その本の「はじめに」には、著者の「伝えたいこと」がギュッと詰め込まれています。この連載では毎日、おすすめ本の「はじめに」と「目次」をご紹介します。今日は堀越 功さんの『 通信地政学2030 Google・Amazonがインフラをのみ込む日 』です。

【序章】巨大IT企業が通信をのみ込む

 携帯電話やスマートフォン、固定電話、家庭のブロードバンドサービス。これらの通信サービスは、私たちの日々の生活に無くてはならない存在だ。

 新型コロナウイルス感染拡大によって長く行動制限が課せられた中でも、通信サービスは、私たちの仕事や生活を支える生命線となった。

 テレワークによって自宅から仕事を続けられる。オンライン授業によって、教育を受けられる。ネットを使って買い物も、食事の宅配依頼もできる。映画やドラマを好きな時に見られる。これらはすべて通信サービス、その中でも世界を結ぶグローバルなネットワークであるインターネットのおかげで実現している。

 通信サービスは今や、私たちの生活を支える上で欠かせない、社会・経済インフラと化している。

 通信サービスを提供するには、通信インフラ(通信設備)が必要だ。

 例えば携帯電話サービスの場合、全国各地に鉄塔を建てて、アンテナや基地局を設置し、地域の拠点(ネットワークセンター)と基地局を、光ファイバーなどの伝送路で結ぶ必要がある。ネットワークセンターには、受信者と送信者の間でやり取りされるデータを運ぶために必要なルーターやスイッチ、交換機といった設備を設置する。障害が起きた場合にサービスを直ちに復旧するために、監視設備や復旧体制も必要になる。

 通信サービスを提供する通信事業者は、このような通信インフラを全国に設置し、維持・運用するために、膨大な金額を投資している。国土面積37万8000平方キロメートルの日本において、10年ごとに技術の世代が変わる携帯電話サービスを提供する場合、1世代ごとに数兆円規模もの投資が必要だ。通信産業は、典型的な規模の経済が働く産業構造である。

 日本国内の通信産業は、1985年に施行された電気通信事業法による通信自由化を契機に大きな発展を遂げた。通信自由化によって多数の新規事業者が参入し、競争によって切磋琢磨する群雄割拠の時代に入ったからだ。2022年3月時点の国内の通信事業者数は約2万3000社、2020年度の国内の通信事業者の売上高は15兆2405億円という一大産業へと成長した。

 それ以前の第2次世界大戦終結後は、日本電信電話公社(現NTT)が国内通信を、国際電信電話(KDD、現KDDI)が国際通信をそれぞれ独占していた。

 通信自由化以降、急速な技術発展と激しい競争の結果、事業者の合従連衡も進んだ。NTTとKDDI、そして今世紀になってから参入したソフトバンクという大手3グループへの集約が進んだ。ここに2020年に新規参入事業者として携帯電話サービスを本格開始した楽天グループが加わり、現在の国内通信市場は形づくられている。

 通信事業者を起点とした投資によって、機器を納入する通信機器メーカーや、通信設備を設置する工事を請け負う通信建設会社などのビジネスも潤う。通信インフラがあるからこそ、ゲームや動画・音楽配信、SNS(交流サイト)といったオンライン上のサービスも広がった。通信インフラは、国内の様々な産業を潤す泉のような存在だ。

国内産業空洞化の恐れ

 国内産業を潤す泉のような存在――。そんな通信インフラが、2030年に向けて激動期を迎える。

 各国の通信事業者が設置する形が一般的だった通信インフラの領域に、米グーグルや米アマゾン・ドット・コム(以下、アマゾン)、米メタ(旧フェイスブック)、米マイクロソフトなどの巨大IT企業(ビッグテック)が、サービスのレイヤーを越えて侵出しているからだ。

 ご存じの通り、グーグルやアマゾンなどの巨大IT企業は、オンライン上のデジタルサービスの領域で、世界的な影響力を持つ存在だ。検索エンジンから動画配信、位置情報を使った地図サービス、電子商取引(EC)など、スマートフォンやネットで利用できる多様なデジタルサービスを提供し、世界で多くの利用者を集めている。

 これら巨大IT企業は、サービスを提供すると共に、利用者から様々なデータを収集・分析している。膨大なデータに基づいて、利用者の嗜好に応じた広告などを配信している。

 巨大IT企業はデータを分析することで、利用者に新たな価値をもたらした。一方で、大きな市場支配力を持つようになったことで、世界の多くの富を独占するようになっている。2021年7月には、グーグルと米アップル、メタ、アマゾンのいわゆるGAFAの時価総額の合計が約7兆500億ドル(約770兆円)に達し、なんと同時点の日本株の時価総額合計である6兆8600億ドルを超えてしまった。

 かつて時価総額で日本のNTTが世界一だった時期もあった。だが現在のNTTは世界の時価総額ランキングの上位百位にも入らない。日本勢は、GAFAをはじめとした巨ビッグテック大IT企業に大きく引き離されている。

 そんな巨大IT企業は、通信インフラ侵出の第一歩として、国際通信の99%を占める重要なインフラである海底ケーブルへの投資を加速している。

 海底ケーブルは、世界の大陸と大陸を結ぶ通信インフラの大動脈だ。これまで陸揚げ地域の複数の通信事業者を中心にコンソーシアムを組み、海底ケーブルを建設する形が一般的だった。太平洋横断の海底ケーブルクラスになると、平均で3年という年月、数百億円規模という投資が必要になる。

 そんな海底ケーブルの建設にグーグルなど巨大IT企業が単独で乗り出している。例えばグーグルが2023年の稼働を目指してプロジェクトを進めるカナダと日本を直接結ぶ初の太平洋横断ケーブル「Topaz」には、通信事業者は参画していない。グーグル単独で敷設する。

 巨大IT企業はなぜ、海底ケーブルに投資するのか。

 グーグルやアマゾンなどは、世界各地にデータセンターを分散設置している。冗長化やレスポンス向上のため、それぞれ別のデータを保持するのではなく、同じデータを複数のデータセンターに保持する。そのデータ同期のために、大容量の海底ケーブルが必要になる。膨大なデータを集めて分析する巨大IT企業のデジタル覇権において、データを運ぶ海底ケーブルも競争力の源泉になっているわけだ。グーグルらは当初、通信事業者が建設・設置した海底ケーブルを借りていた。しかし自ら海底ケーブルを引いたほうが、経済合理性に優れることに気づいてしまった。

 巨大IT企業による通信インフラへの侵出は、海底ケーブルにとどまらない。アマゾンの子会社である米アマゾン・ウェブ・サービス(AWS)やマイクロソフト、グーグルなどが主に企業向けに提供するクラウドサービス。実はこのクラウドサービス上で、携帯電話サービスに必要な通信設備を構築できるようになっている。

 例えば米国の新興通信事業者のディッシュ・ネットワークは、AWSのクラウドサービスを活用し、「仮想化」と呼ぶ技術によってソフトウエアで5G(第5世代移動通信システム)インフラの大部分を構築した。同社は2022年5月から米国の一部地域でサービスを開始した。

 将来的には国境をまたぎ、AWSやマイクロソフトのクラウドサービスを全面的に活用し、自らの設備をほとんど持たずに通信インフラを構築する通信事業者が登場する可能性がある。通信事業者は、巨大IT企業のクラウドサービスを活用することで、通信インフラ構築にかかる初期コストや運用負担を軽くできる。クラウドサービスの活用は、ソフトウエア化が進む通信インフラにおける技術進化の一つの方向性だろう。

 巨大IT企業は、自らのリスクを取って、経済合理性に基づいて通信インフラへの侵出を進めている。それ自体は健全な経済活動であり、否定されるものではない。

 しかし、通信事業者の設備投資を起点に国内産業を潤わせてきた通信インフラの役割はどうなるのか。この部分は、着実に巨大IT企業に吸い取られていくことになる。つまりデジタル覇権を進める巨大IT企業の支配力が、通信インフラの領域にまで及ぶ。国内産業の空洞化をもたらすという別の課題が浮かび上がる。

 かつて世界の通信事業者は、GAFAなどのデジタルサービスを提供するプレーヤーを「OTT(オーバー・ザ・トップ)」と呼んだ。通信インフラにタダ乗りし、サービス領域の富の大半を奪っていく姿勢を暗に批判するニュアンスを含んでいた。通信事業者は、OTTに回線を提供するだけの「土管屋」に甘んじる立場に我慢ならなかったからだ。だが時代は巡り、巨大IT企業自らが通信インフラに投資するようになった。通信事業者は将来的に「土管屋」という立場すら危うくなる可能性がある。

「デス・バイ・アマゾン」が通信で起きたら…

 巨大IT企業による通信インフラへの侵出の影響について、さらに想像を膨らませると、もう一つの課題が浮かび上がる。いわゆる「デス・バイ・アマゾン(アマゾンによる死)」のような状況が通信インフラで起きた場合、社会・経済的に大きなインパクトが引き起こされるという懸念だ。

 デス・バイ・アマゾンとは、消費者第一を掲げたアマゾンのサービスによって、既存の小売業者が追い詰められ、市場撤退を余儀なくされる状況を指す。例えばアマゾンの電子書籍サービス「キンドル」がその一例だ。キンドル上で販売される電子書籍は低価格と行き届いたサービスで、多くの利用者を集めた。

 一方でその影響によって、市場撤退を余儀なくされたライバルの電子書籍サービスやリアル店舗を構えていた書店は数限りない。それもそのはず、アマゾンは巨額の売上高を計上しているのにもかかわらず、利益をほとんど出さないという独自の経営戦略を取っているからだ。

 消費者にとって安く便利に電子書籍を手に入れられること自体はうれしいことだろう。しかし「アマゾンがライバルを追い出して市場を独占した後、ある日、突然サービスを値上げしてこれまでの損失を取り戻すのではないか」という疑念は根強い。いわゆる「略奪的な価格設定」と呼ばれるアプローチだ。実際、アマゾンは、配送特典などを含む会員制プログラム「Amazonプライム」の年会費について、多くの利用者を集めた後、米国や欧州で値上げに踏み切っている。

 このようなアマゾンのアプローチへの批判の急先鋒は、2021年に32歳で米連邦取引委員会(FTC)の委員長に就任したリナ・カーン氏である。

 カーン氏は、米イェール大学の法科大学院生であった2017年にイェール・ロー・ジャーナル誌に書いた論文「アマゾンの反トラスト・パラドックス」で世界的に注目を集めた。カーン氏は同論文において、短期的な回収を犠牲にしても市場シェアの拡大を求めるアマゾンのようなプラットフォーマーの戦略について、これまでの競争法とは異なるアプローチで評価する必要があると説く。

 米国の競争法(反トラスト法)は過去30年ほど、消費者の利益のみに着目して競争を評価してきたという。しかしカーン氏は競争を脅かす可能性があるアマゾンのようなアプローチに対しては、市場の根本的な構造とダイナミクスを分析するような新たな枠組みによる競争評価が必要という論陣を張る。

 仮に巨大IT企業が、「略奪的な価格設定」のようなアプローチを通信インフラ分野で取った場合、どのような未来が待っているのか。

 各国の通信事業者は、安くインフラを構築できる手段として巨大IT企業のクラウドサービスを活用するだろう。その後、通信事業者は巨大IT企業のクラウドサービスに依存するようになる。通信インフラにクラウドサービスを活用することが欠かせなくなり、他の選択肢が無くなったタイミングで、巨大IT企業が通信インフラとして提供するクラウドサービスを値上げする――。

 こうなると、もはや各国の通信事業者に主導権はなく、巨大IT企業の胸三寸で、国の社会・経済インフラとして欠かせない通信サービスの料金が左右される事態に陥る。国家安全保障上の重要インフラである通信が、巨大IT企業の手のひらで転がされる。このような未来は望ましくないだろう。

 もちろんこれは最悪を想定したシナリオだ。巨大IT企業は、今や社会基盤と化しつつあるクラウドサービスについて「略奪的な価格設定」によるアプローチを自重する可能性がある。クラウドサービスを提供するグーグルなどの巨大IT企業は、各国の法規制に準拠してデータを扱う「ソブリンクラウド」を提供するとしている。だが国の社会・経済インフラの根幹となる通信インフラの今後を考える場合、あらゆるシナリオを事前に検討する必要があるだろう。

ウクライナ侵攻で加速「ネットの分断」

 昨今、複雑化する国際情勢を読み解くアプローチとして「地政学」というキーワードが注目を集めている。地政学とは、地理的な位置関係が国際政治情勢にどのように影響を与えるのかを研究する学問のことだ。現代において、陸や海といった伝統的な地理関係に加え、デジタルというバーチャルな地政学も欠かせない。通信インフラに侵出する巨ビッグテック大IT企業の動きは、デジタルサービス領域から通信インフラ領域への侵出という、デジタル覇権についての地政学リスクと理解できよう。

 本稿を執筆中の2022年10月時点で、現実世界ではロシアによるウクライナ侵攻が続き、中国の海洋侵出による台湾海峡の緊張も進行している。そしてこれら現実世界の地政学リスクが、インターネット上に及びつつある。「自律・分散・協調」をベースにグローバルで発展してきたインターネットが、地域ごとに分断していくという危機に直面しつつあるのだ。

 ロシアによるウクライナ侵攻では、インターネット上の「サイバー空間」も戦場の一つになっている。重要施設へのサイバー攻撃やフェイクニュースによる情報戦などがもはや日常として進行している。おそらくウクライナ侵攻は、インターネットが世界的に普及してから、初めての大規模な戦争だろう。

 社会・経済インフラとして国にとって欠かせなくなったインターネットを、止めようという動きもある。

 ウクライナを支持する米欧諸国は、経済制裁の一環としてロシア国内からのあらゆるサービスの撤退を呼びかけている。米アップルはロシア国内で「iPhone」の販売を取りやめた。グーグルもロシア国内での広告取引を停止し、マイクロソフトもサービス停止や製品の販売取りやめに踏み切った。通信機器大手の米シスコやスウェーデンのエリクソン、フィンランドのノキアもロシア事業からの撤退を決めている。

 そしてウクライナはロシアへの経済制裁の一環として、インターネットのアドレス管理などを担う非営利団体「ICANN」に対し、ロシアのインターネットを接続できなくすることを求めた。ICANNは「.com」や「.org」といったインターネットの識別子管理の総元締だ。「.ru」や「.su」といったロシアのアドレスを無効化することで、事実上ロシアをインターネットから締め出せる。

 しかしICANNは「インターネットは様々なステークホルダーが協働してポリシーを策定している。ICANNがインターネットを止める調整をする立場にない」とし、ウクライナの要求を突っぱねた。

 一方ロシア側は、ウクライナの占領地におけるインターネットを「ロシア化」していると報じられている。米欧諸国の情報を遮断し、ロシアによって監視・統制されたネットワークに組み込むという動きだ。グローバルで単一のネットワークであったインターネットは事実上、分断へと向かいつつある。

 インターネットを巡る、二つの異なる立場の対立も加速している。

 ここに来て、ロシアや中国などの権威主義的といわれる国は、国家によるインターネット統制を高めようという「サイバー主権」という考え方を示している。それに対し、米欧を中心とした民主主義国は、国家のみならず、学術機関や企業など様々な意見を踏まえた、マルチステークホルダーによる自由で開かれたインターネットを守る立場だ。

 インターネットの主権は誰にあるべきなのか。インターネットが本格的に普及してから約30年が経過した現在、インターネットの管理のあり方が問われている。


 本書は、このような激変期を迎えた世界の通信について、地政学という切り口を交えてフォーカスを当てる。通信分野において、デジタル領域を含む地政学的な切り口を考えると、いくつかの対立軸が見えてくる。例えば、通信インフラに侵出する巨大IT企業と通信事業者のせめぎ合い、巨大IT企業と通信機器大手のぶつかり合い、インターネットの管理を巡る中露など権威主義国と米欧など民主主義国の争い、5Gを契機とする米国と中国という二大大国のデカップリング(離反)、巨大IT企業に対し新技術で挑むNTT、そして、データを巡る巨大IT企業と欧州の闘いだ。本書では、これらの動きから、来る2030年代の情報通信の世界を展望してみたい。

【目次】

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