シリーズ累計34万部を突破した『経営戦略全史〔完全版〕』(日経ビジネス人文庫)の刊行を記念し、著者の三谷宏治・KIT虎ノ門大学院教授による特別講演セミナーが2025年8月、開催されました。その内容の一部をお届けします。今回は20世紀初頭にどのようにして経営(マネジメント)が生まれたのかについて解説します。

講演で話す三谷宏治さん(写真:尾関祐治)
講演で話す三谷宏治さん(写真:尾関祐治)
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ショベルの動きを研究し生産性が3.7倍に

 『経営戦略全史〔完全版〕』はその名の通り、経営戦略論の変遷をまとめたものですが、戦略論の前にそもそも「経営」というものが生まれ、そして「経営戦略」が生まれてきたという歴史があります。近代マネジメントの源流は今からおよそ120年前、「科学的管理法」を生み出したフレデリック・テイラー(1856~1915)にさかのぼることができます。

 テイラーはある鉱山会社で働いていました。当時の鉱山現場や工場では労使が対立し、「恐怖」と「怠業」があふれていました。現場の作業員には余計に働くだけ無駄という雰囲気が蔓延(まんえん)し、経営者側にもまだマネジメントという概念がありませんでした。彼はこうした現状をなんとかしようと、様々な実験や研究を行います。

 現場では毎日、作業員がショベルを使って鉱石や灰をすくいます。しかし、すくう物にかかわらず、みんな適当に自分のショベルですくっていたため、1人当たりの生産性は低いままでした。

 テイラーはショベルを使った作業内容を研究し、ズバリ1杯21ポンド(9.5㎏)が最適重量であると突き止めます。そしてすくう物に合わせて8種類のショベルを会社側で用意し、それを日々の作業に合わせて作業者に貸し出すことを始めました。テイラーは標準的な作業方法を定めてマニュアル化することで非熟練工を戦力化し、さらに1日当たりの一定作業量を超えれば賃金を上げる段階制(段階的賃金制度)を導入することで皆のモチベーションも上げました。

 それら諸施策により、1人当たりの平均作業トン数はこれまでの16トンから59トンと、なんと3.7倍になりました。

(出所)『経営戦略全史〔完全版〕』(日経ビジネス人文庫)
(出所)『経営戦略全史〔完全版〕』(日経ビジネス人文庫)
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「科学的管理法」は今に通じる生産性向上の手法

 もちろん会社としては、大量のショベルを購入、保全するコストだけでなく、その日の作業に応じて各作業者に配布し、戻してもらう手間や管理コストがかかります。しかしテイラーによる生産性向上策によって、生産量当たりのコストは半分以下となりました。

 そして作業者の1日当たりの平均賃金も6割上がったのです。これらの成果は『 科学的管理法の原理 』(1911年。リンクは『新訳 科学的管理法』有賀裕子訳、ダイヤモンド社刊)にまとめられました。その内容は、(1)課業管理(タスクマネジメント)、(2)動作研究(モーションスタディ)、(3)マニュアル化、(4)出来高給制度、(5)職能別職長性の5つです。

(出所)『経営戦略全史〔完全版〕』(日経ビジネス人文庫)
(出所)『経営戦略全史〔完全版〕』(日経ビジネス人文庫)
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 テイラーが目指したのは「少ない成果を奪い合う」労使の闘争からの脱却と、科学的管理によって能率を上げて成果を配分し「高い賃金と低い労務費」を実現することでした。そして、そのベースは技法ではなく、労使が互いに尊重し合うことにあると強調しました。これは「テイラリズム(Taylorism)」と呼ばれます。

 ただ、これで労使ともに幸せになったかといえば、そうはいきませんでした。経営側が暴走し、得られた成果を労働者側と分け合うことをしなかったのです。テイラーの科学的管理法は、労働者側からは経営側による一方的な搾取だと批判され、残念ながら「テイラリズム」が徹底することはありませんでした。ですが、今に通じる生産性向上の手法は、この時すでにほぼ確立されていたと言えるでしょう。

生産性を左右するのは人と人との信頼関係

 テイラーの死後、同じく科学的手法を用いながら、人間性を重視した管理を提唱したのが、エルトン・メイヨー(1880~1949)です。

 メイヨーたちは米国の紡績会社のミュール紡績部門で「作業環境改革による離職率の改善」に取り組んでいました。この工場では退職率が年間250%(!)という問題を抱えていたのです。彼らは離職の原因が、仕事の「単純さ」と「孤独さ」からくる精神的疲労にあると考え、1日4回10分ずつの休憩時間の導入を勧め、かつ休憩を取る時間は従業員が自分たちで相談して決めるようにしてみました。狙い通り、離職率は年間5%へと著しく低下し、生産性も向上しました。でも、話はここで終わりませんでした。

 その後工場長が、休憩時間を元に戻してしまいます。退職率が再びはね上がったので、もう一度休憩を増やしてみたのですが、なぜか退職率は改善しませんでした。先ほどのテイラーの「科学的管理法」に基づけば、労働条件が変わればそれに応じて退職率や生産性も変化するはずです。しかしそうならなかったのは、生産性向上に必要なのは作業環境改善や経済的対価だけではなく、人と人との「信頼関係」だったということです。

 ころころ労働条件を変える工場長の言葉を、従業員たちはもう信頼していませんでした。

誇りやモチベーションがすべてに打ち勝つ

 こういった人的関係の重要さを決定づけたものが「ホーソン実験」です。当時の最先端ビジネスである電話事業の関連機器を製造するホーソン工場というところで行われました。

 メイヨーらは大勢いる従業員の中からエース級の2人を選び、さらにそれぞれ2人ずつ連れてこさせ計6人の実験チームを作りました。チームに対しては、休憩や賃金、部屋の明るさなど労働条件を変えて、それにより生産性がどう変化するかを調べました。

 その結果、6人はたとえ月明かり程度の作業環境にされても、生産性を維持あるいは向上させ続けました。本来ならブラインドテスト(作業者に実験対象と知らせない)で行うべきで、これは実験そのものが失敗しているのですが、結局、「選ばれし6人」の連帯感やプライド、モチベーションがすべての労働条件変化に打ち勝ったということです。

100年前の「1on1」ミーティング

 ホーソン実験については、もう1つ面白い実験結果があります。工場の従業員がそれぞれ何を考えどういう状態にあるのかを知るため、面接調査を行うことになりました。最初は学術的に質問項目を作り、それに沿ってテイラーら研究者が聞き取りをしていました。

 面接は評判が良かったため、途中から現場マネジャーが工場の全従業員2万人に対して面接を行うことになり、質問も次第に自由な会話形式に変わりました。その結果、集まったレポートは膨大な雑談集となってしまい、メイヨーらは頭を抱えました。雑談集をどう分析したらよいのでしょう。ところが、意外な結果がすぐ出ました。面接が終わったチームから順々に生産性が向上するという現象が起きたのです。面接内容にかかわらず。

 誘導するのではなく非誘導法による面接(つまり雑談)で、従業員は自らの不満が根拠に基づくものなのかどうかを理解し、現場マネジャーはそれを把握し対処することで自らを高めていく。それによって上司部下の間の相互理解が深まり、生産性も上がるということが分かったのです。

 これらが「人間関係論」であり、マネジャーを支える「リーダーシップ論」や欲求5階層説などの「モチベーション論」、そして「組織行動学」へとつながっていきました。テイラーは工場の作業生産性を上げ、メイヨーは作業者自身の労働意欲を上げました。

企業統治のプロセスを作ったフェイヨル

 テイラーやメイヨーとほぼ同じ時代を生き、ビジネスにおける「経営」とは何かを明確にしたのがフランスのアンリ・フェイヨル(1841~1925)です。彼は鉱山経営のプロとして活躍し、『産業ならびに一般の管理』(1917年)を出版しました。

 フェイヨルは企業に必要不可欠な活動を、(1)技術活動(開発・生産)、(2)商業活動(販売・購買)、(3)財務活動(財務)、(4)保全活動(人事・総務)、(5)会計活動(経理)、(6)経営活動(経営企画・管理)の6つに定義しました。今で言うバリューチェーンです。そして(6)経営活動を「アドミニストレーション(Administration)」すなわち「統治」と名づけました。

 さらにアドミニストレーションとは、「計画(Planning)」「組織化(Organizing)」「指令(Commanding)」「調整(Coordinating)」「統制(Controlling)」の5つのプロセス(POCCCサイクル)をぐるぐる回すことだと定義しました。

 およそ100年前の20世紀初頭、テイラーは工場を管理し、メイヨーは人を動機づけ、フェイヨルは企業の「経営」を統治(POCCCサイクル)として定義しました。近代マネジメントの誕生です。

(出所)『経営戦略全史〔完全版〕』(日経ビジネス人文庫)
(出所)『経営戦略全史〔完全版〕』(日経ビジネス人文庫)
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(後編に続く)

経営戦略論の100年史を一気に学ぶ

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三谷宏治著/日本経済新聞出版/1650円(税込み)