稲盛氏はもともと技術畑であり、経営者になったのは27歳の時。会計についての知識もなかった。そんな稲盛氏が会計を理解するにあたって大切にしていたことは、「会計的にはこのようになる」ということではなく、常に「原理原則」に戻ることであった。四半世紀にわたって売れ続けてきた『稲盛和夫の実学 経営と会計』(日経ビジネス人文庫)より、抜粋・再構成してお届けする。1回目は、稲盛氏が「会計とはどういうものか」を理解した背景について触れる。

常に「原理原則」に立ち返る

 支援してくださる方々のご好意により、京セラを設立したとき、まだ27歳の技術者であった私に経営の経験はなかった。それでも前に勤めていた会社で製品の開発から事業化までを担当していたので、新しい製品を開発すること、それを生産に移すこと、そして、それをマーケットで売ること、という三つのことについては何とかやれるだろうと考えていた。

 だが、「会計」については何も知らなかった。初めて貸借対照表というものを見て、右手には「資本金」というお金があり、左手には、現金・預金というお金がある。そこで「お金が二手に分かれて、両側にあるのだなあ」と思ったほどである。それほど、創業当時の私は会計についても、また経営についても知らなかった。

 そんな私にできることは、全身全霊をかけて仕事に打ち込むことだけだった。しかし、すべての事柄について部下たちは、経営を任されていた私に判断を仰いでくる。京セラは生まれたばかりの零細企業だったので、一つでも判断を間違えば会社はすぐに傾いてしまう。私は何を基準に判断すべきなのか、いかにして経営にあたるべきなのか、夜も寝られないほど思い悩んだ。もし、経営を進めていくうえで、理屈に合わなかったり、道徳に反することを行えば、経営は決してうまくいくはずがない。そうであれば経営の知識はないのだから、すべてのことを原理原則に照らし判断していこう、直面した一つ一つの問題について「そうだ、こうでなければならない」と心から納得できるやり方で道を切り開いていこう、と決心をした。こうして、原理原則、つまり、世間で言う筋の通る、人間として正しいことにもとづいて経営していこうと決めたのである。

稲盛氏が京セラを創業したのは27歳の時だったが、「会計」については本当に何も知らなかった(写真:京セラ株式会社提供)
稲盛氏が京セラを創業したのは27歳の時だったが、「会計」については本当に何も知らなかった(写真:京セラ株式会社提供)
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一から理解し、納得してから判断する

 今振り返ってみると、それまで経営の常識とされるものに触れたことがなかったということが、かえって幸いしたのだろうと思う。経営のあらゆることについて、一から理解し、納得してから判断しようとしたので、経営とはいかにあるべきかという経営の本質をつねに考えるようになったのである。

 「会計」についても、まったく同じである。つねにその本質を考えるようにしていたので、自分が予想したものと実際の決算の数字とが食い違う場合、すぐに経理の担当者から詳しく説明をしてもらうようにした。私が知りたかったのは、会計や税務の教科書的な説明ではなく、会計の本質とそこに働く原理なのだが、経理の担当者からは、そのような答えを往々にして得ることができなかった。だから私は「会計的にはこのようになる」と言われても、「それはなぜか?」と納得できるまで質問を重ねていた。

公平、公正、正義、努力、勇気、博愛、謙虚、誠実

 物事の判断にあたっては、つねにその本質にさかのぼること、そして人間としての基本的なモラル、良心にもとづいて何が正しいのかを基準として判断をすることがもっとも重要である。27歳で初めて会社経営というものに直面して以来、現在に至るまで、私はこのような考え方で経営を行ってきた。私が言う人間として正しいこととは、たとえば幼いころ、田舎の両親から「これはしてはならない」「これはしてもいい」と言われたことや、小学校や中学校の先生に教えられた「善いこと悪いこと」というようなきわめて素朴な倫理観にもとづいたものである。それは簡単に言えば、公平、公正、正義、努力、勇気、博愛、謙虚、誠実というような言葉で表現できるものである。

 経営の場において私はいわゆる戦略・戦術を考える前に、このように「人間として何が正しいのか」ということを判断のベースとしてまず考えるようにしているのである。

 何事においても、物事の本質にまでさかのぼろうとはせず、ただ常識とされていることにそのまま従えば、自分の責任で考えて判断する必要はなくなる。また、とりあえず人と同じことをする方が何かとさしさわりもないであろう。たいして大きな問題でもないので、ことさら突っ込んで考える必要もないと思うかもしれない。しかし、このような考え方が経営者に少しでもあれば、私の言う原理原則による経営にはならない。どんな些細なことでも、原理原則にさかのぼって徹底して考える、それは大変な労力と苦しみをともなうかもしれない。しかし、誰から見ても普遍的に正しいことを判断基準にし続けることによって、初めて真の意味で筋の通った経営が可能となる。

「なぜそうするのか」「何がその本質なのか」

 経営における重要な分野である会計の領域においてもまったく同じである。会計上常識とされている考え方や慣行をすぐにあてはめるのではなく、改めて何が本質であるのかを問い、会計の原理原則に立ち戻って判断しなければならない。そのため一般に認められている「適正な会計基準」をむやみに信じるのではなく、経営の立場から「なぜそうするのか」「何がその本質なのか」ということをとくに意識して私は問いかけるようにしてきたのである。

会計がわからんで経営ができるか!

バブル経済に踊らされ、不良資産の山を築いた経営者は何をしていたのか。儲けとは、値決めとは、お金とは、実は何なのか。ゼロから経営の原理と会計を学んだ著者の会心作。

稲盛和夫著/日本経済新聞出版/576円(税込)