受信したメールがポップアップで表示されると、画面を切り替えて見てしまう。スマートフォンの通知音が鳴るたびに相手先を確認せずにはいられない……。そんな人は少なくないでしょう。情報過多の時代に、私たちはどうしたら目の前のことに集中できるのでしょうか。その具体策を解き明かし、オランダで10万部超えのベストセラーとなった書籍の和訳版が『 脳をオフにせよ 仕事も人間関係もうまくいく集中術 』(マルク・ティッヘラー、オスカル・デ・ボス著、児島修訳/日経BP)です。あまたある集中力の本の中で、本書が支持を得た理由は何か──翻訳を手掛けた児島修さんに聞きました。
悩みをシンプルな方法で解決してくれる本
『 脳をオフにせよ 仕事も人間関係もうまくいく集中術 』(マルク・ティッヘラー、オスカル・デ・ボス著、児島修訳/日経BP)の翻訳を手掛けられたきっかけを教えてください。
児島修氏(以下、児島) 私はフリーランスで翻訳の仕事をして16、17年になります。自宅という強制力のない環境で集中力をどうやって保つかは、日々の課題でした。ですから、今回の本は私自身にとっても興味があるテーマでしたし、ビジネス系の自己啓発書は、比較的数多く手がけてきたので得意分野といえます。
翻訳には通常2カ月ほどかかりますが、その時間が確保できるタイミングでもあったし、担当編集の黒田さんからのメールを見て、「こういう編集者からのご依頼があれば受けるしかないな」といういい予感もありました。
本書のどんなところに、魅力を感じましたか。
児島 集中力を高め維持する方法を、実にシンプルに捉えている点です。集中力が欠けてしまう要因や効果的な対策について、どれも具体的に書かれているのですが、それぞれに科学的裏付けがあって、「あ、こういうことなのだ」と腑(ふ)に落ちる説得力がある。それが一番の魅力だと思いました。
著者は2人いて、1人は心理学の観点から集中力を研究する心理学者で、もう1人は企業向けに集中力セミナーを展開している実践家です。科学的な見地による理論的裏付けと、ビジネス現場で実証してきた経験の両方がある2人だからこそ、読者に実践できる知識として伝えられる本になっています。
「マルチタスクはよくない」は誤り
その一部をご紹介いただけますか?
児島 本書で集中力が欠けてしまう要因と紹介しているのが、「刺激が少なすぎる」「内部刺激が多すぎる」「エネルギー不足」「外部刺激が多すぎる」の4つです。
例えば、「刺激が少なすぎる」については、次のように説明しています。集中力が低下するのは、周りの環境や自分のコンディションのせいと思うかもしれませんが、作業自体が集中できないものになっている場合があります。その1つが、タスクが単調すぎたり難易度が低すぎたりする「刺激が少なすぎる」状態のとき。すると脳に余剰のスペースが生まれ、そこに雑念が入り込んでくるというのです。
近年の自己啓発ブームの中で「マルチタスクはよくない」という認識が広まりましたが、厳密に言うとよくないのはタスクスイッチングです。メールを書く作業と企画書作成のようなまったく異なる作業を頻繁に切り替えること(=タスクスイッチング)は避けるべきです。
しかし、1つの作業に取り組みながら脳に余裕がある場合、その隙間を埋めるサブタスクを並行させることは、むしろ集中力を高めるのに役立ちます。車の運転中にラジオをつける行為や、電話中に無意識に紙に落書きをする行為は、脳の余剰スペースを埋めることで本来の作業への集中を高める効果があるのです。
「内部刺激が多すぎる」は、気が散る要因が自分の頭の中にあって、それによって集中力が奪われているというものです。タスクの切り替えによっても生じますし、中途半端にやり残したことがたくさんあると、気になって集中できないということになってしまう。
対策としては、気になっていることをすべて紙に書き出し、後で対処すると決めてしまう。あるいはタスクをグループ化して、タスクスイッチングを最小限に抑える。テーマ別に時間を区切る方法も、内部刺激を減らすうえで効果的です。
このようにそれぞれの要因について、効果的なヒントが数多く紹介されています。
これからのAI時代に意識するべきこと
児島 また、注意の向け方には2種類があるとして、「選択的注意」と「拡散的注意」を解説しています。選択的注意は、特定の対象に意識を絞り込む、一般的な意味での集中力です。拡散的注意は、フォーカスを緩めてよりオープンな思考状態を保つ注意の形で、そうしたときに創造性が高まりやすくなります。
新しいアイデアを思いつく仕組みも、焦点を絞るよりも、焦点を緩めること(=脱集中)のほうが効果的です。シャワーを浴びている時や散歩中にふとアイデアが浮かぶのは、偶然ではなく、脳が「デフォルト・モード・ネットワーク」と呼ばれる活動状態に入り、バックグラウンドで情報を整理・統合しているからだと考えられています。それによって自分の考えがまとまったり、記憶が定着したりする。意識的に集中を緩めている時間こそ、脳が最も創造的に働きます。
人工知能(AI)などの発展が目覚ましい今、ますます情報があふれかえっていくことでしょう。だからこそ、これからの時代は、選択的注意と拡散的注意を意識して使い分けていくことがすごく大切になってくるのではないかと思います。
フォーカスしないほど創造性が高まる
脳をオフにすることで、実は脳はすごい仕事をしてくれているのですね。
児島 この本を読むことで、創造的な活動のためには脳をオフにすることが大切だと知ることができ、積極的にそういう時間を持とうという気持ちになれます。何も考えずにぼーっと空を見たりゆっくり散歩したりする時間こそ、実は一番人生にとって豊かな時間で、そこに罪悪感を持たなくていいと感じられます。
これまでは、「この時間がもったいない」「ネットで情報をフォローしていなければ自分だけ遅れてしまう」と感じていた方も、スパッとオフにしたほうが、むしろ本当に必要なもの・大事なことを選び取れるようになる──それがこの本の大切なメッセージだと感じました。
集中力が高まると、仕事がスムーズに進み、気持ちよく作業できます。効率よくやるべきことが終わるので時間的な余裕ができ、その間に創造的なアイデアも生まれます。集中してこなしたことによる解放感と充実感は、精神的・肉体的な健康にも直結しますし、ウェルビーイングが上がっていきます。
集中力は、仕事とプライベートの充実を左右する重要な要素。そのために大切な情報、価値観が書いてある本ではないかと思っています。
この本を訳して、児島さん自身に変化はありますか?
児島 集中できていない時は、自分で4つのどの要因があるのだろうと考えてみて、例えば、作業自体が簡単すぎて退屈に感じているなと感じるときは、「ちょっとスピードを上げて訳してみよう」と意識するようになりました。
また、ここ数年、オーバーワーク気味で余裕のない状態が続いており、自分でもよくないなと感じていたのです。いいタイミングでこの本に出合えて、仕事量をセーブして集中しようと考えるようになりました。やるべきことをやって、裏山を散歩したりランニングをしたりしていると、いろいろなアイデアが湧いてくるのを実感しています。集中して仕事を終わらせてしまえば、その日にやるべきことを成し遂げた安心感がありますし、自由な時間が増えるので幸福度が上がります。空いた時間に本を読むなど、自分の人生を豊かにするような時間の使い方をしたいと思っています。
どんな人におすすめしたいですか?
児島 私のようなフリーランスで働く人はもちろんですが、学生や会社勤めの方など、あらゆる方に読んでほしいですね。
たとえば本書では、職場を3つにエリア分けすることで、働きやすい環境を作る方法が紹介されています。集中エリアは仕事に専念する場所、共同エリアは会議やコラボレーションに使う場所、交流エリアはリラックスや雑談のための空間です。上司や会社がこうした工夫をすることで従業員のウェルネスや生産性が向上し、良い業績にもつながります。
これからの時代そういう変化が起きていくでしょうし、そのきっかけになるような本ではないかと思います。
取材・文/中城邦子 構成/黒田琴音(日経BOOKSユニット編集部)、市川史樹(日経BOOKプラス編集) 写真/鈴木愛子
マルク・ティッヘラー、オスカル・デ・ボス著/児島修訳/日経BP/1980円(税込み)





