企業変革のプロフェッショナルとして数多くの企業再生を手掛けてきた冨山和彦氏と、『企業変革のジレンマ 「構造的無能化」はなぜ起きるのか』(日本経済新聞出版)を出版し、変革に伴う構造的問題を読み解いた宇田川元一氏。企業変革を「実践」と「理論」という異なる立場から捉え続けてきた2人が、「これからの日本企業に求められる変革とは何か」を徹底討議。第2回は「頑張れば頑張るほど負け戦が続いてしまう」という「経路依存性の罠(わな)」問題の乗り越え方を考えます。
第1回 「冨山和彦×宇田川元一 危機感があるのに変革できない理由」
野球の戦略でサッカーの試合はできない
冨山和彦氏(以下、冨山) 前回(第1回)は、多くの企業は、自社に戦略がないということに気づいていない、だからどう変革していいのかが分からないのだ、という話をしてきました。
では、なぜ自社に戦略がないことが分からないのか。これにはおそらく戦略の定義が関係しているのだと思います。企業の事業活動を野球に例えると、戦略が機動力や小技を重視するスモールボールからフライを積極的に打ち上げていくフライボールに変わるというのは、みんな比較的理解できます。
ですが、今起きていることはより変異の幅が大きくて、これからは野球もやるけれどサッカーもバスケもやらなきゃいけないといった状況になっている。そうすると、野球からサッカーに到達する変容(トランスフォーメーション)の戦略についてはイメージが湧きにくいのです。
野球と違ってサッカーには持久力も大事だから組織能力として持久力を上げる必要があるとか、サッカーはシュートする瞬間にいちいちベンチの指示を仰げないので、最前線にいる選手の判断能力がものすごく大事になるとか、求められることはまったく異なります。ですが、みんな野球しかやってきていないので、一体何が変わるのかが見えてこないのです。
スモールボールとかフライボールという野球の中に閉じた戦略論の枠の中でやろうとすると、永久にサッカーにならない。だけど変わらなきゃいけないと言われているから、人事部は人事部で勝手にサッカーっぽいことをイメージして動いて、経営企画は経営企画でバスケっぽいものを考えて勝手に変革をやる。そうすると、なかなかコーディネーション(調和)が取れない。
宇田川元一氏(以下、宇田川) そういうことですよね。実際、いろいろな方々とお話をすると「コーディネーションを取れてないということ自体が分からない」「コーディネーションがないことが分からない」という状況でした。
冨山 それは恐らく、ゲームの本質が変わったときに、会社が持っている組織能力や組織文化、思考様式などが具体的にどう変わるのかについて、経営者がクリアなイメージを持っていないからでしょう。
例えば、会社には今5万人の野球選手がいるけれど、半分がサッカー選手になる必要がある。そうすると2万5000人はサッカーに転向するか、転向できない人は会社を辞めてもらう、あるいは事業部ごと売却することになる。でもそれをクリアに言い切ることに、経営者がすごく躊躇(ちゅうちょ)しているのです。
宇田川 そうですね。私もいろいろな会社の統合報告書などを読むのですが、どの会社も数値目標は書いているのに、道筋は見事に書かれていません。
冨山 やはりそこは、経営者がおじけづいてしまうところなのでしょう。道筋を書いてしまうと、みんながみんなサッカー選手に変われるわけではないということが明らかになりますから。組織の構成員に忖度(そんたく)して、野球をやっていた人が全員サッカー選手に変われるような幻想を残しておきたい。だからメッセージを曖昧にしてしまう。
宇田川 ただ、そこをもう一歩、二歩と踏み込んでいかないと勝ち戦にならないですよね。例えば人事の領域だと一生懸命エンゲージメントの数字を上げようとしますが、数字を上げる対策をして上がったらそれは変革なのかというと、全然そうではない。勝ち戦にならなければいけないのに、結果的に現場でずっと負け戦をさせられているという状況になってしまう。しかもややこしいのが、善意でそういう状況になっているということです。
冨山 その通りです。ドラマの半沢直樹みたいに悪い人を見つけてやっつければいいという話ではなく、現実は圧倒的多数派が善意のある人たちで、みんな良かれと思って一生懸命やっている。だからかえって修正がききにくい。経済学的に言うと「経路依存性の罠」にはまっている状態です。だから頑張れば頑張るほど負け戦が続いてしまって「欲しがりません、勝つまでは」みたいな太平洋戦争末期の日本のような状態になることが多い。
日立やソニーはぎりぎりのところで方向転換して戻って来ることができましたが、残念ながら戻って来られなかった会社もあります。会社がつぶれるかどうか瀬戸際の段階で、宇田川先生がおっしゃられているような構造的な企業変革を整合的にやれるかどうかが、日本企業に問われているのだと思います。
中間管理職ではなく「中間経営職」になれ
冨山 今求められているコーポレート・トランスフォーメーションというのは、かなり会社が変容してしまうので、会社を構成している人たちが光と影に分かれます。
現場で負け戦を繰り返させられている若手は、まだ時間があるので、自分自身がトランスフォーマーになれます。一方、40~50代の人たち、得てしてその辺が中間管理職層を形成していて会社の中で影響力の大きい世代なのですが、彼らは自己変容が難しい。実際に、単なる管理や調整の仕事はITツールで置き換わっているので、中間管理職の仕事が減っています。そうなると中間層の人たちは両極に分かれていきます。例えば出版の場合だと、ライティングに才能がある技能職になるのかそれとも経営職になるのかといった感覚です。
デジタル化が進む中で、ビジネスのユニットを小単位化する、あるいはフラット化していくという流れは必ず起きてきます。そうすると組織の中で「ミニ社長」さん的に経営を担うことが求められるケースが増えます。ですから、会社は変革のグランドデザインをクリアに描きつつ、中間層の人たちを仕事の価値が以前ほどでもなくなった中間管理職に昇進させるのではなく、「中間経営職」になってもらうよう自己変容を促した方がいい。
私も中高年を含めいろいろな人を中途で雇いますが、活躍できるのは早めに自己変容を始めた人たちです。企業経営者は自分の会社で働いている人の長い人生を考えて、「無理ゲー」の中間管理職で60歳までだらだら引っ張って抱え込まずに、早めに変容を促してあげた方が良心的だと言えるでしょう。
宇田川 リクルートホールディングスはまさに社員に自己変容を促している会社ですね。しかも、経営者を育成するというのではなく、入社したときから皆、自分が経営者という感覚で働く習慣がある。
冨山 リクルートは自然と経営者が育まれるような状況をつくっているんですね。ある意味、無形ビジネス型のアメーバ経営です。要するに全員がPL(損益計算書)の中でコストセンターでいることは許されない。そういう状況で10年、20年とサバイブしていると自然と経営者視点が養われます。
宇田川 冨山さんと元日立製作所会長で経団連会長も務めた中西宏明さんの著書『 社長の条件 』(文藝春秋)の中でも、海外現地法人の経営を経験した人が社長になるのが良いという話が出てきました。会社としていかに経営の経験を早いうちからきちんと積めるようにするか、ということですよね。
冨山 海外子会社でもそれ以外でもいいのですが、極めて独立性の高い状況、BS(バランスシート)・PL責任を負わされて、場合によっては資金繰りにも奔走しなければいけないような状況に社員を放り込まないと経営の力は身に付きません。
20代で入社して最前線で働いて、30代半ばぐらいから中間管理職になってコストセンター的なことを経験し、50歳ぐらいで事業部長とかになって初めて「経営らしき」ことに触れて、ある日突然社長になる。このキャリアパスって良くないんですよ。経営の力が身に付いていないので、物事の捉え方が浅くなって、変革がうまくいかないことを精神論的な方向で議論してしまうのです。
(第3回に続く)
文/橋口いずみ 構成/宮崎志乃(日経BOOKSユニット) 写真/鈴木愛子
宇田川元一著/日本経済新聞出版/2420円(税込み)



