情報があふれ、対立や分断も深まる時代に、「相手を理解する力」の大切さはますます高まっている。中学受験国語で人気の専門教室「南雲国語教室」を主宰する南雲ゆりかさんは、「ちゃんと読んだつもり」が一番危ないと言う。南雲さんが「この本には、国語力の本質が詰まっている」と選んだのは、国際社会の最前線で対話を重ねてきた国連軍縮担当上級代表・中満泉さんの2冊。忘れられない一節やエピソードについて聞いた。
南雲国語教室主宰
毎晩うなされていた独立後の日々
私が国語専門教室を開いたのは、2011年のことです。もともと小学校の教員をしていて、その後、大手の中学受験塾で国語を教えていました。そこで、転勤の話が持ち上がりました。当時は私自身が育児のまっただなかで、ちょうど娘の中学受験も重なっていた時期。転勤先は都内だったものの、夜9時半には帰宅できていたところが転勤後は早くても10時半になってしまう。さすがにそれは難しいと思って塾を退職し、独立することにしました。だから、計画的に準備をしてこの教室を開いたわけではないんです。お恥ずかしい話なんですけれど。
最初はヒヤヒヤでした。ちゃんと成り立っていくのかすごく怖くて、毎晩うなされていたほどです。でも、大家さんや保護者のみなさん、同僚だった先生方が本当に支えてくださって。たくさんの方の善意に助けられながら続けてくることができました。
国語専門教室は、中学受験の世界では少し珍しい存在でもあります。保護者の方とお話していると、ありがたいことに「先生って楽しそうに授業をしていますね」と言っていただくことがよくあります。私自身は、特に授業を盛り上げようと思っているわけではないのですが、かしこまったスタイルよりも悪ふざけが好きなのと(笑)、この仕事が本当に好きなので、そういう気持ちが授業の端々に出ているのかもしれません。

今回選んだ中満泉さんの2冊は、国語の先生としてというよりも、同じ時代を生きてきた女性としてとても励まされた本です。読んでいて思ったのは、「中満さん自身も、本当に仕事が好きなんだろうな」ということ。中満さんは、国連の事務次長で軍縮担当上級代表という大変責任のある仕事をされている方ですが、根底にあるのはいつも愛情と優しさ。その思いが、本の言葉の端々ににじみ出ているように感じました。
若い女性が将軍を怒鳴りつける
中満泉さんの『 危機の現場に立つ 』(講談社)を手に取ったのは、偶然だったんです。小学生向けの新聞で国語の問題や解説記事を書かせていただいていた頃、ネタを探していて、たまたま目に留まったのがきっかけでした。実は、中満さんとは中学・高校時代の同級生なんです。学生時代はどちらかというと控えめな方だったので、緒方貞子さんのもと、国連の第一線で活躍されていると聞いたときは、「ええっ」と本当に驚きました。
国連軍縮担当事務次長として世界の紛争地で平和活動に奮闘してきた著者による初の著書。ボスニア内戦など生々しい交渉現場の実録から、国連で働く意義、子育てとの両立まで、国際協力の現場を目指す人へのメッセージが詰まった1冊。
読みどころはいくつもあるのですが、ハイライトはやはり、ボスニア・ヘルツェゴビナの紛争地帯に20代で乗り込んだところです。ボスニアの将軍を怒鳴りつけたというエピソードが私はとても好きで。20代で、しかもとても小柄な方なのに、かっこいいですよね。もちろん、闘争心に突き動かされて行動したわけではありません。根底にあるのは、いつも愛情なんです。優しさから動いている人なんですよね。

難民として国外へ逃れようとする女性や子どもたちに、兵士たちが銃口を向けて行く手を阻んでいる。その光景を目の当たりにして「何をしているんですか」と怒り、将軍たちのいる部屋へ、ドアを蹴飛ばすような勢いで入っていく。その場面も、とても印象に残っています。
「国語力」とは「外交力」
中満さんは、国連軍縮担当上級代表という役職柄、キリッとしたかっこいい女性というイメージがあります。でもその一方で、おちゃめでユーモアのセンスもある方です。結局、彼女の仕事というのは「コミュニケーションの極み」なのだと感じる一節が、この本にありました。
「軍人に接するときには、いつもストレートに、なおかつ礼儀正しく、そして女性らしいスマイルを忘れずに、と心がけました」
これは紛争地での交渉術として書かれた言葉なのですが、ビジネスの場でも、ママ友とのコミュニケーションでも、そのまま通じる姿勢だと思うんです。中満さんはまず、「こういうことをしてくださって、ありがとうございます」という感謝から入る。そのうえで、「こうしてほしい」という自分の要望をきちんと伝えているように感じます。その姿勢がとてもすてきだなって。相手の言葉を正確に聞き取り、自分の言いたいことを的確に返す。「国語力」とは「外交力」に通じる面があるんだなと、この本を読んでいて感じました。
「書いてある通りに読む」が国語力の本質
私がいつも授業で言っていることなのですが、国語でいちばん大切なのは、「書いてある通りに読む」ということなんです。これは子どもだけの話ではなくて、大人にとっても同じ。大人でもつい“ざっくり読んでしまう”ことがありますよね。そして、どうしても自分の主観が入ってしまう。主観をゼロにすることはできませんが、なるべく相手の懐に入って、「何を言おうとしているのか」を理解しようとする。そのためにはまず、字面をきちんと読むことが大事なんです。
具体的に私の国語教室では何をやっているかというと、とにかく「何が、どうした」を丁寧に拾うことを繰り返します。日本語は主語が省略されやすい言語なので、文章を読んでいるうちに、「これは誰の話だっけ」「この『それ』は何を指しているんだっけ」と見失ってしまう子がとても多いんです。
会話文が続く場面では、どちらのセリフなのかわからなくなってしまう子もいます。指示語——「これ」「この」「それ」「そこ」など——が何を指しているのかを一つひとつ確認していくだけでも、文章の読み取りの精度はぐっと上がります。特別なことはなくて、「今、何の話をしているのか」をきちんと追いかける。まずは、その基本を徹底するんです。

でも実は、これは大人でも意外とできていないんですよね。「指示語の確認なんて小学生の勉強でしょう」と思われるかもしれませんが、そういう訓練を体系的に受けてきた大人は、それほど多くありません。文章を感覚で読むのではなく、何が書かれているのかを順番に整理しながら読む。ロジックで考え、的確に言語化する。その力は受験だけじゃなく、仕事や日常のコミュニケーションにもつながっていると思います。
「母ちゃん、世界をたのむ」 まっすぐ届く言葉の力
ちなみに、『 危機の現場に立つ 』では、中満さんの子育て事情も描かれています。中でも私がいちばん感動したのが、中満さんのお嬢さんたちがオフィスを見学した帰り際のエピソード。まだ幼かったお嬢さんが付箋に「肩たたき券5分」「白髪抜き20本無料」といったプレゼントを書いて残していくのですが、「母ちゃん、大好き、愛してる。世界をたのむ」という付箋も添えられているんです。もう、本当にいいと思いませんか。「母ちゃん」と「世界をたのむ」が同じ付箋に並んでいるなんて。
飾らない言葉の中に、こんなにも大きな信頼と愛情が宿る。難しい言葉を使わなくても、まっすぐな言葉がいちばん届くことがある。国語を教えている身としても、改めてそう感じさせてくれる場面でした。
もう一つ、中満さんの『 未来をつくるあなたへ 』(岩波書店)は、岩波ジュニアスタートブックスの1冊です。小学生高学年から読める内容で、核軍縮やジェンダー平等、難民支援など16のテーマについて平易な言葉で解説されています。
核兵器・難民・気候変動・ジェンダー・格差など、世界のさまざまな課題に向き合う人々の姿を紹介しながら、「勇気を持って一歩を踏み出すことの大切さ」を伝えるジュニア向け書籍。「毎日小学生新聞」連載に加筆修正。
この本で私がいいなと思ったのが、「ジェンダー平等——少女よ! 大志を抱け」という章です。「女の子だからできないということは何一つないんだよ」というメッセージがあって、「頑張る女子を応援するのがかっこいい男子です」とも書かれているんです。そして、「少女よ、そして少年よ、大志を抱け!」と呼びかける。女の子も頑張ってほしい。男の子には、そんな女の子を応援する存在であってほしい。みんなで一緒に頑張ろう。世界は必ず変えられる。そんなメッセージが込められていて、本当にいいなと思いました。
私の国語教室に通う小学生の保護者の方にも、働きながら子育てをしているお母さんがたくさんいらっしゃいます。仕事と子育てを両立する大変さや苦労を実感しながらも、それでも「社会で活躍できる女の子に育ってほしい」と願って、教育にも一生懸命向き合っていらっしゃる。女の子たちにはもちろん、今全力で頑張っているお母さんたちにも、ぜひ中満泉さんの2冊を手に取っていただけたらなと思っています。
取材・文/金澤英恵 取材・構成/細谷和彦(日経BOOKプラス編集) 写真/品田裕美

