情報格差がなくなりつつある近年、競合する企業はすぐに戦略をまねできるはずだ。しかし、戦略は簡単には模倣されず、優れた企業は依然として競争力を維持している。ここには「文脈」の隔たりが潜んでいると、一橋ビジネススクールの楠木建・特任教授は指摘する。実際、現在のネットフリックスはDVDレンタル業という初期事業の文脈が競争力の源泉になっている。楠木氏と、ベンチャーキャピタルの第一線で活躍し『ゼロから創らない戦略 イノベーションを駆動する「価値移転」の法則』(日本経済新聞出版)を刊行した野本遼平氏が、「価値移転」というレンズで事業の勝ち筋と、日常に埋もれたビジネスチャンスの見つけ方を徹底的に言語化する。オンライン対談の2回目。
構造さえつかめれば強い立ち位置を確保できる
一橋ビジネススクール特任教授 楠木建氏(以下、楠木) 私と野本さんの視点の違いを感じた部分がありました。野本さんはあるエコシステムの中で過小評価されているリソースを「仕入れ」て別のエコシステムに移すことで利潤を創出する仕組みのことを「価値移転」と定義されています。ビジネスの成功要因をエコシステムの文脈で捉える。これは非常にマクロな視点で、産業組織論に近いと感じています。ビルの10階ぐらいから俯瞰(ふかん)している感じです。
私の場合は、そこまでマクロではなくて家の2、3階から見ている感じです。私は競争戦略という分野で仕事をしているので、非常にミクロな部分、個別企業の競争とか事業成功のロジック、戦略の独自性などに注目しています。
グロービス・キャピタル・パートナーズ ディレクター 野本遼平氏(以下、野本) そう言われると、そのような気もしてきます。ただ、それは単に俯瞰したいわけではなくて、根底には、背景にある構造を明らかにしたいという思いがあるのかもしれません。
例えば、AI(人工知能)が登場して、論理性や正確性が求められる仕事はAIに奪われる一方で、正解のない状況で判断する力や感情労働の能力が高い価値を持つようになりつつあります。そうすると、これまでの社会で評価されてきた人が、AI時代の社会においては評価されなくなる可能性もあるわけです。でも、その人の能力は何も変わっていない。変わったのは、周囲の構造です。
これは構造主義的発想と言えるかもしれません。価値というのはそれ自体に宿っているのではなく、コンテキストや相対的な関係性の中で決まる。だから私は、「何を持っているか」だけでなく「今どんな環境・構造に置かれているのか」を確認することも極めて重要だと思っているんです。
なので、私が10階から見ようとしているのは、「俯瞰したときに、どんな構造なのか」です。構造さえ正しく読めれば、一見すると無力な企業でも、文脈次第では強い立ち位置を確保できるかもしれない。
優れた競争戦略も文脈によっては無価値に
楠木 私の「2、3階から」の視点で言うと、個別の企業が持っている戦略ストーリーの文脈が主観的にそのリソースに価値があるとかないとかを決めているわけなので、野本さんの言葉を借りるなら「文脈間移転」という表現をすると思います。
一橋ビジネススクール特任教授
情報の流通がこれだけ容易になっているのに、激しい競争の中で優れたパフォーマンスを達成している会社が、依然として競争力を維持しているのはなぜなのかということに関心があります。
それは、ストーリーの隔たりがあるからなんですよね。ある企業では戦略ストーリーとして価値を持つものが、別の企業の文脈だと無価値どころか、非常に良くないことに見えてしまう。戦略ストーリーが分かっていても、相手が模倣できないのではなく、模倣したくないんですね。
野本 文脈が異なるがゆえにそもそも模倣したくない、という観点は極めて重要に思います。空き部屋のマッチング型プラットフォームであるエアビーアンドビーがその例に当てはまるかもしれません。
既存業界は品質が保証できないという観点から、「素人が部屋の貸し借りをする」という初期のエアビーアンドビーの戦略をまねできても、まねしたくなかったと思うんです。本書でも、価値移転においては外部不経済や構造的な副作用を伴うことが多いと指摘しましたが、そのトレードオフが懸念材料になって、信頼をブランド価値として重んじる既存プレーヤーにはまねができないということが、一時的な現象として起き得るというのが私の見立てです。
楠木 『ゼロから創らない戦略』に書かれていたエアビーアンドビーとウィーワークの対比の部分は非常に印象に残っています。いずれも空間のシェアリングサービスですが、エアビーは価値体系のずれを見いだして「プライベート」エコシステムと「マーケット」エコシステムの間に橋を架け、リソースである空き部屋の価値移転に成功しました。一方、ウィーワークは価値体系にずれがなく、空振りに終わりました。
過去の経験に答えを見つけたネットフリックス
楠木 野本さんの「価値移転」の概念を私が評価する理由はほかにもあって、それは人があまり考えないことを考えさせてくれるという点です。事業の成功や価値の創出を考えたとき、みんなこの先どうなるのかとか、どの業界が伸びるのかとか、先のことを考えます。ところが価値移転というコンセプトを持っていると、これまではどうだったのかという過去の事業構造に洞察があるわけですよ。
前回 「楠木建×野本遼平 『価値移転』という成功の本質を見抜くコンセプト」 で出てきたフェイスブックの事例も、これから人々がインターネットをどう使っていくだろうかではなく、これまでにあったソーシャルグラフのほうに目を向けていました。過去のほうに何か答えがあるのではと考える、これは非常に重要なことだと思います。
私は少し前に『 逆・タイムマシン経営論 近過去の歴史に学ぶ経営知 』(共著/日経BP)という本を書きましたが、その考えで言うと、ネットフリックスはDVDレンタル業をしていたときの経験が今の競争力にものすごく影響を与えていると思っています。
野本 ネットフリックスはDVDレンタルのオンデマンド事業で成功し、多くのユーザーを獲得していたため、ストリーミングサービスに参入したときに、すでに構築済みのユーザー基盤をほかのエコシステムに持ち込むという「変則的な価値移転」を仕掛けることができました。
グロービス・キャピタル・パートナーズ ディレクター
楠木 当時のDVDレンタル業界はブロックバスターが市場を支配していて、実店舗も多く圧倒的な仕入れ力を誇っていました。一方、ネットフリックスはオンラインで注文を取ってDVDを郵送するという新しいビジネスモデルで対抗していました。ですが、大量に仕入れられるだけの体力がなかったので、顧客がネットフリックスのサイトにアクセスしても、見たい最新の人気作品は常に貸し出し中で、結局ブロックバスターの店舗に行ってしまうというありさまでした。
けれどあるとき、オンラインのストリーミングサービスを始める前の段階ですが、ウェブサイトに来たお客さんが何をチェックして、最終的にどの作品を借りて、返却した後は次に何を借りたのかという行動データをきちんとデータベースにして、何らかのアルゴリズムで分析すれば、一人ひとりのお客さんの好みがある程度推定できるのではないかと考えたわけです。
そうだとすれば、次にその人がログインしたときに、好みそうな旧作をレコメンドしていけば、借りてくれるのではないかと。新旧作品の需要が平準化でき、限られた在庫がうまく回るようになるのではないかと予測を立て、そこから真剣に顧客の行動や態度をデータ化し、トラッキングや分析を行っていったのです。
要するに、今のネットフリックスがサブスクリプションとかコンテンツ制作でもうけているのと同じロジックなのですが、これをDVDレンタルの時代から全力でやってきているのです。逆に言えば、それしかもうかる素地がなかったからなのですが、AIだとかビッグデータだとかいってあぐらをかいているようなライバル会社とは根本的に違います。
野本 楠木先生がおっしゃっていることで一番重要なのは、ネットフリックスが「制約から戦略を発明した」という点だと思います。仕入れ力がない、だから新作で勝てない。これは普通に考えれば弱点です。しかし彼らは、その弱点を補おうとするのではなく、弱点があるがゆえに「旧作を楽しんでもらえる状態」をつくること、もっと言うと、「新作で勝負しなくてもいい構造に自らをポジショニングすること」に全力を注いだということです。
ここには「戦略の起点はどこか」という問いが埋め込まれています。多くの企業は、強みから戦略を考えます。「我々にはこのリソースがある、だからこう攻める」と。しかしネットフリックスは逆で、「できないこと」の輪郭を徹底的に観察することで、「できること」の本質を発見し、優れたポジショニングにたどりついたのだと理解できます。
「業界の常識」がイノベーションの邪魔に
楠木 ネットフリックスの例は、厳密には、外部経済から内部経済への仕入れということではないのですが、大きな隔たりのなかでリソースが移転されることによってそれが強みになって成功した、ということを考えさせられました。
野本 ストリーミング配信では、DVDの貸し出しとは異なり旧作も視聴者にレコメンドがしやすくなります。価値が低く見積もられている旧作が「外部経済」で、本当はそれが好きな人というのが「内部経済」という見方をすると、これも価値移転の事例だと言えます。
旧作には価値がないどころか、時間の試練に耐えているものであれば、新作よりも作品としては優れているはずです。ただ、視聴者に適切に届ける仕組みが存在しなかったために、「外部経済」に放置され、経済的価値が十分に発揮されていなかった。ネットフリックスはそのズレを見抜き、流通構造をテクノロジーでアップデートすることで、眠っていた価値を再定義したわけです。ネットフリックスは価値移転が得意な企業ですね。
楠木 ネットフリックスはまさに価値移転企業だと思いますね。ただ昔からそうだったわけではない。DVDレンタル業をしていたころ、経営陣の中心にいたのは映画や創作に思い入れのある人たちでしたが、事業としては鳴かず飛ばずでした。途中から加わって今も残っている人たちは、実は、映画や文化、創造などに何の関心もない人たちですが、価値移転に成功した。思い入れのない人たちのほうが、かえって価値移転をやりやすいのかもしれないですね。
野本 それは確かにそうでしょうね。「ファウンダー・マーケット・フィット」、すなわち、ある事業が対象としているマーケット(業界)に関する適切な経験値や人脈をファウンダー(創業者)が持ち合わせていることが重要であるという概念が一般的には普及していますが、いろいろな業界やスタートアップを見ていても、業界にインパクトを与えている人は実は外様だったりします。イーロン・マスクは宇宙専門でも自動車専門でもロボット専門でも脳神経科学専門でもない。なのに、あれだけのことをやってのけています。
ウーバーもエアビーアンドビーも、業界出身者の経営陣によって導かれた企業ではありません。LVMH会長兼CEO(最高経営責任者)のベルナール・アルノーも、不動産業界の出身です。思い入れは必要ですが、実はありすぎると従来のコンテキストや業界の常識に拘泥(こうでい)してしまって逆効果にもなり得る、ということもあるのではないかと思います。
(第3回に続く)
文/橋口いずみ バナー写真(楠木氏)/斎藤弥里
野本遼平著/日本経済新聞出版/2420円(税込み)


