東西冷戦時代、米国務長官などとして世界と対峙し、その後も米国外交の指南役を長らく務めたヘンリー・キッシンジャー氏の手になる大著『 国際秩序 』(伏見威蕃訳、日経ビジネス人文庫)。希代のネゴシエーターには、この世界がどのように見えていたのか。つぶさに垣間見ることができる本書の読み解き方を、元内閣官房副長官補兼国家安全保障局次長の兼原信克氏が示す。キッシンジャー氏の筆を丁寧にたどりつつ、「描かれなかったこと」の意味まで浮き彫りにしつつ、その視座は「キッシンジャー史観の先」へ。示唆に富む「文庫版 解説」、ぜひご一読を。
文庫版 解説
本書は、一九七〇年代の米中国交正常化とデタント(米ソ緊張緩和)を、米国安全保障担当大統領補佐官、国務長官として演出したキッシンジャー博士がまとめた現代国際秩序論である。歴史家らしく、ドイツ三〇年戦争以降、主権国家が並立したヴェストファーレン体制下の欧州から説き起こし、第一次世界大戦、第二次世界大戦、冷戦、そして二一世紀の人類が到達した国際秩序のさらなる展望までを、一枚の絵巻物のようにして、該博な知識と論理的に破綻の無い強靭な知性でまとめ上げている。その視野は、筆が進むにつれて、欧州、中東、アジアへと広がる。それはまさに孤立主義から抜け出した米国外交の幅の広がりを示している。
人間の秩序はすべからくその価値観、正統性と、それを支える力――軍事力と経済力――を二つの要素として構築される。現在、私たち日本人が当然のように受け入れている自由主義的国際秩序は、人間の尊厳、個人の良心、自由な意思に基づく合意を秩序の正統性の根源に置く。ルールは話し合いから生まれ、権力をも縛る。自由主義社会の根底には、人間は力を合わせて困難を乗り越える優しさを分かち持ち、それが愛であり、愛が神であり、その故に人間は包摂的な社会をつくることができるという考え方に対する信頼がある。人はそのようにつくられているからである、そのような考え方は洋の東西を問わない。儒教の仁、仏教のさとりや慈悲も同じことを教える。
しかし、秩序は力で支えられねばならない。現代の国際社会には、世界秩序を主宰するほどの力を持った国家も国際組織もない。そこでは必ず主権国家間の派閥の均衡が生まれる。武力衝突を避けるために主権国家間の権力体系の安定が模索される。分権的な国際社会においては、国際的な権力体系の安定それ自体が価値なのである。だから世界の外交官は、味方を増やし、敵を孤立させ、敵の敵を味方とし、敵の後背の国を味方とするべく、何千年間も知恵を絞ってきた。そうして自分に有利な形で国際社会の安定を確保することが、外交の神髄であった。それもまた、欧州に限られた話ではない。中国の遠交近攻策、「百戦百勝は善の善にあらざるなり」(孫子)も同じことを言っている。
力の均衡と安定の論理は、しばしば価値観やイデオロギーの論理を突き破る。背に腹は代えられないからである。キッシンジャー博士は、全欧を巻き込んだドイツ三〇年戦争を終わらせたヴェストファーレン条約体制を力の均衡による安定の典型と捉え、それを模範として国家間の力関係の移り変わりを理解しようとする。その筆の冴えは素晴らしい。
現代国際秩序は、産業革命以降の一握りの欧州諸国、米国、そして日本によって構築されてきた。世界の中心は、人類のなかで一足早く工業化した欧州であったから、博士の筆が欧州近代政治の萌芽から説き起こし始めるのは理にかなっている。英国発祥の産業革命以降、英国、オランダ、フランス、ドイツ、米国、ロシア、そして日本が台頭し、工業がもたらした巨大な国力をもって、一九世紀にアジア、アフリカのほぼ全土を植民地化し、地球を分割した。欧州諸国を中心とする世界システムが半ば暴力的に構築され、世界各地の大河のほとりにバラバラに生まれた人類の諸文明が、欧州諸国に従属する形でつながり合った。欧州諸国の工業力、軍事力によって、人類社会が一つになったのである。
欧州権力政治は、日本の室町戦国時代と変わらないホッブズ的状況である。万人は万人の敵であった。メキシカン・スタンドオフ(「自分が攻撃すれば、自分も攻撃され助からない。だからといって、武器をしまえばすぐに攻撃される」と考え、誰も動けない状態)の時代である。
日本との違いは、日本では信長、秀吉、家康が天下を統一したが、欧州では第一次世界大戦まで果てしなく大小の戦乱が続いていたことである。ここでは宗教や価値観よりも裸の力を信奉する権力政治が幅を利かせた。敵の敵は味方であり、大国が台頭すれば周辺国が団結する。まるで物理の法則のように、合従連衡により国家関係全体の均衡と安定が維持される。
英国、フランス、オーストリア、プロイセン、ロシア、オスマン帝国の目まぐるしい合従連衡の変遷、そして、台頭するプロイセンのヴィルヘルム二世と対峙するために英仏露が呉越同舟の連合を組み、第一次世界大戦という欧州文明の破局に進むまでの様子が見事に描かれる。
ヒトラーの台頭を叩き潰した第二次世界大戦後には、米国とソ連(ロシア)が自由主義と共産主義という価値観の絶対的対立を引き起こし、厳しい核対峙と冷戦を生んだ。米国は北大西洋条約機構(NATO)を立ち上げ、力でソ連を封じ込めた。しかし、最後に勝ったのは力の論理ではなく、自由主義の価値観だった。ソ連の掲げる共産主義が国民の信を失い、ソ連は内側から崩壊したからである。それはジョージ・ケナンの予言通りだった。
博士はまた、第二次世界大戦後、世界のリーダーとなった米国の中東外交の構築について述べ、サウジアラビアを基軸としつつ、同時に、イスラエルとヨルダン、エジプトとの和平、シリアとの兵力引き離しに尽力した米国外交を描写する。しかし、イランのホメイニ革命によって米国の中東戦略は一角が崩れ、それがソ連のアフガニスタン侵略を呼び寄せたと示唆する。
アジアにおいては、朝鮮戦争が北朝鮮の金日成によるスターリンと毛沢東の二股外交に起因し、アジアに米国の関心を移したいスターリンの思惑と、朝鮮半島へのソ連の影響力の浸透を嫌った毛沢東の打算の結果引き起こされ、米国の介入によって三八度線の現状が回復されたと分析する。そしてその後、米国をひどく苦しめたベトナム戦争では、米国ははっきりとした戦争目的を持たずに中途半端な介入をして失敗したと考える。
キッシンジャー博士の力の均衡の論理を下敷きにした歴史解釈は、鋭いメスのような恐ろしい冴えを見せる。しかし、そこに欠けているものは、キッシンジャー博士自身が熱心に頁を割いて説明している米国の普遍的な価値観が、植民地時代に主権と人間の尊厳を否定されたアジア、アフリカ諸国にどう広がっていったかという視座である。博士は、アジア、アフリカの国々の多くが、植民地宗主国の王権のくびきを自らの力で外し、半世紀近い独裁という辛い経験を経ながら、一九八〇年代後半より民主主義、自由主義経済へと雄々しく舵を切る様子を捨象している。
また、米国自身が、奴隷制廃止以降も根強く残っていた制度的な人種差別を廃止したことや、その実現に大きな貢献をした公民権運動についても言及がない。米国が人種差別を放棄していなければ、アジア、アフリカ諸国が大挙して独立した一九六〇年代以降、米国が自由主義を掲げて世界のリーダーとなることは不可能だったはずである。
基本的人権や、民主主義が、白人のキリスト教国だけの特権ではなく、人類社会に普遍的な価値観であることを示し、現代の自由主義社会が地球的規模で広がることを可能としたのはインドの「偉大な魂」ガンジーや、米国のキング牧師の命を懸けた努力があったからである。だが彼らの名前は出てこない。そこに博士の力への信奉と欧州中心主義の限界が見える。
今世紀、アジアは、人口、経済規模の双方において世界の六割を占めるようになる。日本を含む西側が掲げる普遍的価値観が、真に普遍的なものと言えるかどうか、自由主義的国際秩序が真に地球的規模に広がるかどうか。その命運は、二一世紀中葉のアジアが握る。本書には、技術革新が二一世紀の世界を変えると予言しながら、普遍的価値観が真にアジアに広がるかどうかという死活的な論点に対する考察が抜け落ちている。
しかし、それは欧州生まれの米国人であるキッシンジャー博士ではなく、一九世紀中葉に、唯一、アジアのなかで植民地化の厄災を逃れ、工業化の波に乗って富国強兵を成し遂げ、早くも一八九〇年に権利章典を備えた近代的憲法を書き、帝国議会を開設して、一三〇年にわたり民主主義制度に習熟してきた日本の役割であろう。
その日本は、キッシンジャー博士の目にどう映っていたであろうか。博士は、自らが現役だった一九七〇年代、日本は形だけ西側の一員だったが、東西のイデオロギー対立では立場を取らなかったと断じている。
左翼勢力から激しい攻撃を受けた吉田茂、岸信介の努力によって西側を選んだ日本であったが、東側陣営寄りの日本社会党と日米同盟を選んだ自由民主党が厳しく対峙した五五年体制下の日本は、確かに西側世界の異端児だった。労働組合を代表する西側の政党は米民主党、英労働党、仏社会党、独社会民主党といくつもあるが、みな、西側の一員であった。しかし、日本社会党は東側の一員であり、日本の国内政治は東西対立のあおりを受けて真っ二つに割れた。その姿は、東西ドイツ、南北朝鮮、南北ベトナム、中国と台湾と同じ分断国家が、日本という一つの国のなかに生まれたかのようであった。
岸総理以降の総理大臣は、安全保障に知見の少ない経済官庁出身者が続き、国内の分断を意識して意図的に経済発展に政治的エネルギーを割き、全方位外交、中立志向のような言辞を弄する人もいた。目覚ましい高度経済成長の過程で、マルクス主義の階級闘争史観は輝きを失い、東側陣営の共産党独裁と人権侵害の実態が世界に知られるにつれ、社会党の勢いは失われていった。しかし、キッシンジャー博士の目には、当時の日本は、経済にしか関心のない戦略思考能力の欠落した鵺(ぬえ)のような国に映っていたのであろう。
一九七九年のソ連によるアフガン侵攻が、レーガン米大統領の下で新冷戦を引き起こしたとき、中曽根康弘総理が日本は「西側の一員」であるという立ち位置を宣明した。冷戦終結後、日本は、西側の一員として国際社会に貢献するとの旗印を立て、宮澤喜一総理による国連平和維持活動の開始、小渕恵三総理による周辺有事に際しての対米軍後方支援を約した重要影響事態法の制定、小泉純一郎総理による九・一一米国同時多発テロ後の対アフガン戦争等における後方支援活動、そして、安倍晋三総理による平和安全法制による集団的自衛権行使是認と、外交の幅を大きく広げてきた。
安倍総理の「自由で開かれたインド太平洋構想」は、中国に代わり民主主義国家のインドこそ、二一世紀のパートナーであると謳い、それが西側の国際政治の潮流にさえなった。安倍総理は、トランプ大統領が生んだ西側諸国のリーダーシップという真空を埋めた。しかし、キッシンジャー博士の日本に対する記述は、残念ながらこのような日本の変化までは筆が及んでいない。
二一世紀中葉に自由主義的国際秩序と、普遍的な価値観がアジアに根づいた後、キッシンジャー博士に代わり新しい国際秩序論を著す人たちが現れるであろう。それは米中印欧の力関係の変貌と、地球的規模の自由主義社会の成立と普遍的価値観の浸透を記すものとなるであろう。その時、日本はどう書かれるであろうか。それは令和の日本人の選択にかかっている。
元内閣官房副長官補兼国家安全保障局次長 兼原信克
【関連記事】
