2025年は作家、三島由紀夫生誕100年の年。「文化とはいわゆる芸術作品のみでなく、行動及び行動様式をも包含する」「安田講堂で全共闘の諸君がたてこもったときに、天皇という言葉を一言彼らが言えば、私は一緒にとじこもったであろう」「日本はなくなって、その代わりに、無機質な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜け目がない、或る経済的大国が極東の一角に残るであろう」。相次ぎ復刊されている論考集や対談から、三島が残した言葉の現代的意味を探ってみたい。
※本連載をまとめた書籍『
古典に学ぶ現代世界
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「天皇という言葉を一言言えば…」
昭和100年となる2025年は作家、三島由紀夫(1925~70年)の生誕100年である。自衛隊市ヶ谷駐屯地で割腹自決した1970年(昭和45年)11月25日は、昭和史に刻まれている。
1970年は大阪万博(日本万国博覧会)が開催された、高度経済成長の絶頂期。全国の大学に広がった学生運動の余韻が残る、熱い時代だった。前年の1969年5月13日、東京大学駒場キャンパスに乗り込んだ三島は、教養学部900番教室を埋め尽くす学生たちに言い放った。
「たとえば安田講堂で全共闘の諸君がたてこもったときに、天皇という言葉を一言彼らが言えば、私は一緒にとじこもったであろう……」(三島・東大全共闘著『 美と共同体と東大闘争 』角川文庫)。SNS(交流サイト)でレッテル貼りや中傷が横行する現在から振り返ると、何と真剣で伸びやかな言論だろう。小説家、劇作家である三島は、類いまれな話者でもあった。
鶴田浩二との共鳴、石原慎太郎とは対立
「鶴田さんのファンですよ」。1970年9月に刊行され、2025年1月に復刻された『 三島由紀夫対談集 尚武のこころ[復刻版] 』(イースト・プレス)には、立場を異にする作家たちも含む10人との対話が収録されている。
任侠(にんきょう)映画のトップスター、鶴田浩二との対談「刺客と組長 男の盟約」。
「三島 自分が行動しなければならないんだが、それにはいろいろなシガラミがあって、まだできない、まだできない、しかし……というときの顔が実にいい」。初出は『プレイボーイ』(1969年7月8日号/集英社)。三島自身が「しかし……」を胸に秘めての発言だった。
三島 うん、昭和維新。いざというときは、オレはやるよ。
鶴田 三島さん、そのときは電話一本かけてくださいよ。軍刀もって、ぼくもかけつけるから。
三島 ワッハッハッハッ、きみはやっぱり、オレの思ったとおりの男だったな。
対談終了後、鶴田は夫人同伴で三島邸を訪問。深夜まで論じ合った。三島夫妻は鶴田の車が見えなくなるまで、雨の中に立ちつくして見送った。「だから俺はたまらないんだ。こうしてまで、俺を見送ってくれる、あんなキチンとした日本人はだんだんいなくなっちゃう」。鶴田の感激である。
作家の石原慎太郎と三島。『太陽の季節』の新人時代から石原を推し続けた三島は、対談「守るべきものの価値 われわれは何を選択するか」で激しく衝突する。初出は『月刊ペン』(1969年11月号/月刊ペン社)、これも『尚武のこころ』所収。
「『楯の会』では、まだクーデターはできない。そこに悩みがある」。石原はそう挑発し、「日本では共和制はあり得ないですか」と三島に畳みかける。
回答は直截(ちょくせつ)だ。「あり得ないって、そうさしてはいけないでしょ。あなたが共和制を主張したら、おれはあなたを殺す」「きょうは幸い、刀も持っている」
後に石原が振り返る(『中央公論特別編集 三島由紀夫と戦後』2010年10月刊/中央公論新社)。「僕の前にすすっと出てきて、上段に振りかぶったんだよ。それで一気に刀を降り下ろして、僕の頭上で寸止めするつもりだったんだな。ところが、間尺を間違って、鴨居(かもい)を斬りつけちゃったんだ」
石原は同席していた『月刊ペン』編集長の発言も紹介する。「石原さん、危なかったですね。あの踊りに似た居合じゃ、寸止めできなかったはずです」。1969年当時は自民党の参議院議員となり、後に閣僚を務め、東京都知事となる石原と、自決をも胸に秘めた三島。そこには血しぶきが飛びかねない対決があった。
生命なき文化主義を批判
「昭和元禄などというけれども、文化的成果については甚だ心もとない元禄時代である」(『 文化防衛論 』三島由紀夫著/ちくま文庫、初出は『中央公論』1968年7月号)。戦後日本を覆う「文化主義」つまり「文化をその血みどろの母胎の生命や生殖行為から切り離して、何か喜ばしい人間主義的成果によって判断しようとする一傾向」への強烈な批判だ。
文化とは「いわゆる芸術作品のみでなく、行動及び行動様式をも包含する」。すなわち「能の一つの型から、月明の夜ニューギニアの海上に浮上した人間魚雷から日本刀をふりかざして躍り出て戦死した一海軍士官の行動をも包含し、又、特攻隊の幾多の遺書をも包含する」。
三島にとって「武」の象徴である日本刀が語られ、特攻隊の遺書も文化として織り込まれる。「歌舞伎からヤクザのチャンバラ映画まで、禅から軍隊の作法まで」。ここでも前者に対して後者をすくい出そうとしているのは明らかだ。日本刀、特攻隊、ヤクザ映画、軍隊の作法。その結節点に立つ鶴田と肝胆相照らしたのも得心である。
「文化における生命の自覚は、……生命の連続性を守るための自己放棄という衝動へ人を動かす」「蘇生は同時に、自己の滅却を要求するのである」「創造することが守ることだという、主体と客体の合一が目睹(もくと)されることは自然であろう。文武両道はそのような思想である」(同)
そんな三島が戦後日本の社会風潮に強い違和感を覚えたのは自然である。「いつわりの人間主義をたつきの糧となし 偽善の団欒(だんらん)は世をおおい」。たつきとは方便。「ただ金(かね)よ金よと思いめぐらせば 人の値打は金よりも卑しくなりゆき」。1966年に発表された「英霊の聲(こえ)」の一節である(『 英霊の聲 オリジナル版 』三島由紀夫著/河出文庫)。そこから市ヶ谷への道はそんなに遠くない。
三島自身も自らの行く末を自覚していた。「僕はこれからの人生でなにか愚行を演ずるかもしれない。そして日本じゅうの人がばかにして、もの笑いの種にするかもしれない」。1970年5月8日、心を許した仏文学者の澁澤龍彦との対談で、三島はあえて「愚行」「もの笑いの種」と語っている(『 三島由紀夫おぼえがき 』澁澤龍彦著/中公文庫)。
「日本」はなくなってしまうのではないか
三島といえば、お約束のように引用される一文がある。1970年7月7日の『サンケイ新聞』夕刊に載った「果し得ていない約束――私の中の二十五年」(『文化防衛論』など所収)だ。
「このまま行ったら『日本』はなくなってしまうのではないかという感を日ましに深くする。日本はなくなって、その代わりに、無機質な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜け目がない、或る経済的大国が極東の一角に残るであろう」
今さら経済的大国でもあるまい。この文章はそれに続く最後が肝心だ。「それでもいいと思っている人たちと、私は口をきく気にもなれなくなっているのである」。そして1970年11月25日の「檄(げき)」。
「われわれは戦後の日本が、経済的繁栄にうつつを抜かし、国の大本(おおもと)を忘れ、国民精神を失い、本を正さずして末に走り、そのばしのぎと偽善に陥り、自らの魂の空白地帯へ落ち込んでゆくのを見た。政治は矛盾の糊塗、自己の保身、権力慾、偽善のみに捧げられ、国家百年の計は外国に委ね……」(『 「国を守る」とは何か 三島由紀夫政治論集 』三島由紀夫著/河出文庫)
自決から半世紀以上たっても、三島は読み継がれている。その理由のひとつは、腹の底から湧き出るような問いに、日本に住まう私たちが答えられていないからだろう。戦後80年と銘打った、したり顔の特集記事や番組に、三島は「檄」と同じ感想を繰り返すに違いない。
写真/スタジオキャスパー
AIと超高齢化、ポピュリズムと全体主義、権力の偏重とタテ社会、人情と情緒、外交と経済運営――。長きにわたって読み継がれてきた古典は、私たちが抱えている課題解決へのヒントになる。ジョージ・オーウェルから有吉佐和子まで、数々の名著を現代の視点から読み解く。「日経BOOKプラス」の好評連載を大幅加筆。
滝田洋一著/日本経済新聞出版/1210円(税込み)
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