世界の危機を回避するためにYouTuberが暗躍する。そのリーダーはなぜか、SE(システムズエンジニア)として働く主人公にかかわろうとする。ミステリーの味わいもある 『多頭獣の話』 (講談社)を上梓した上田岳弘氏に話を聞いた。上田氏は「即効性のある影響力が猛威をふるう今、小説が持つ遅効性の影響力にあえて期待したい」と語る。(聞き手=金澤英恵)
「集団としての人間」のありようが変わるとき
前編 「上田岳弘 太宰治はYouTuberだったかもしれない」 では、上田さんは「人間の基本的な前提を覆す変化」が 『多頭獣の話』 (講談社)の背景にある、とおっしゃっていました。
ここ20年で、歴史上で類を見ない未曽有の変化を遂げていると感じます。そして今、いよいよその変化が極まってきている。そのことに多くの作家やクリエイターは気づいていますし、この変化をどうにか表現しようと取り組んでいるのは、僕だけではないはずです。
『多頭獣の話』では、表現者であるYouTuberを主要人物として変化を捉えることを試みました。時代の変化の中心に彼らがいるとした場合、影響力の頂点に立つYouTuberという巨大なエネルギーが集団に作用して、現実とは異なる社会が形成されていく。その結果どうなるのか、一方、ある意味で普通の主人公からするとどう見えるのか、といったことを、創造したキャラクターに動いてもらいつつ、模索してみました。
実は、古井由吉(ふるい・よしきち)さんの初期の短編、 『先導獣の話』 からインスピレーションをお借りしている部分があります。古井さんは戦後から高度経済成長期にかけて活躍した作家で、2020年にお亡くなりになるまで執筆活動を続けておられました。
『先導獣の話』は、戦後復興と急速な都市化が進む中で、人間と都市のあり方をテーマにした作品です。群れを率いるつもりはない、けれど大衆が何かのきっかけで、ある人物に追随して群れをなして動く。大衆の先頭に立つ人を「先導獣」と定義して、そのダイナミズムを描いている。学術的な根拠もあるようですが、イメージやビジョンを含めて表現されたものでした。
戦後の焼け野原から近代化が進んでいくダイナミズムと、現代のSNSやITの発展による急激な社会の変容は、同じか、あるいはそれ以上のインパクトを持っていると感じます。集団としての人間のありようを、さまざまな視点から切り取るという意味では、僕の作品も「先導獣」の描写に通じる部分があり、現代を反映して「多頭獣」というタイトルをつけました。
情報が見えすぎることで生じる無力感
戦争という破壊があり、その後の再生の過程で生まれた「先導獣」のダイナミズムとはまた違いますが、現代にこれほど大きな変化が起こったのはなぜだと思われますか。
今の社会はあらゆることが細切れになっています。社会の「ホワイト化」が進み、すべてが透明でクリーンであるべきとされる。ただもう一方では、手出しできない領域もいまだに存在しています。
手出しできない領域の問題は、一昔前なら新聞社が連日報道することで、社会全体が一緒に考える足掛かりになりました。バイアスによって正確な情報が伝わらなかったり、メディアが意図的に印象を操作したりと、ときにはそういうこともあったでしょう。戦略的・政治的なメッセージとして問題が提起されていた可能性もある。
それに対し現在はまた別の恐ろしさを感じます。ジェノサイドのような極端な状況ですら、その詳細が見えるかのような情報が出回っています。しかも、たとえ問題が見えても、手が届かないという現実は変わらない。そんな矛盾と無力感が今の社会の不安定さの根源にあるように感じます。
無力感というものは強力な作用を持ちます。そして無力感と影響力は一見相反するもののようでいて、実際には影響力を持っている人ほど、それでも手の届かない洞穴につきあっていて、より深い無力感を抱えているのではないかと感じることがあります。
「情報が見えすぎる」こと、限られた情報しか見られないこととはまた別の難しさがありますね。
『多頭獣の話』を書きながら「これは一体どういうことなのだろう」と考え、次第に寂しさを感じました。この状況をどうすればいいのか。
作った物が売れたり、誰かが面白いと感じたりして人気が出ることはありますが、それはあくまで表層にすぎず、「正義を執行できる」真の影響力を持てるのかというと疑問です。社会は「つながっている」ように見えるけれど、おそらく今、社会ではさまざまな「切断」が起こっている。そしてその表面だけをさらう影響力に満ちている。この切断された部分をどうにかつなげないとまずいのではないか。
これからどんな世界に向かうのか。今の活動ももちろん大事だけれど、僕としては10年後、20年後も作用する「遅効性の影響力」に期待をかけたい。小説には長期的に影響を与え続ける力があると思っているからです。「即効性の影響力」ではYouTuberやポップミュージック、タレントなどが思い浮かびますし、彼ら彼女らの影響力はもちろん大きい。ただ僕は「遅効性の影響力」を信じたい。
作品を書いているときはいつでも、「この作品が長い時間をかけて、何かしらの影響を与えられれば」と思っています。僕が古井さんの『先導獣の話』にインスピレーションを得たように、遅効性の影響力には何かがある。
「即効性のある影響力」より大切なもの
「成果をより早く出すこと」を求められる社会になり、そのスピード感覚にやっと慣れてきたけれど、10年後、20年後について考える余裕がない、という状況の人は少なくないように思います。私自身そうです。
現代では、どうしても即効性の影響力が求められがちです。小説も売れ線の作品がもちろん優先されるし、ウエブ記事もPVやコンバージョンを気にしないわけにはいかない。でも、それに対して、「これでいいのかな」と思っている人も多いはず。文学作品がいまだに存在し、認められている理由の一つは長期的な視点を持っているから、もしくはそれを期待されているからでしょう。
僕のデビュー作は 『太陽・惑星』 (2014年、新潮社)でした。「惑星」では東京オリンピックについてあれこれ書いています。なぜか執筆当時から、「東京オリンピック」が非常に気になっていた。最終的には開催予定年の2020年から1年ずれて、2021年に開催されましたが、あれほど大きな国際イベントの「開催時期がずれた」ことは衝撃でした。僕自身、そこまでは予想していなかったですから。
未来を予測することは難しい。予測は外れるものです。執筆時点で見えていたものが、その後の現実で「ずれ」てくる。文学作品がある種の予言を兼ねているのであれば、さらにそれが終末についてのものであれば、外れるために書いているとも思えます。いずれにせよ、そうした「ずれ」にも何かしら意味があり、10年後、20年後に検証されることを視野に入れた上で書ける、それが文学の面白さだと感じています。僕の作品を読んで、即効性のある影響力だけが全てじゃないよね、と思ってもらえたらうれしいです。
「先導獣」からインスパイアされたように、上田さん自身も本をたくさんお読みになると思います。「自分の書棚に残す本」の基準などはありますか。
基本的に一度買った本は捨てません。本棚のせいで床が抜けるのではないかと不安になることもありますが、倉庫に移したりしてなんとか持ちこたえています(笑)。作品を書くときは、紙の本を手に取ってパラパラと見返すことが多い。そのまま引用するというより、作品を書くために必要な情報を自分なりに消化して、取り込んでいきます。
次の10年、どんな作品を書きたいですか。
2013年に『太陽』で新潮新人賞を受賞してからの10年たち、デビュー10周年を記念する三部作として 『最愛の』 (集英社)、 『K+ICO』 (文藝春秋)、そして今回の『多頭獣の話』を書きました。
『最愛の』は物語に重点を置き、深い感情や人間関係に焦点を当てた。『K+ICO』(文藝春秋)は神の視点といった僕の初期作品のフレーバーをにじませながらも、「今書くならこうだろう」と現代の視点を加えました。
『多頭獣の話』は三部作の中ではもっとも複雑で多層的であり、僕らしい作品だと思います。物語を通してYouTuberを観察することで、僕自身の次の10年への視点を探索してみたかったともいえます。
デビューから10年がたって、ウオーミングアップが終わった感じがあるので、そろそろ本番なのかなというか感覚があります。物語の強さと、僕が表現したい世界観をしっかり伝えるものを書きたいと思っていて、まずは原稿用紙1000枚くらいの長編を1冊出したいですね。
今は毎日新聞の朝刊に『浮動』という小説を連載しています。新聞連載は初めてで常に締め切りに追われている感覚はありますが、早めに原稿を書いて渡すようにしており、今のところ前倒しできていますね。この忙しい過程も本番として楽しんでいるところです。
取材・文/金澤英恵 構成/谷島宣之 写真/小野さやか



