次世代のマーケティングリーダーを目指す若手は、どんな行動を取り、どんな仕事をすべきなのか。トーマス・バルタ氏が実施した6万8000人の大規模調査に基づき、成功するマーケティングリーダーになるための秘訣をまとめた書籍『世界のトップマーケターだけが知っている「12の成功法則」』が発売となった。書籍の核心となっている「Vゾーン」について解説する。[日経クロストレンド 2025年7月28日付の記事を転載、一部改訂 ※2023年9月~24年2月の連載「マーケターのためのリーダーシップ論」を改訂し、再掲載]
ソニーグループ傘下のゲーム事業会社、ソニー・インタラクティブエンタテインメント(SIE)は2023年7月、「プレイステーション(PS)5」の累計販売台数が4000万台を突破したと発表した。初代PSが1億台以上、2代目のPS2は1億5000万台、PS4も1億1000万台と売ってきたことを考えると、ソニーにとって最も成功した製品の1つだろう。
初代PSの発売は約30年前となる1994年だった。時計の針をその少し前に戻すと、ソニーはもともとゲーム市場に参入するつもりはなかった。一人の若いリーダーの決意が、経営トップ全員の考えを変え、PSを現実のものにしたのだ。
80年代後半、久多良木健氏はビデオゲームの魅力に取りつかれていた。当時、久多良木が勤めていたソニーは、最先端の音響・映像技術で名をはせていた。ソニーの技術部門に勤務していた久多良木氏は、ソニーにはゲーム業界に革命を起こすだけの技術力があると確信していた。
久多良木氏が社内でゲーム機のアイデアを提示したとき、一人の人間が合理的に耐えられる以上の反発に直面した。「市場がない」「採算が合わない」「ソニーはゲーム機から手を引くべきだ」と。
任天堂にゲーム機の共同開発をほごにされても諦めなかった。彼はたゆまぬ努力で、ビジョンを共有するソニー社内の人々と関係を築いた。市場調査を行い、ビデオゲーム業界の爆発的な成長と収益性を示すデータを蓄積した。
当時のソニーの社長兼CEO(最高経営責任者)であった大賀典雄氏はビジョナリーであり、社内の議論を注視しながらゲーム市場の可能性を認識していた。久多良木氏の「このままでいいんですか」という言葉に「Do it」と会議で大賀氏は言い放ち、ゴーサインを出した。この決断がゲームの世界を変えたのだ。
顧客を知るマーケターこそ企業に助言ができる
どの企業にも、経験豊かなシニアリーダー、つまり企業や事業、市場について深い理解を持つ人材が必要だ。こうしたベテランリーダーは、かけがえのない知恵と指針を与えてくれる。
しかし時として組織に必要なのは、新鮮なアイデアをもたらし、経営陣がより良い決断を下すために適切な助言ができる若いリーダーである。マーケティングチームほど、顧客インサイト(顧客の意識)の現状を知り、企業の内部に伝えることができる人材はいないだろう。上層部への影響力をうまく発揮できるかは、年齢や経験、技術に関する知識のみの問題ではない。久多良木氏の例が示しているように、それはリーダーシップの問題なのだ。
関連記事「なぜマーケターは社内で影響力を発揮できない? 背後に3つの溝」でも紹介しているように、上層部へのリーダーシップがいかに重要であるかを明らかにするため、我々は80カ国以上の6万8000人を対象として、マーケターの成功に関する世界最大規模の調査を実施し、書籍『世界のトップマーケターだけが知っている「12の成功法則」(原題:The 12 Powers of a Marketing Leader)』にまとめた。
調査の結果、CMO(最高マーケティング責任者)のキャリアの成功には、上層部(上司)をリードする力が極めて重要であることがわかった。成功するCMOが発揮できる能力(ビジネスインパクト)の23%は上層部への影響力によって説明できるという結果となった。
この上層部への影響力をさらに分解すると、収益への影響を重視する「リターン志向(CMOのビジネスインパクトのうち12%)」と、トップにとって「大きな議題に集中する(10%)」の2つが主な要素となる。この2つの必須スキルについて掘り下げてみよう。
価値創造ゾーン(Vゾーン)内で働く
マーケターが企業の成長に影響を与え、貢献したいと考えるのであれば、彼らが最も注力すべきは、大きなビジネス課題、つまりシニアリーダーが最も重要だと考えている課題に取り組むことである。
何をもって「大きな課題」と呼ぶのだろうか。端的には、顧客ニーズと同時に、そのマーケターが所属している企業のニーズとの双方を満たす課題解決に取り組むことを意味する。企業ニーズと顧客ニーズが合致するとき、私たちはこれを「価値創造(Value Creation)ゾーン」、あるいは単に「Vゾーン」と呼ぶ。マーケターが価値創造ゾーン内の実質的な課題に取り組むことで、その影響力を拡大できるのだ。
Vゾーンの課題解決は、マーケティング部門にとって極めて重要な原動力であるべきだが、すべてのマーケターがVゾーン内の問題に積極的に焦点を当てているわけではない。
私たちの一般マーケターを含むアンケート調査では、実に76%のマーケターが「ビジネスにとって重要なことを意識し、それに合わせて行動することが得意だ」と回答している。ところが残念なことに、彼らの上司はその部分で異なる評価をしている。シニアマーケターを対象とした大規模調査の結果を見ると、配下のマーケターが組織の方向性を明確に理解し、それを効果的にチームに伝えていると考えている比率は、わずか46%だった。
このズレは、今回の調査結果に限ったことではない。米国の研究者であるキム・ホイットラー氏らがまとめた「Harvard Business Review(ハーバード・ビジネス・レビュー)」の記事「Why CMOs Never Last(なぜCMOは長続きしないのか)」では、マーケターが職を失う主な理由の1つとして、CEOが持っている期待との不一致を挙げている。
名前は明かせないが、ある世界的な家電メーカーのCEOも次のように語っていた。「取締役会として、私たちは会社を収益的に成長させることを深く懸念している。にも関わらず、マーケティングチームは広告と予算編成に夢中となっている。これにはかなりイライラさせられる」
Vゾーンに含まれる仕事とは何かを理解するため、まずその外側にあるものを考えてみよう。
マーケティングチームが、新規顧客の獲得にほとんどの労力を割いているシナリオを想像してほしい。その会社のCEOはその取り組みに懐疑的な視点を持っていた。つまり、そのトップが顧客獲得にはコストがかかり、非効率的であると認識しているというわけだ。
その主な理由は、新しく獲得した顧客の大部分が、投資を回収する前に離れてしまうからだった。トップチームは、マーケティングは顧客ロイヤルティー(商品やブランドに対する信頼や愛着)に焦点を当てるべきだという見解を持っていた――。
仮にトップマネジメントの見解が間違っていたとしても、マーケティングとトップチームとの間にこのような断絶があれば、問題が生じる可能性がある。このシナリオでは、マーケティングチームはVゾーンの外側で活動しており、CEOが考える優先順位と一致していない。その結果、会社と顧客の双方、さらにはマーケティング担当者のキャリアにも悪影響を与えることになる。
Vゾーン内での仕事を生みだす2ステップ
マーケターがこのゾーンの中で活動することによって、複数の面で価値が生まれる。会社にとっては、収益の成長が期待できる。マーケター自身にとっては、社内で影響力を高めることにつながり、キャリアアップが期待できる。顧客のニーズと企業のニーズの接点を見いだすことこそが、マーケティングリーダーシップを成功させるための根幹となる。
価値創造ゾーンの拡大は大変な仕事である。その部分を会社が肩代わりしてくれることは期待できない。ほとんどの場合、マーケターは主体的にVゾーンを創造し、拡大しなければならない。
久多良木氏のケースを考えてみよう。当時、既に任天堂が大きなゲーム市場を生みだしていたとはいえ、AV(音響や映像)機器を主力としてきたソニーとしてゲームの顧客層が未開拓だった。さらにソニーの経営陣は懐疑的だった。同氏が成功するには、広告などを通して新しい顧客を創造し、経営トップを説得しなければならなかった。まさに価値創造ゾーンを特定し、拡大するための行動を取ったのだ。
多数のシニアマーケターに調査し、ヒアリングを重ねた経験から集約した「Vゾーンを拡大するために役立つ2つのステップ」を下記に紹介していこう。
1)会社の優先事項を理解する努力を続ける:
成功しているCMOは、アナリストのリポートをよく読み、取り組むべき課題や包括的な優先事項を把握している。こうすることで、CEOや他の取締役と関わる機会を積極的に求めている。継続的な対話は、重要な問題への対応におけるギャップを特定するのに役立つ。これらの優先事項は急速に変化する可能性があるため、常に注意を払うことが重要となる。
2)すべてのマーケティング・プロジェクトを厳密にレビューし、経営トップが目指す方向性との整合性を確認する:
会社が目指す方向制と整合しているプロジェクトについては、その影響力を最大化するために、焦点とリソースを増強する方法を検討する。対照的に、整合していないプロジェクトについては、その重要性について経営幹部を説得するか(久多良木氏のアプローチに似ている)。あるいは、会社の目標に共鳴する手法を優先し、そのプロジェクトの優先順位を下げる戦略を検討する。
Vゾーンを構築する責任は、CMOだけにあるわけではない。チームのすべてのマーケターが、たとえキャリアは浅かったとしても、組織の広範な目標や優先事項と、自分の仕事を結びつける機会を積極的に求めることで、この取り組みに貢献できる。一人ひとりがこの意識を持つことで、マーケティングチーム全体が連携し、価値を創造する文化を醸成できる。
財務部門を力強い味方にする
日本のビジネスリーダーにとって、最も重要なことは何か。多くの場合、それは収益とコスト、そして恐らく戦略と組織全体の健全性であろう。もしマーケティングが収益の原動力として認識されていないとしたら、どのような役割を果たすのだろうか。マーケティングはしばしばコストに分類されるが、シニアリーダーはどんな意識を持っているのか。
英国の調査機関エコノミスト・インテリジェンス・ユニット(EIU)の調査によると、CMOの約68%が「自分たちの部門はコストセンターと認識されている」と考えており、約3分の1は「ビジネスリーダーがマーケティングを収益のけん引役として見ていない」と回答していることが明らかになった。
CMOとして成功するには、マーケティングが具体的な財務的リターンをもたらすことを示すことが重要である。米フォードの元グローバルマーケティング部門のリーダーであり、現在はフォードのCEOであるジム・ファーリー氏の例を見てみよう。
フォードに入社したのは金融危機の最中だった。ブランドを再建するための彼がつくり上げた計画は、予算が逼迫していたために懐疑的な見方に直面した。ファーリー氏は、マーケティング、ブランド嗜好、セールスの関連を示すシンプルなモデルを、財務担当の意見を取り入れながら作成した。
ファーリー氏は世界中を回り、このモデルをマネジャーたちと共有し、辛抱強く懸念に対処した。この努力によって、フォードのリーダーたちはマーケティングの価値を理解するようになった。最終的にファーリー氏の執念は実を結び、フォードはマーケティングに再投資した。
CMOとして成功するためには、マーケティングが財務的リターンをもたらす、すなわち「収益に味方する」ことを証明することが不可欠である。CMOが収益との結びつきを強めるのに役立つルールを下記にまとめる。
- (大前提として)価値創造ゾーンの内側で働く:
- 財務部門の協力を得る:
多くの場合、CMOは財務部門に成功を証明しようとしている。彼らを乗り越えるべきハードルと設定することは、必ずしも賢い選択ではない。むしろ力強い味方と捉え、マーケティング・リターン・モデルを一緒に開発する。財務チームは、マーケティングの成功をCEOが最も注目している数字に結びつけるために、適切な社内ベンチマークやターゲットを見つける手助けをしてくれることが多い。 - 可能な限り、リターンを示す:
マーケティングには測定できないものもあるが、測定できるものも多い。マーケティング担当者自身が、収益を得るための成功の根拠を理解していても、社内の他の人にはそれが見えないこともある。マーケティングがどのように収益を上げるかを常に共有することが重要である。 - 計算を加えることで指標を生みだす:
マーケティングの成功を測るデータがないこともある。そうしたときには「このキャンペーンに○百万円使うとして、製品、保険契約、ソフトウェア契約などを何台売れば元が取れるだろうか」などと視野を広げて考える。単純な計算によってマーケティングの価値を計る「信じられる指標」を生みだせることも多い。 - 物事をシンプルにする:
成功しているCMOの多くは、マーケティングファネルのような単純なマーケティングモデルを用いて、例えば認知や検討と売り上げとの間のつながりを明確にしている。物事を単純化しすぎる傾向があるのは事実だが、社内のコミュニケーションには非常に強力だ。 - 言葉を収益ラインに近づけよ:
マーケティングリーダーが「いいね!」の数や星マークの評価だけに一喜一憂せず、普段から収益を軸とした指標を語れば、チームのメンバーも同じ行動を取るようになる。収益に結びつかないブランド構築をいくら重ねても、成功には結びつかないことを肝に銘じなければならない。
記事の前半で示した図の中で、「リターン志向(12%)」と「トップにとって重要な問題に集中する能力(10%)」について解説してきた。もう1つの「最高の外部パートナーとの連携(1%)」(最も高価なパートナーではない)も、既に「成功するCMOはアナリストのリポートをよく読んでいる」と説明したように、上司の説得のために大切な要素となる。
マーケティングとは顧客に働きかけ、企業やブランドとのつながりを創出する営みである。それと同様に、上司さらには経営トップ層へ強い影響力を発揮することもマーケターの重要な仕事であることを忘れてはならない。
トーマス・バルタ、パトリック・バーワイズ(著)、田中恵理香(訳)/日経BP/2750円(税込み)




