電子書籍のパイオニアは日本企業でしたが、2003~04年の電子書籍ブームを大衆化させることができず、各社は撤退に追い込まれました。なぜでしょうか。米国のコンサルタント、ジェフリー・ムーアが新商品のマーケティングを論じた『 キャズム Ver.2 増補改訂版 新商品をブレイクさせる「超」マーケティング理論 』(川又政治訳/翔泳社)を、根来龍之・名古屋商科大学ビジネススクール教授が読み解きます。『 ビジネスの名著を読む〔マネジメント編〕 』(日本経済新聞出版)から抜粋。

ハイテク製品が普及するまでの大きな溝

 ハイテク製品は提供企業の側では、画期的な製品と考えて市場に導入します。しかし、多くの製品が多数派の大衆層には浸透できずに市場から撤退を余儀なくされます。例えば、固定電話に簡易インターネットサービスを提供する「Lモード」は2001年にスタートしましたが、10年にサービスを終了しました。専用のモバイル端末向けの衛星放送「モバHO!」は04年にサービスを開始し、09年にサービスを終えました。

 多くのハイテク製品は一部の消費者には常に歓迎されます。好奇心が強く新しいものが好きなイノベーター(革新的採用者)は価格が高くても購入をいとわないところがあります。次のアーリーアダプター(初期採用者)もイノベーションの可能性に敏感です。しかし、イノベーターのように単に新しいから購入するのではなく、製品の良さとコストを冷静に「自分で評価」します。

 多くの消費者は、他の人の意見や他の人が使っているかどうかを判断基準にする傾向があります。普及理論では、アーリーマジョリティ(初期多数派)以後の消費者にそういう傾向があるとされます。

 ムーアは、アーリーアダプターとアーリーマジョリティの間には大きな溝(キャズム)があると主張します。多くのハイテク製品がアーリーマジョリティ以後になかなか浸透しないで撤退せざるをえなくなるのは、購買心理が異なるからだと考えました。

 イノベーターとアーリーアダプターは、イノベーションの可能性に反応し、製品に不便な点があっても自分で工夫して使おうとします。しかし、アーリーマジョリティは、使い勝手がいいかどうかにこだわる慎重な実利主義者であり、自分で工夫して製品を使うことはありません。

 この消費者心理の違いを考慮したマーケティング戦略をとれずに、多くのハイテク製品は挫折するとムーアは考えたのです。

電子書籍を普及させられなかった日本企業

 電子書籍のパイオニアは日本企業であり、1990年代から様々な製品が市場に投入されてきました。最初のチャレンジは、CDを媒体としたソニーの電子ブックプレーヤー「DD1」(90年7月発売)とフロッピーディスクを媒体としたNECの「デジタルブック」(93年末発売)でした。

 前者は拡張版の電子辞書というのが正確で、書籍は聖書のようなものしかありませんでしたが、CD版のコンテンツを入れ替えて使える点で画期的でした。後者は本格的な電子書籍ハードで発売時に200冊程度のフロッピーディスク版の書籍コンテンツがありましたが、イノベーター層以外には受け入れられず生産中止となりました。

 次の日本企業のチャレンジは、2003〜04年ごろでした。松下電器産業(現・パナソニック)が「シグマブック」(04年2月)、ソニーが「リブリエ」を発売(04年4月)し、新聞・雑誌で「ついに電子書籍の時代が来た」と話題になりました。しかし、日本の電子書籍市場は、大衆化することなく、シグマブックは08年3月に生産を終了し、同年9月には対応するコンテンツ提供サービスも終了しました。リブリエも07年5月に日本での販売を終え、コンテンツ提供サービスも08年12月に終了しました。

 これらの製品は、アーリーアダプター(初期採用者)の一部までは浸透したと思われます。しかし、キャズムを越えられなかったのです。問題は、なぜキャズムを越えられなかったかです。

電子書籍の歴史(日本と米国)
電子書籍の歴史(日本と米国)
(出所)『ビジネスの名著を読む〔マネジメント編〕』(日本経済新聞出版)
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 ソニーのリブリエについて詳しく見てみましょう。この製品は米イー・インクの電子ペーパーを利用し、表示機能については、米国でその後大ヒットするアマゾン・ドット・コムの「キンドル」(同じくイー・インクの電子ペーパーを利用)に比べても遜色のないハードでした。重さも約190グラム(乾電池含まず)で、現在の電子書籍ハードと大きな違いはありません。

 問題の1つ目は価格にありました。ソニーはリブリエを4万円前後で発売しました。それに対して、キンドル初代機(2007年11月発売)は399ドルでしたが、12年に日本で発売(出荷開始)された「キンドル・ペーパーホワイト」(Wi-Fi版)は7980円です。

 問題の2つ目は使い勝手です。ソニーのリブリエは、電子書籍サイト(タイムブックタウン)からパソコンでダウンロードした書籍を端末に転送する方式(USBケーブルまたはメモリースティック利用)でしたが、キンドルは初代機から、携帯電話網を利用して、パソコンを介さずに電子書籍をダウンロードできるハードも提供しています。このサービスは携帯電話会社との契約は不要で、アマゾンの「キンドルストア」や、オンライン百科事典「ウィキペディア」のサイトなどに無料で接続できます(通信料はアマゾンが負担)。

 キンドルはアマゾンに自分のアカウントを持っていることが前提の販売方式ですので、通信機能付きの場合は、自宅に届いてスイッチを入れると、すでに自分の名前が登録されており、すぐに通信可能です。

コンテンツの数と提供方式にも問題あり

 上記の2つの問題に加えて、リブリエの最大の問題は、コンテンツの数と提供方式にあったと思われます。リブリエ発売時のコンテンツ数は800冊前後だったといわれ、米国でのキンドル初代機発売時(07年11月)の9万冊、キンドル3発売時の73万冊に遠く及びません。

 リブリエの電子書籍サイトであるタイムブックタウンでは「書籍のレンタル(60日)」というコンテンツ提供方式がとられました。この方式では、ダウンロード後60日を経過すると本が読めなくなりました(著作権管理ソフトによって制御されていました)。

 レンタル方式には、1冊単位でレンタル料(105円)を支払う「タイムブックライブラリー」と、ジャンルごとに分かれた「クラブ」に入会(月1050円)することで毎月5冊ダウンロード可能な「タイムブッククラブ」の2種類がありました。この方式はコンテンツの価格を下げるためと、紙の書籍とのカニバリゼーション(共食い)を恐れる出版社の思惑との妥協として採用されたと思われますが、結局大衆化することなく、2009年2月にタイムブックタウンは閉鎖されました。

 キンドルのコンテンツはもちろんレンタル方式ではなく、また初代機発売時から新刊のベストセラー小説が9.99ドル(約1000円)で提供されています。

 なお、リブリエの対応フォーマットは「BBeB」というソニーの独自フォーマットで、テキストファイルやPDFファイルには対応していませんでした(キンドルは「AZW」というアマゾンの独自フォーマットを採用していますが、テキストファイルやPDFファイルにも対応しています)。

 ただし、リブリエには、Windows用の補完ソフトが無償提供されていて、これを使ってプリンターに印刷するのと同じ操作でリブリエにデータを転送することができ、印刷可能なデータであればすべてリブリエで閲覧できるようになっていましたが、いかにもマニア向けの仕組みだったと言わざるをえません。

 こうして見てくると、2003~04年ごろの日本の第2次電子書籍ブームが大衆化することなくしぼんでしまった理由が分かると思います。それは、イノベーションに夢を見るのではなく、実利を考える慎重で保守的なアーリーマジョリティ(初期多数派)に浸透できる製品ではなかったのです。

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