現在、三井不動産グループはロイヤルティープログラム大改革の真っ最中だ。巨大な組織をまとめ上げ、グループ全体のLTV(顧客生涯価値)を高めるには、社員のモチベーション向上が欠かせない。そこで、メールマガジンや広告のランディングページ(LP)の改善といった小さな成功事例を積み重ね、少しずつビジネスを太くしようとしている。しかし、LTVには「罠(わな)」がある。特にロイヤルティープログラムは、顧客の囲い込みで企業がよく失敗する「妄想四天王」施策の一つでもある。どうやってLTV向上を実現させるのか、三井不動産の事例を追った。[日経クロストレンド 2023年8月10日付の記事を転載]
前回の記事で触れたように、三井不動産グループは現在、ロイヤルティープログラム大改革に取り組んでいる。グループ全体のLTV向上を目指し、より顧客に愛される特典を構築するのが目的だ。
▼前回はこちら ロイヤルティープログラムの誤解 三井不動産が挑むLTV改革の裏側LTVにはその効果を測る計算式はあるものの、「生涯」の範囲をどう捉えるかなど、曖昧な部分が多い。基本的に、LTV向上施策は長期的な顧客とのコミュニケーションを改善するもので、即企業の売り上げや利益に反映されるものではない。さらに施策と成果の因果関係も、証明しにくいのが実情だ。
結果が見えない「言い訳」に使われるLTV
LTVやデジタルマーケティングの改善をはじめ、膨大な顧客データの分析を基に、マーケティングにおける勝ちパターンの開発を約20年間続けてきたWACUL代表取締役の垣内勇威氏は、「『LTV』という言葉は、『中長期的にLTVが伸びている』といったように、結果がよく分からない施策に対する言い訳に使われるケースが多い」と指摘する。
こうした曖昧なLTVを目に見える形で向上させるため、三井不動産グループがファーストステップに選んだのが「クイック・ウィン」という施策だ。小さくても早い段階における成功事例を積み重ねることで、LTV向上に取り組む社員のモチベーションを高めるのが狙いだ。
三井不動産グループは、国内外にあるグループ企業や事業部門に分かれ、業務担当が細分化されている。そんな巨大企業のLTV施策の舵(かじ)を取るのが、2022年に三井不動産DX本部DX二部内に設置された組織「&Marketing(アンドマーケティング)」。そこが外部のコンサルティング会社として白羽の矢を立てたのが、垣内氏が率いるWACULだった。
「デジタルマーケティング領域には、ほぼ確実に成果を出せる施策がいくつもある」と垣内氏。中でも“鉄板施策”は、すぐに数字が伸びるメールマガジンや広告のランディングページ(LP)の改善、広告運用の効率化だ。まずはこれらで成功事例を示しつつ、その後、結果が出るまで少し時間がかかるインサイドセールス(架電やメールを用いてリモートでセールスすること)、アプリやWebサイト、SEO(Search Engine Optimization=検索エンジン最適化)の改善といった領域に踏み込んでいった。
メルマガを改善し、宿泊予約が41倍に
では、具体的にどうやってLTVの向上に着手したのか。グループ企業の取り組みを見ていこう。
メールマガジンの配信頻度や内容を改善し、クイック・ウィンを実現したのが三井ガーデンホテルズ。メルマガ経由の宿泊予約数は増加しており、特に22年5月は、前年同月比の41倍と大幅に伸長した。変更したのが配信頻度だ。21年は月1回程度だったが、これを大幅に増やした。
頻度が低かった理由は、「配信数を増やすことで顧客からクレームが来るのではと不安に思っていた」と語るのは、&MarketingをまとめるDX二部DXグループの高橋正和氏。ユーザーに遠慮し過ぎて、営業機会を逃していたのだ。加えて、垣内氏は「メール1通の制作に時間がかかり過ぎていた」と話す。配信頻度と制作時間、2つのボトルネックが絡み合っていたわけだ。
そこで両者は、最も有効な改善策が「配信数の増加」であると判断した。垣内氏が提示した「メルマガに関しては、配信数を増やしたとしても、クレーム率や配信解除率は上がらない」というデータも、改善策の実行を後押しした。ただ、一気に配信頻度を増やすのは三井側もちゅうちょするし、ユーザー側も戸惑うかもしれない。そのため「まずは月1回を月2回に増やし、ネガティブな反応がなければ徐々に増やしていくことにした」(垣内氏)。
配信頻度の増加は、メルマガの簡素化とセットで考えなくてはならない。1通の制作に手間をかけ過ぎないよう、訴求するメッセージを1つに絞り、同一のテンプレートにテキストを流し込むだけで済むようにしたという。あとは細かく開封率やクリック率が上がる仕掛けを取り入れたり、工数削減のために配信ツールを見直したりしていった。
こうした地道な改善の結果、23年7月現在、配信頻度は週2回まで増えた。メルマガ経由の宿泊予約数が、前年同月比41倍になったのはこれが大きな理由だ。この施策をきっかけに、&Marketingは三井ガーデンホテルズとの連係を強化し、その後もWebサイトやアプリの改善、顧客調査など、協業範囲を広げている。
盲点だった「価格シミュレーションサービス」
クイック・ウィン施策を経て、さらにインサイドセールスの改善まで実施するのが、注文住宅を扱う三井ホームだ。LPの改善からスタートし、&Marketingと共にさらにその先の応用事例まで着手している。
三井ホームはこれまで注文住宅を販売していたが、22年から、ある程度プランを限定することで価格を抑えた「規格住宅」のトライアル販売も始めた。カスタマイズ性の高さは注文住宅に譲るが、高品質な住宅を低価格で建てられるのが魅力だ。低価格を追求するためには、従来の営業や宣伝手法も効率化する必要がある。そこでデジタル活用を推進することになった。
規格住宅で画期的だったのが、「Web上で価格をシミュレーションできるサービス」(垣内氏)だ。価格のシミュレーションなど当たり前と思われるかもしれないが、注文住宅業界ではインパクトのあるサービスだった。バリエーションが豊富な注文住宅の場合、営業担当者はなかなか住宅の価格を教えてくれず、また顧客自身で調べるのも難しい。ひとたび価格を問い合わせれば、営業担当が面談を求めてくる。まずは価格の目安を知りたいだけの顧客にとって、気軽に教えてくれるサービスがあまり存在しなかったのだ。
さらに進んで、インサイドセールス確立にも着手
こうした背景もあり、「価格シミュレーション」を利用するユーザー数は順調に伸びていった。そこで、LPのファーストビュー(Webページにアクセスした際、スクロールせずに表示される範囲)の中に、シミュレーションを開始するボタンを設置した。ユーザーの個人情報を入力してもらうための、いわゆるコンバージョンボタンだ。
以前は、規格住宅の説明が先にあり、読了後にページ下部に設けたボタンを押してもらう流れだった。しかし、これではボタンをクリックしてもらう前に、ページを離脱する人が出てきてしまう。そこで動線を見直し、前述のようにファーストビューにボタンを設置した結果、コンバージョン数が改善したという。
ここまでは順調だったが、新たな課題も発生した。価格シミュレーションから商談につながる割合が低く、予想よりも伸び悩んだのだ。そのため、インサイドセールスの改善をする必要性が生まれた。「そもそも、営業してほしくないと思っている顧客が、気軽に価格を見積もれるという理由で訪れているため、商談を獲得する難易度は高い」と垣内氏は言い切る。そこで、現在は商談に至るまでのどこで離脱が発生しているかを数字で確認し、プロセス改善を進めているところだ。
LTVの改善において、クイック・ウィン施策は遠回りに感じるかもしれない。しかし、成果を積み重ねて企業内の信頼を勝ち取れば、徐々に踏み込んだ施策を打てるようになる。そこまできて、ようやく本格的なLTV改善に向けたスタートラインに立てるわけだ。特に三井不動産のような巨大企業がグループを挙げてLTV向上を目指す場合、遠回りに思える施策が、意外と近道になることもある。
(写真提供/三井不動産、撮影/古立 康三)
垣内勇威(著)、日経BP、2420円(税込み)





