高卒バイトから24歳で社員に登用され、𠮷野家ホールディングス(HD)のトップに上り詰めた河村泰貴氏。子会社のうどんチェーンはなまる時代を含め、18年間社長を務め、その間、自らの生き方や仕事術、人生哲学をつづった560通のメッセージを従業員に送り続けた。無気力で何の取りえもない若者が、どのようにして変貌を遂げたのか。そのエッセンスをまとめた新刊『自分以外のすべてがわが師』から、抜粋してお届けする。その第1回。

 わたしや安部修仁名誉会長、成瀨哲也社長、そして多くの当社の幹部が、アルバイトからキャリアをスタートしました。それに関して、しばしば社内外の方にこう聞かれることがあります。

「どうして、アルバイトから社長になれたのですか?」

 この質問、正直、回答に困ってしまうんです。なぜなら、わたしは一度も社長を目指して働いたことがないからです(苦笑)。そのため、「ただ一生懸命やってきただけですよ」としか答えようがなかったりします。すると、「でも、一生懸命やっているのは皆同じじゃないですか?」と返されたりすることもある。確かにその通りですね。

河村泰貴(かわむら・やすたか) 𠮷野家ホールディングス(HD)会長
1968年大阪市生まれ。87年に広島県立広島皆実高校を卒業。大学には2度入学するが、いずれも中退。19歳のころ、アルバイトとして大阪の𠮷野家で働き始めた。4年半のアルバイトを経て、93年に𠮷野家ディー・アンド・シー(現・𠮷野家HD)に入社した。97年にセゾン総合研究所出向、2004年に、グループ会社のうどんチェーン、はなまるの経営再建のため、取締役に就任。07年同社社長。12年に43歳で𠮷野家HD社長に就任した。14年には事業会社、𠮷野家の社長を兼務。前社長の安部修仁氏に続き、アルバイト出身の社長となった。25年会長に勇退した。(写真/鈴木愛子)

成長機会をたぐり寄せる三つの要素とは?

 もう少し考えてみました。

 するとすぐに思い当たるのは、わたしは先輩や上司、同僚に恵まれていたことです。たくさんの成長の機会、できないことに挑戦する機会に恵まれ、いちアルバイトにすぎなかったわたしが、マネジメントを勉強し、会計知識を勉強し、マーケティングを勉強し、リーダーシップを勉強する機会を与えていただいてきました。

 では、どうすればそのような機会に恵まれるようになるのか?

 今度は、過去を振り返ってみるだけではなく、人事や評価をする経営者という立場からのモノの見方も加えて考えてみました。成長の機会をもらうには、一生懸命やることは当たり前として、それ以外に大きく分けて三つの要素があるのではないでしょうか。

 一つは、お客様、上司、会社、同僚、部下など、自分の周りの人が自分に期待してくれていることに対して、ほんの少しでもいいから、期待を上回れるように努力すること。

 例えば、上司の立場からすると、こちらの期待よりも上の行動を起こした人には、結果はともかく、またチャンスを与えようという気になるものです。二つ目は、たとえ嫌な仕事を割り当てられたとしても、愚痴や泣き言の類いをなるべく言わないこと。

 これは本当にもったいないです。

文句を言いながらやる人は大きな損をしている

 いずれにせよ、やらなければいけないんです。いやいやでも、気持ち良くでも、やることは同じです。でも、前者と後者とでは、周りの評価や印象が全く違う。文句を言いながらやる人は、同じことをしても正当に評価されないことがあります。なんか、損ですよね。このことに気づいていない人が、意外と多いのではないでしょうか。

 三つ目は、「素直さ」です。いったん、素直な心で物事を受け止めてみること。わかったような気にならないこと。それが、気づきの量を増やします。

 気づきの量を増やさないことには、学びの量は増えません。「我以外皆我師(自分以外のすべてがわが師)」の精神です。一生懸命やっているのは皆同じです。なぜわたしがアルバイトから社長になることができたのかといえば、一生懸命やることに加えて、これら三つのことを心がけていたからかもしれません。

 すべての人に社長を目指してほしいとは思いませんが、自分の成長にはどん欲でいてもらいたいです。

大学中退、無気力な高卒バイトから2000億円企業のトップへ。𠮷野家ホールディングス会長・河村泰貴が明かす、どん底からはい上がるための「逆転」の仕事哲学。「我以外皆我師(われいがい、みなわがし)」を座右の銘に18年間、従業員に送り続けた560通のメッセージから厳選された「現場の教科書」には、泥臭くも即効性のあるメソッドが満載です。

河村泰貴 著/日経BP/1980円(税込み)