経営学者・宇田川元一氏の著書『企業変革のジレンマ 「構造的無能化」はなぜ起きるのか』は、「構造的無能化」という独自のキーワードで、今、多くの企業が直面する、必要な変化が生まれないという問題の構造を丁寧に読み解いている。今回は、私たちが「失われた30年」と呼ばれる停滞を乗り越え、組織で働く一人ひとりがそれぞれの立場で日々変革を続けることの意義について、同書の抜粋・再構成をもとに考える。
ある経営者との会話
少し前に、ある経営者の方と話をした。
ちょうど私と同い年で40代半ばの彼は、小学生の子供を育てつつ、経営者として日々、自社の企業変革に挑んでいた。彼はこう言った。
「子供たちのことを思うと、自分が頑張って日本をもっとよい状態に変えて、次の世代に引き継がないといけないと思っています。そのことに焦りを覚えるときがあるんです」
彼の気持ちは痛いほど分かる。私たちの世代は1990年代までの繁栄を極めた日本経済を子供の頃に経験した。その日本が30年の時を経て、着実に衰退している。
今、世界で戦える日本企業は一体何社あるのだろうかと考えると、この間の落差に愕然(がくぜん)とする。このままでは悲惨な状態で次の世代にこの国の未来を託すことになるかもしれない。その責任感と悔しさを私も日々感じる。
私はこう答えた。
「私たちの世代で、日本社会を繁栄した状態に戻すことは無理かもしれません。サッカーで例えるならば、私たちは後半25分、0-5で負けているような状態だと思います。与えられた残り時間でできることは、せいぜいディフェンスラインを立て直して、次の失点をしないように頑張るくらいのことだけかもしれないし、1点を取り返すことかもしれません。
でもね、最近思うんです。僕らの出場する試合は、負けてもいいんじゃないかって。
だって、世の中はそれで終わりじゃないから。ずっと続くリーグ戦に、僕らは参加しているんです。この試合で負けても、反省材料が見えて、それが次の試合に生きてくれるならば、それでいいと思うんです。だから次の世代のためにも、まず自分たちがやれることをやっていけばよいのではないでしょうか」
自分でも、なぜこんな言葉が出てきたのかは分からない。
彼の思いを受け止めたかったのかもしれない。それは自分の中にある悔しさ、歯がゆさであったのかもしれず、それに対して、自分なりに何か応答したかったのかもしれない。長く続く日本企業の低迷によって、私たちはずっと悔しい思いをしてきた。
変革とは長く苦しい道のりである
私たちはバブル経済崩壊後の超就職氷河期世代であり、なかなか正規の職に就けず、つらい思いをしている人々を見てきた世代でもある。働き始めてからも、上の世代がリストラに遭う様子を何度も見てきた。明日は我が身なのではないかと、どこかでおびえたこともあった。
給料も上がらないし、少子化が進み、高齢化と人手不足で、この先どうすればいいのかと途方にくれることもある。
世界の華々しいイノベーションを伝えるニュースが、日々メディアで報じられる。焦る。そして、悔しい。どうしてこんな目に遭わなければならないのだろうかと、不遇を嘆きたくなることもある。どうにもならないのだろうかと思う。
この悔しさを晴らしたくて、目の前の状況に抗ったり、心が折れるような経験をしてきたりして、諦めてしまった人もいるかもしれない。こうした厳しい現実を前に、企業を変革するとはどういうことなのか、そのことを真剣に考えたくて、私はこの本を書いたのかもしれない。
変革は、どうしてこれほどまでに難しいのだろうか。
それは、変革することには合理性がないからだ。変革とは、そもそも未来の利得のために幻を追うようなことだ。企業や社会の未来のために行うのが変革である。そこには現在の地点での合理性はない。このままでは未来は苦しいと分かりつつも、事業が継続できてしまう現時点において、未来のために変革を行うことに合理性はないからだ。
一方で、変革には常にリスクがつきまとう。
変革とは、現在の事業の価値基準や自分に対する評価基準を超えようとする行いである。自分が変革に踏み出しても、それが誰かから正当に評価されるとは限らない。人々から後ろ向きな評価をされることもあるかもしれない。失敗すれば、周りにどう扱われるかも分からない、時にとても危険な行いである。
さらに、変革には苦しさがある。なぜなら、目の前の仕事の様々なルーティンの外側を駆けずり回らなければならないからである。それは、道なき道を切り開いていく行いである。思ったように動かない組織、動いてくれない人々に、動いてもらうようにするための道筋を考え、実行し続けなければならないときもあるだろう。いや、そういうことの連続かもしれない。
なんと苦しいのだろうか。
しかも、そうした危険で苦しい変革の報酬の受け取り手は、自分ではないかもしれない。
今日の日本企業の緩やかな衰退局面を変えていくには、時間がかかる。もしかすると、自分は変革を成し遂げた姿を見ることはできないかもしれない。
企業変革のジレンマを乗り越える
企業変革にはこうしたジレンマが常につきまとう。
だが、このジレンマを長い年月にわたって乗り越え続けた先に、やがて一筋の希望が見えてくる。海の向こうからやってきたイノベーションに負け続ける悔しさの中に、自分たちの未来が見えてくる。
それは今すぐに見えるものではないかもしれない。だが、その歩みを続けようとする人の眼にこそ、その光が最もよく見えるのかもしれない。変革は、今日のためではなく、明日のために行うものである。
だからこそ、そこには誇りがある。誰に評価されるわけでもないかもしれない営みに参加することは、とても割に合わないことかもしれない。だがそれ故に、誰にも侵し得ない誇りがそこにある。変革に挑む中での苦しみを、数多の痛みを乗り越えていくことを、私たちはむしろ誇ろうではないか。
仲間のため、世の中のため、次の世代の子供たちのために、皆で力を合わせていくこと。
対立を乗り越え、力を合わせられるようになること、仲間になっていくこと、新たな連帯を築いていくこと。そのことこそ、来たるべき新たな時代に私たちが引き継いでいく、私たちの明日への誇りである。
宇田川元一著/日本経済新聞出版/2420円(税込み)

