大切だとわかっている仕事ほどなぜか後回しにしてしまう――多くのビジネスパーソンに共通する悩みだろう。企画書やプレゼン資料などの「書く」仕事は特に、すぐには書けない理由を探して、時間ばかりたってしまいがちだ。『 「書けない」悩みに効く論文執筆術 』の翻訳を手がけた後藤伸彦さんと波多野文さんが、そうした悩みから抜け出すためのヒントを2回にわたって語る。前編は、「書く」ハードルをいかに下げるかについて。
「サクサク書ける」のは一握りの人だけ
お二人のような研究者の方々は、論文を「サクサク書ける」超人なのだと思っていました。「書けない」悩みとは無縁のイメージがあるのですが――
後藤伸彦氏(以下、後藤) サクサクなんて、とんでもない(笑)。研究者でも、本当に一握りの人だけだと思います。いわば“山の頂”にいる人たちは、そうなのかもしれませんが、“裾野”にいる多くの人は、いつも「どうすれば論文を書けるか」と考えている。周囲からは「書ける人」みたいに見えているかもしれませんが、実際はかなり苦しんでいるというのが実態です。
例えば、「先にこの仕事を片付けよう」「この案件が終わったら論文に取りかかろう」「いや、まだこれもあったな」と、書かない理由を探して現実逃避をする。そうして最終的に、「いよいよまずい」というところまで追い込まれて、泣きながら死に物狂いで書く。少なくとも、僕はずっとそんな感じでした。

「論文執筆」は、それほどプレッシャーの大きいものなのでしょうか。
波多野文氏(以下、波多野) 大学院生の頃から、論文を書くことは学位を取る条件になっています。つまり、研究者にとって「書くこと」は非常に重要で、本来は仕事の一部のはずなんです。それなのに、計画段階からスムーズに進められる人もいる一方で、気づけば後回しになってしまう人がたくさんいる。周囲が次々と論文を出していくのを見ては焦り、「自分はダメだ」「できない人間なんじゃないか」と落ち込んでしまう。そうして自己否定が強まるほどますます手が止まって、悪循環に陥ってしまうんです。
「書けない」の裏側にある本当の理由
「書けない」悩みの背景には、どのような要因があると感じますか。
後藤 一番大きいのは、「この論文によって、自分がどう評価されるのか」という不安でしょう。査読という、論文を専門家が精読し、学術誌への掲載可否を判断するプロセスにおいては、厳しいコメントを受けることが少なくありません。論文へのコメントなのに、人格そのものを否定されたように感じてしまう人もいます。
こうした、批判や攻撃的なコメントによって傷つくことを恐れる心理状態を、本書では「敵意的読者恐怖症」と表現しています。でも実際は、査読者は「敵」ではありません。恐怖心によって相手を「敵」とみなしてしまうから、指摘が攻撃のように見えてしまうんです。
ビジネスの現場でも、上司やクライアントから手厳しいフィードバックを受ける場面は少なくありません。その受け止め方にも通じる話ですね。
波多野 本書でも繰り返し強調していますが、たとえ厳しいコメントがついたとしても、査読によって掲載不可と判断されたとしても、それは「人格を否定しているわけではない」し、「あなたの人生全体を否定しているわけでもない」んです。査読者は、その研究に関心があるからこそ質問し、異論を述べているにすぎません。

ただ、そうした指摘を「全否定された」と受け止めてしまう背景には、研究者が孤立しやすい、あるいは孤立を選びがちだという事情もあると思います。周囲に相談できていれば違う結果になったかもしれないのに、実際には協力を求めづらい環境があるのも事実です。
「忙しさ」が孤立に拍車をかける
なぜ、孤立しやすいのでしょうか。
後藤 周囲が「圧倒的に忙しい」という事情が大きいと思います。僕は、大学教員としては恵まれた環境にはいますが、それでも上司や先輩の教員とじっくり話せるのは月に1回あるかどうか。その1回も、1時間に満たないことが多い。大学運営、授業や授業準備、共同研究のプロジェクトなどもあり、みなさん本当に多忙です。だから「自分のために時間を割いてもらうのは申し訳ない」と感じてしまう。結果として、相談の段取りを考えること自体が負担になって、後回しになる。これは個人の問題というより、日本の職場全体に共通する忙しさの構造だと思います。
確かに、一般企業でも同じような状況がありそうです。
後藤 この本に出合う少し前、大学で一緒に働いていた同僚が体調を崩してしまいました。論文執筆はもちろん、その他の業務や家庭の事情も重なり、限界を超えてしまった。周囲に相談できないまま重圧を抱え込んでいる人は、どの組織にもいるはずです。
ただし、この本は「忙しさを言い訳にしていい」と言っているわけではありません。“大切な仕事”——この本の例でいえば「論文を書く」ことを後回しにしてしまう背景には、「執筆には2時間以上のまとまった時間が必要だ」という“思い込み”がある。でも、忙しい中で2時間を確保するのは、そもそも現実的ではありません。だからこそ、まずはその思い込みを手放そう、と教えてくれるのがこの本なんです。
論文も企画書も「一日15分」で動き出す
波多野 まず書くことのハードルを下げるための手法として、本書では「3つの手なずけテクニック」を紹介しています。その中でも特に有効だと思ったのが、「一日15分だけ書く」という方法です。どんな形でもいいから、まずは毎日15分だけ論文を書く。それを続ける。どうしても書けないなら、「明日何を書くかを“決めるだけ”でもいい」と。この考え方は、私自身も目からウロコでした。

論文に限らず、大事な仕事に一日15分だけでも向き合ってみるということですよね。15分ならできる気がしてきました。
波多野 私自身、15分すら書けない日がたくさんあります。会社が繁忙期だったりすると、どうしても書くことが後回しになってしまう。私は特段、意識が高いわけではありませんが、それでも研究者の端くれとして、「私だからできる研究」「私だからこそ見いだせるテーマ」はあるはずなんです。それなのに、忙しいから論文を書けない。子どもが小さくて時間がないから論文を書けない。そうやって書くことを放棄していると、せっかく考えたことが「なかったこと」になってしまう。それはやっぱり、もったいないなと思って。
「できる人だけやればいい」が組織を弱くする
アウトプットする時間がないがゆえに「なかったこと」になってしまう無力感は、会社員にも共通している気がします。
後藤 僕は大学で働いていますが、一般企業の仕事でも同じだと思います。「優秀な人が新しい企画を考えればいい」という考え方も、あると思う。でも、いろんな視点から企画が出ること自体が、たぶん重要ですよね。
でも、“思っているだけ”では実現しない。忙しくてちゃんとした企画書なんて書けなくても、一日15分だけコツコツ書きためていけば、何かが生まれるきっかけにはなる。そういう意味では、論文と企画の仕事はすごく似ていると思います。
波多野 「できる人だけやればいい」という考え方は、結局は裾野を狭めてしまうと思います。スポーツも同じですよね。競技人口が少ないと盛り上がらない。オリンピックで活躍する選手の下には、たくさんの選手がいて、その中で競い合った人が世界で戦える。これは、組織の成長にもそのまま置き換えられる話だと思います。
後藤 この一日15分という時間は、「書くこととの日々の触れ合い」を通じて、プロジェクトを征服するのではなく、少しずつ関係を築いていく。仲のいい相手だからこそ、毎日顔を出したくなる——そんな感覚を育むための作業に近いと思います。
論文に限らず、仕事の企画やアウトプットも、実は15分あれば確実に前に進められる。完璧な形に仕上げる必要はなく、「触れ続ける」こと自体が、成果につながっていく。だからこそ、できる人だけがやる仕事にせず、多くの人ができる形で続けてほしい。そうした小さな積み重ねが、結果的に組織や個人の力を底上げしていくのだと思います。

取材・文/金澤英恵 取材・構成/石純馨(日経BOOKSユニット) 写真/鈴木愛子
論文も、大学の課題も、仕事のレポートも。「もっと時間があれば」「環境が変われば」「集中できる場所があれば」といった思い込みをやっつけましょう! 楽しく、ストレスの少ない状態で、頻繁に執筆と向き合うことで、何があっても「とにかく書き続ける」ための仕事術。
ジョリ・ジェンセン著/後藤伸彦、波多野文訳/日本経済新聞出版/2200円(税込み)
