「『気候変動の真実』私はこう読む」第5回は、気象予報士の田家康(たんげ・やすし)さん。気候変動を巡る議論については、主流派とも非主流派とも交流があるまれな存在だ。田家さんは、「過去数十年の温暖化要因は人間活動が主因」というIPCC(気候変動に関する政府間パネル)第5次評価報告書には納得感を持つが、一方で将来の気候モデルの予測精度や二酸化炭素(CO₂)などの温室効果ガスの削減目標の実現性には、不確かさが依然大きいと話す。

決着していることと決着していないこと

 『 気候変動の真実 科学は何を語り、何を語っていないか? 』(スティーブン・E・クーニン著/三木俊哉訳/日経BP)の43ページで、クーニンは、「人間の影響(最も重要なのは化石燃料の燃焼によるCO₂の蓄積)が複雑な気候システムに及ぼす影響は物理的には小さい」と言っています。彼はどのような根拠でそう語っているのでしょうか。

 太陽放射によるエネルギー量と人類が誕生する以前から大気中にあった酸素やCO₂による温室効果と比較し、人間活動はそれほど大きいものではないという物理量を尺度にしています。

 しかし、わずか1%であっても、地球の気候を変動させる要因になります。IPCC第5次評価報告書には、過去の気候変動の要因について、自然変動(主にエルニーニョ現象)、火山噴火、太陽活動、人間活動、その他として1890年から要因分析したグラフがあります。これは特に1980年代以降の気温上昇をよく再現しています。これを見ると、1980年以降の地球温暖化の主要因が人為的に排出された温室効果ガスであることは明らかであり、「決着」していると私は思います。

 一方で、将来予測の不確実性については、本書の指摘通り、まだ決着していないのではないでしょうか。特に、エアロゾル(空気中の微粒子)と雲の2つの要因がどのように気候変動に影響するのかはまだ大きな課題として残っています。専門に研究している方の意見を聞くと、よほどの大きなブレークスルーがない限り、この2つの要因をさらに精緻化するのは難しいようです。

田家さんが読んだ『気候変動の真実』。付箋が多く貼られている
田家さんが読んだ『気候変動の真実』。付箋が多く貼られている
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 IPCCの第6次評価報告書で、「人間の影響が大気、海洋及び陸域を温暖化させてきたことには疑う余地がない」としたのは、過去から現在までの気候変動についてであり、将来予測について「疑う余地がない」わけではありません。

 その上で、予測には不確実性があるという前提で、これからの気候変動にどう対応していくかは、個人や組織、国などがどのような価値観を持つかによって変わってきます。不確実性が高くても予測が示すリスクに対して積極的に対応するか、それとも確信度がさらに高まり、影響がもっと顕在化してから対応していくか。世界各国の議論では、今のところ前者の価値観で動いているようですね。

田家さんは「温暖化の主因が人間活動であることについては決着していると思います」と言う
田家さんは「温暖化の主因が人間活動であることについては決着していると思います」と言う
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 温室効果ガスの削減はパリ協定以降、国際政治のなかで決まる課題であり、欧州がルール形成の主導権を握り、残念ながら日本の発言力は小さいと言わざるを得ません。日本は脱炭素や省エネルギーなどの技術によって世界をリードすべきだと言う人もいますが、なかなか難しいと思います。

温室効果ガス削減目標の見直しも

 世界各国が合意した温室効果ガス削減目標については、本連載の第2回に登場した山形浩生さん( 山形浩生「温暖化の誇張はやめよう。脱炭素に揺り戻しも」 )やエネルギーアナリストの大場紀章さんが語っているように(「 カーボンニュートラル論争――何がエネルギー政策の潮流をつくるのか? 」『公研』2021年9月号「対話」)、私も2030年代半ばごろに達成不可能という認識が広がり、40年代に見直しされるのではないかと想像します。ウクライナ戦争に起因する化石燃料不足によって、そういった認識はもっと早まるかもしれません。

 とはいえ、今後、数値目標が見直されるとしても、環境破壊を招かない限りにおいて、再生可能エネルギーの普及を進めるべきだとは思います。そのためには、バックアップ電源の技術革新が不可欠です。現在のリチウムイオン電池では低コストの電力供給はとても無理です。全固体電池やさらなるイノベーションが必須です。

確証バイアスは対話でしか抜け出せない

 『気候変動の真実』について、日本では主流派からの批判がほとんど聞こえてきません。国立環境研究所の江守正多さんは、「懐疑論・否定論に対して主流の科学が反論すると、そこに論争があるようにみえてしまうという問題があります。つまり、科学的には信頼性のレベルが雲泥の差であるにもかかわらず、対等な二つの学説がぶつかり合っていると誤解されてしまうのです」(『世界』2022年6月号「気候再生のために」)と書いていますが、これが1つの姿勢なのかもしれません。

 英語圏では本書への批判があります。それらは主に「クーニンが根拠としているのは、自説に都合のいい論文や都合のいい箇所だけを用いているチェリーピッキングで、非倫理的だ」というものです。

 しかし、自身が意図したストーリーに沿った論文を選択したという点で、クーニンが倫理的でないと批判できるのでしょうか。

 持論を支持する情報に特に注目し、反証となる情報を無視しようとするバイアスを、行動経済学では確証バイアスと呼びます。「人は他人のバイアスには気づけるが、自分のバイアスには気づきにくく、たいていの場合、自分のバイアスは克服できない」(『 賢い人がなぜ決断を誤るのか? 』オリヴィエ・シボニー著/野中香方子訳/日経BP)。

「クーニンにも確証バイアスがあるかもしれませんが、決して非倫理的でも陰謀論者でもありません」
「クーニンにも確証バイアスがあるかもしれませんが、決して非倫理的でも陰謀論者でもありません」
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 確証バイアスは、IPCCの報告書や気候変動のメインストリームにいる研究者にもあるはずです。彼らには、「人為的に排出する温室効果ガスがもたらす気候変動によって、地球環境は危機に向かっている」という、メッセージ性の極めて高い、壮大なストーリーがあります。これを支持する研究成果に注目し、あるいは目標にしがちではないでしょうか。

 気候変動のストーリーは真実であり、真実に向かって前進しているのかもしれません。とはいえ、あまりに強いストーリーに対して確証バイアスのわなに陥っている可能性が排除されないという懸念が残ります。

 2012年に日本気象学会が主催した公開シンポジウム(「地球温暖化問題における科学者の役割」)には、気候変動を巡るさまざまな立場の研究者が集まりました。そこでは自由闊達(かったつ)に議論が交わされたというより、それぞれの論者が見解を一方的に主張する場となりました。太陽物理学者が太陽活動の要因による寒冷化を指摘すると、気象学者は人間活動要因による温暖化を主張するといった具合です。

 私が、「天文学者と気象学者では『言葉』が違う」というエピソードを紹介したら、パネリストの1人は「気象学者同士でも『言葉』が違いますよ」と発言、会場が笑いに包まれたことを思い出します。

 先に触れたように、最近の日本では、メインストリームの研究者は異なる意見を黙殺している状況にあるようですが、一方でIPCCの報告書を2001年の第3次から直近の第6次まで順を追って見てみると、反対する意見にも真剣に向き合い、改善するなり反論するなりしています。

 科学上の画期的な知見は、異なるストーリー同士の対話から生まれることがしばしばあります。確証バイアスを自分自身で克服するのは難しいですから、反対の立場からの検証が最も効果的です。気候科学を発展させていくためにも、さまざまな立場の論者がもっと対話を進めていくべきだと思います。

取材・文/桜井保幸(日経BOOKプラス編集部) 取材・構成/沖本健二(日経BOOKSユニット第1編集部) 撮影/木村輝

温暖化論議に一石を投じる米10万部超ベストセラー

気候変動に関する科学の情報は、大元の文献から一般に伝わるまでの間にねじ曲がっていき、誇張や噓がまかり通っている――著者のスティーブン・E・クーニンはこう主張します。科学は本当のところ、何をどこまで言っているのか。米国で10万部超のベストセラーになった話題作です。

スティーブン・E・クーニン著/三木俊哉訳/日経BP/2420円(税込み)