大切だとわかっている仕事ほどなぜか後回しにしてしまう――多くのビジネスパーソンに共通する悩みだろう。その原因は、意志が弱いからでも、能力が不足しているからでもない。『 「書けない」悩みに効く論文執筆術 』の翻訳を手がけた後藤伸彦さんと波多野文さんが、そうした悩みから抜け出すためのヒントを2回にわたって語る。後編は、重要な仕事を着実に進めるための「時間とエネルギーの設計」について。
「エネルギー設計」を見落としがちな現代人
翻訳を手がけられた『「書けない」悩みに効く論文執筆術』を通して、ご自身の働き方にも何か変化はありましたか?
波多野文氏(以下、波多野) 本書では、エネルギーの状態に応じてタスクを割り当てる【ABCメソッド】という考え方を紹介しています。実は、私の会社でも今まさにこの方法を実践しているところなんです。
まず、最もエネルギーに満ちている時間帯を【Aタイム】とします。この時間に割り当てるべきなのは、論文執筆や企画立案など、高い集中力や創造性を必要とする〈Aタスク〉です。大切な仕事が後回しになってしまうのは、多くの場合、この貴重な【Aタイム】が、〈Aタスク〉以外の仕事で埋め尽くされてしまっているからなんです。

例えば、チャットのやりとりや定例会議。注意深さや一定の集中力は必要だけれど、必ずしも創造性は求められません。これらは〈Bタスク〉。また、事務作業などのルーティン化された定型業務は〈Cタスク〉。忙しい現代人にとって重要なのは、これらの〈Bタスク〉や〈Cタスク〉から、いかに【Aタイム】を守れるか、という点だと本書は伝えています。大切な仕事が進まないのは、意欲や能力の問題ではなく、「エネルギーの使いどころ」がずれているからなのかもしれません。
自分にとってエネルギーが最も高い時間が午前中なら、その時間を【Aタイム】として、〈Aタスク〉のために使う、ということでしょうか。
後藤伸彦氏(以下、後藤) そうですね。同時に、自分にとっての〈Aタスク〉が何なのか——この本で言う「論文執筆」を、自分の仕事に置き換えてみるといいと思います。「自分にとって一番やりたい仕事」を、「自分が最も集中できる時間」にやる。自分の最大の集中力やエネルギーを、何に振り向けたいのかを問い直す。これは、すべての働く人にとって意味のある視点だと思います。
後藤 この本が伝えるのは、コスパやタイパ、生産性を重視した仕事術ではありません。タスクを重要度と緊急度で切り分け、「これは後でもいい」と判断することから始まります。論文を書くことが自分にとっての〈Aタスク〉なら、「仕事の生産性を上げてから書く」のではなく、「論文を書きたいから、【Aタイム】は優先して書く」。複雑に考えず、これで十分ではないかと。
何が〈Aタスク〉で、何がBで、何がCなのか。優先順位を明確にする。ありそうで、実はあまり言語化されてこなかった考え方だと思います。だからこそ、【ABCメソッド】はとても参考になりましたし、僕自身も一日の過ごし方が本当に変わりました。

後藤さんの一日は、具体的にどのように変わりましたか?
後藤 論文を書いている時期は、午前中に一切予定を入れず、論文執筆にあてています。以前は、「少しミーティングいいですか?」と言われると、空いていれば午前中に入れてしまっていた。今は、どうしても午前中でないと難しい場合を除いて、午前中は論文のために確保する。その代わり、論文執筆以外の仕事は午後、少しエネルギーが落ちる時間帯に回します。ざっくり言うと、朝を〈Aタスク〉、午後を〈Bタスク〉や〈Cタスク〉に振り分けるようになりました。
波多野 メールを後回しにするのも、「重要じゃないから返さない」ということではないんですよね。自分のエネルギーが一番高い時間には、エネルギーを一番使う仕事をしよう、というだけのことなんです。
仕事が止まるもう一つの盲点は「孤立」
本の中では、「書けない」悩みを解決するために、「仲間をつくって孤立を打開せよ」というメッセージも語られています。
後藤 研究の世界では、「競争」といった言葉が使われがちですが、本来の研究とは、誰かを打ち負かすものではなく、知見を少しずつ積み重ねていく営みです。自分の弱さや限界を力に変えて、それを共有しながらみんなでより良いものをつくっていく。そういうものなんですよね。
波多野 とはいえ現実には、弱みをさらけ出すことに抵抗もあります。「できないやつと思われるんじゃないか」「仕事を任せてもらえなくなるんじゃないか」——そんな不安は、研究者もビジネスパーソンも同じだと思います。
後藤 だから、本書で提案されている“ライティング・グループを作ろう”というアドバイスの要点は、「グループを作って専門的な助言をもらおう」ではなく、“仕事の進捗を共有する”こと。執筆の成果に限らず「今日はここまで進みました」と進捗を共有して、「いいですね」「お疲れさまです」と声を掛け合う。“進捗そのもの”を評価する。クオリティーを軽視するわけではありませんが、グループにいる全員が“少しでも前に進みやすくなる環境”を作ろう、という考え方です。
“やるべきこと”とのズレを乗り越える
波多野 研究者は、自分のやりたいことができる特殊な職業のように見られることがあります。でも、「本来やりたいこと」と「組織を回すための業務」に挟まれる構造は、多くの会社勤めの方とも共通していると思います。
後藤 特に大学教員は、研究について議論したり、考えたりする時間が十分にあるという理想像が語られがちですが、現実はまったく違います。
少し前にXで見かけた、“大学教員あるある”の投稿が印象的でした。「海外出張中に届くと、背筋が凍るメールの件名」というテーマで、その一つが「明日の入試業務について」。国際学会への出張は研究のための非常に重要な仕事ですが、それでも入試業務が最優先事項として飛び込んでくる。大学教員の業務のうち、研究に使えている時間は一体全体の何割なんだろう? と改めて考えさせられました。
とはいえ、大学という組織にとっては学生という「顧客」を確保することが最重要事項です。一方で、大学教員が最も大切にしているのは研究。その間には、どうしても構造的なズレが生じるんですよね。
ジレンマに陥りやすい構造があるからこそ、〈Aタスク〉の見極めが重要になる、ということでしょうか。
後藤 その通りです。ズレを抱えたまま組織で働く以上、自分の人生にとって何が本当に大事なのかを、どこかで問い直さなければならない。この本は、そこをかなりはっきり突いてきます。研究こそ、自分が人生をかけて取り組んできたことのはずでしょう、と。もしそうでないなら、「大学があなたの人生のすべてじゃないんだから、辞めてもいいんだよ」という、少しドキッとする言葉も出てくる。でも、その通りなんですよね。
自分にとって〈Aタスク〉とは何なのか。その問いから、働き方の再設計は始まる。この本は研究者だけでなく、ジレンマを抱えながら組織で働く人にとって、示唆に富んだ一冊だと思います。

取材・文/金澤英恵 取材・構成/石純馨(日経BOOKSユニット) 写真/鈴木愛子
論文も、大学の課題も、仕事のレポートも。「もっと時間があれば」「環境が変われば」「集中できる場所があれば」といった思い込みをやっつけましょう! 楽しく、ストレスの少ない状態で、頻繁に執筆と向き合うことで、何があっても「とにかく書き続ける」ための仕事術。
ジョリ・ジェンセン著/後藤伸彦、波多野文訳/日本経済新聞出版/2200円(税込み)
