもあり、使い方次第では実用書でもある。あるいは、自身の生き方について気づきを得る学びの書にもなり得る。読む人によっていかようにも活用できる。文庫版は、さらに使い勝手が良くなるよう「理論編」「実践編」の2分冊とした。
入山氏が「解説」のマトリクスで示しているように、必ずしも、経営学で博士号を取って、査読学術誌で大量の論文を発表するような学術系の経営学者ばかりではないことも、本書の特徴である。経営学というより経済学で目覚ましい業績を次々と積み上げている経済学者もいるし、機械学習の研究者もいる。実務家出身のプロフェッショナルもいる。
日本人が経営論を学ぶとき、この国に特有の言語の壁や専門家の層の薄さがネックになると、かねがね感じてきた。デジタル化が急速に進展する中、その壁はますます高く、日本人にとって不利になっていると思う。世界の経済論壇の主流を形成する経営学者や経済学者などの論が、相対的にもよりリアルタイムで入りづらい情報環境になっている。こうした専門家が活発に対外発信をしていたとしても、英語でしかしないことがほとんどであり、英語の大手媒体にすら、頻繁に登場するわけではない。
世界の論壇で大きな変化があれば、日本にも「点」の情報は入ってくる。だが、ある程度まとまった後で入ってくるので、議論のプロセスや思考過程が分からない。当然ながら日本人とは、全く違う前提で考えたり、意思決定したりしている場合も多々ある。ゆえに筆者は、それぞれの分野で世界トップクラスの実績を誇る専門家に、英語で直接、取材し、自ら翻訳して書くのを旨としてきた。
企業は、今を生きる人々が明日以降も安心して幸せに生きる糧を得るための存在で、人々の日々の営みをケアすることこそが大義であると思ってきた。ここのところ、「XX for good」という表現がトレンドだ。世界的な大御所である米ハーバード大学のマイケル・ポーター教授(第2講)も、米ノースウェスタン大学ケロッグ校のフィリップ・コトラー教授(第3講)も、近年は社会や人のための「善き経営」にォーカスしている。社会的インパクト投資の必要性を説く仏インシアードのジャズジット・シン教授(第7講)や、「企業が存在する目的は、社会の課題解決だ」としてパーパス経営の重要性をガバナンス視点から捉える英オックスフォード大学のコリン・メイヤー教授の話(第9講)を聞いたときは、これこそが今後のビジネス潮流だと感じたものだ。
企業も変化し続ける「生き物」である。環境に適応しながら姿や形を変え、それを説明するための「理論」が生まれ、組織を動かす「仕組み」や「ツール」が発展してきた。これら様々な要素が、企業経営に変数として影響してくることになる。
企業は、堅実に運営してさえいれば巡航速度で成長していけるものではなく、世界の政治経済の大きなうねりであったり、その時代を生き、リーダーシップをとる人々が期間限定で共有した集合知であったり、どこか漠然としたものの影響を大きく受ける。その結果として生まれる成功や失敗、そして変革がある。そうしたダイナミックな変容をどう乗り越えていくかについては、米カリフォルニア大学バークレー校のデビッド・ティース教授による「ダイナミック・ケイパビリティ」(第4講)や、米スタンフォード大学のチャールズ・オライリー教授の「両利きの経営」(第5講)に関する論考を読めば、きっと大きな気づきがあるだろう。
筆者はビジネス誌の記者兼編集者という職業柄、そうした「時代の空気」から得られた「独特のにおい」に導かれるような形で取材を重ねてきた。
そのため、本書の中には、必ずしもアカデミックな「経営理論」ではないものが多く含まれる。例えば、株主第一主義の変化(第8講、第9講)であるとか、デジタルトランスフォーメーション(DX)(第13講)に関する研究者の見解などは、企業経営に必要な価値観をひもといたものではあるが、取材時にちょうど話題になっているからという時事的な好奇心からフォローしたものでもあり、多分に時事的で、雑誌的だ。だがこれらの話題は、取材から時間が経過した今でも日本の企業経営の課題であり続けており、本質的なテーマであると思う。
また、「ダイナミック・ケイパビリティ」(第4講)や「両利きの経営」(第5講)といった、最近の経営理論を概観する講義でも、学術的な厳密さや価値、論争というより、その理論が生まれた背景や、個々の研究者が関心を持つに至った価値観などを掘り下げることに注力した。それによって、より普遍的に、日々の生活や実務のヒントになりそうな視点や問題意識を得ようと試みた。
そもそも筆者は記者なので、理論や数式のエレガントさや学問的な詳細より、「トップクラスの俊英が何を見て、なぜそのような理論を思いついたのだろう」というところに関心の中心がある。そのため、いわば「言い出しっぺ」の人になるべく話を聞いた。その関心を満たすような明快な答えを必ずしも得られたわけではないが、世界最先端の経営理論のエッセンスから、今必要な現場改革の中身ややり方まで、それぞれに現場を持ち働く人たちが、明日からすぐ世の中を読み解くヒントとして使えるようなcluesやtipsを集めたつもりである。
筆者は、約8年にわたり大手全国紙記者として取材に携わった後、2001年から『日経ビジネス』の記者に転じた。当初は、主に膨大な有利子負債を抱えて経営破綻した企業の経営者の行動を検証し追う〝危機モード〞のニュース取材に日々、従事していた。利害関係者の多い大企業の経営破綻は、その企業一社にとどまらない甚大な社会的インパクトがあった。時間の経過とともにじわじわと負の影響が広がって、少しずつ日本社会をむしばんでいく様子を目の当たりにした。
そうした中、自らの世間知らず加減と視野の狭さ、知識のなさに嫌気がさし、何かに突き動かされるような思いで、学際的な知識が得られる公共政策を学ぶことを志した。CWAJ(College Women’s Association of Japan)から返済不要の奨学金を受け、米国のハーバード大学、プリンストン大学、コロンビア大学の各政策系大学院が設ける社会人向け修士課程から入学を認められた中で、学費免除に加え、生活費や医療保険の支給が受けられたプリンストン大学国際・公共問題大学院(旧ウッドローウィルソンスクール)に約1年間、休職して留学した。俯瞰的に世の中を理解するために必要だと自分が考えた、定量・定性、様々な分析手法を貪欲に学び、公共政策で修士号(Master in public policy)を取得した。
だが帰国後はがらりと役割が変わり、引き続き『日経ビジネス』に所属しながら、オンラインメディア『日経ビジネスオンライン』(現『日経ビジネス電子版』)の立ち上げに編集者として従事することになった。
『日経ビジネス』本誌と兼務で新規事業に関わりながら、留学中に出会った米国トップスクールで学ぶ多くの優秀な日本人大学院生の姿を思い出していた。「世界で通用する優秀な日本人がこれほどいて、国外で活躍している」とリアルに知ったことが、留学で得た重要な知見の一つであった。
彼らが博士号(Ph.D.)を取得したころを見計らい経済学の企画を試行し始め、『日経ビジネス』本誌で「気鋭の論点」というアカデミックなコラムを立ち上げた。のちオンラインに移設したこのコラムを拠点に、主に海外で活躍する日本人の若手経済学者に、世界最先端の経済学研究の成果を紹介いただく活動を10年以上続けた。
留学時、政策にしろ経済学にしろ、米国で普通とされている議論と日本に入ってくる議論の質の違いに大いに衝撃を受けた。しかも、海外で活躍する日本人が、その知見を日本で発信しない。このままでは、日本で普通の社会人が学べるアカデミズムの水準が、足踏みしたままになってしまうのではないか、という大きな危機感を覚えた。少しでも内外の社会的な知的ギャップを埋めたいと思ったのが、経済学に基盤を置くアカデミックな企画を長い間、担当し続けた理由である。
その流れの中で、ジョセフ・スティグリッツ、ゲイリー・ベッカー、アルビン・ロス、リチャード・セイラー、ポール・ミルグロム、エスター・デュフロ、ジェームズ・ヘックマン各教授などといった、世界に深いインパクトを与えたノーベル経済学賞(アルフレッド・ノーベル記念スウェーデン国立銀行経済学賞)を受賞した経済学者へのインタビューも数々経験した。その多くを含めたインタビューの数々を再編集し、解説などを大幅に加筆して収録したのが、2023年7月に出版した『世界最高峰の経済学教室』である。
経済学に関しては学部、大学院を含め長年ウオッチしてきたが、経営学に関しては知識がまだ浅かった。そのため本書は冒頭に述べたように「企業経営」というキーワードだけが共通項で、後は野次馬的な立場から「これは面白い(知的に刺激的、という意味である)」と思ったものを片っ端から取材している。そこで自らに課したハードルは、理論的なテーマにおいてはトップスクールで世界トップクラスの実績がある理論家・イノベーター・論客に直接話を聞く、ということだ。自ずと、取材をお願いする教授陣は「大物」ばかりになった。
当時、直感的に面白くて取材したことが往々にして、ほどなく社会を動かす言論の潮流に発展した。学術の世界で話題になり研究が積み上がったものが、一般社会に広がるまでには数年単位、時に十年単位の年月がかかることが多いが、それを体感するところだ。
2023年の文庫版刊行に当たって、当時書いておきながら完全に忘れていたものの、今に生きる形で思い出される気づきがとても多い。手前味噌だが、むしろ今のほうが、改めて日々の執筆活動に生かせる場面もあるほどだ。トップレベルの知のエッセンスを世界から厳選して集めた、ビジネス思考の「考えるヒント」として楽しんでほしい。
【目次】
