大手メーカー系列の中堅システムインテグレーターでSEとして働く後藤智彦。しかし彼は12年働いた会社をやめようと決心していた。退職願を懐に入れて上司のもとへ向かった後藤を待ち受けていたのは、担当企業のシステムが大トラブルに見舞われたという連絡。上司の命で緊急対応に向かった彼はそこで、自分の運命を大きく変える男、五十嵐優一と出会う。緊急対応なのにひょうひょうとした態度の五十嵐に、後藤は苦手意識を感じるのだが……。(この物語はフィクションです)

 エレベーターを降りると、目の前に会社の受付があった。誰もいなかったので備え付けの内線電話で事情を説明すると、警備員が出てきて会議室に案内された。

 そこでは、我が社の滝下慶太が平謝りをしていた。滝下は後輩の営業担当者だが、強い人にはペコペコし、弱いものには強気。おかげで、ぼくとの仲はそれほどよくはない。

「佐原部長、本当に申し訳ございません」

 顧客の情報システム部の責任者である佐原部長は、表情も言葉遣いも明らかに憤慨していた。かつてシステムトラブルが発生した時に、「稼働率100%のシステムなんてあり得ません」と言い訳した滝下が、佐原部長にボコボコにされた光景が目に浮かんだ。あの時滝下は最後に、「稼働率100%を誓います」と泣きながら約束させられた。同席していたぼくは、顔を上げることができなかった。好きではない滝下だったが、見ていてつらかった。心が痛んだ。

 ぼくたち2人は「到着しました」と告げられずに、しばらく立ち尽くして様子をうかがっていた。

 トラブルが発生してからすでに2時間ほど経過している。いつ解決するのか、原因は何か、なぜすぐに直らないかなどと矢継ぎ早に問い詰める佐原部長に、滝下がアヤフヤな回答を続けていた。会話は完全に堂々巡りだった。ヒートアップした佐原部長は、どんどん厳しい言葉を投げかけた。

「本当にわかってるのか? うちは1時間システムが止まると、売り上げが1000万円単位でぶっ飛ぶ。お前たち損害を補償できるのか? 安月給のくせに……」

 滝下は頭を下げながらも、同じ言葉の繰り返しにほとほと嫌になったのだろう。明らかにムッとした表情に変わった。

 表と裏の顔を使い分けられるはずの滝下が、顧客にあんな表情をするなんて……。それほど抑えきれない怒りが湧き上がっていたのだろう。これは、危険な状況だ。悪い方向に進む予感がした。

 すると五十嵐さんが滝下の前にすっと立ち、「すいません、すぐやります」と言った。

「誰だ? お前は」

「XTシステムズのSEで、五十嵐です。すいません。すぐやります」

先輩SEの五十嵐優一(イラスト:冬乃郁也)
先輩SEの五十嵐優一(イラスト:冬乃郁也)
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 五十嵐さんはぼくの背中をたたき、「後藤、行こう」と言った。そして滝下に「サーバー室に案内してくれ」と頼んだ。佐原部長はまだ話が終わっていないと怒鳴りかけたが、滝下は「すぐやります」と頭を深く下げ、ぼくたちとサーバー室に向かった。

「ふー、助かりました」と滝下はハンカチで汗をぬぐった。

「お疲れさま」と五十嵐さんがねぎらう。

 五十嵐さんは歩きながら状況を確認した。

「滝下くんだっけ? トラブルの状況を改めて説明してもらえる?」

「佐原部長の話だと、販売システムが今日の16時過ぎから急に調子が悪くなったようです。一般の利用者および社員が注文処理をすると、フリーズした状態になってそれ以上は進めなくなります。保守要員に頼んでサーバーを再起動すると一時的に直るけど、一般の利用者や社内からの注文処理が何件か入ると、また同じ状態で止まってしまいます。佐原部長から服部課長に連絡があったのが16時半です。私は17時ごろに到着したんですが、営業だからそれ以上の詳しいことはわかりません。とりあえず来ただけで、ただ怒られていただけです」

 滝下は、この顧客の営業担当者なのに、自分が被害者と言わんばかりだ。

「それは大変だったな」と、五十嵐さんは優しい言葉をかけた。

 滝下は急に立ち止まり、誰かに聞かれないようにと手で口元を隠しつつ「それと、大きな声では言いにくいのですが」と小声で話を始めた。

「販売システムが動かなくなると同時に、変なメッセージが表示されるんです」

 そう言って滝下はスマホを見せてくれた。

「パワハラは絶対に反対というメッセージとともに、パワハラの通報サイトのリンクが出るんです」

「誰かが意図的に作らないと、そんなメッセージは出ないな」

「営業の私の勝手な想像ですが、この会社に恨みを持っているものによるサイバー攻撃かもしれません」

 五十嵐さんがスマホをのぞき込んだ。

「珍しいサイバー攻撃だな。フィッシングサイトに接続して情報を盗むようなものかもしれないな」

「ただ、リンク先は正規のものらしいです。なので、情報搾取とかではないと思います。それと、ページの右下に数字を入れる欄があります。社員のほうがいろいろ試して、『3787』と入力するとメッセージが消えるらしいんです」

「パスワードみたいなものでしょうか」と、ぼくは言ったが、根拠はない。

滝下はわかりません、という表情をしながらスマホをカバンにしまい、五十嵐さんを見た。

「社員にこんなメッセージを表示させるのはまずいので、社長命令で、社員はほとんど帰りました」

「社長を恨んでいる人はたくさんいそうですし、なんだか怖くなってきました」

 ぼくは両手を組んで震えるようなしぐさをした。

「とりあえず、サーバーを見に行こう」

 そう言って五十嵐さんは歩き始めた。しかし、滝下が小さな声で言いにくそうに話しかける。

「申し訳ございませんが、私は帰らせていただきます。おふたりがいらっしゃるまで1時間、ここで足止めされていたので、仕事がたまっておりまして」

「えっ? 営業の滝下が帰ったら、顧客対応はどうするの!」

 思わず叫んでしまった。ぼくだって帰りたい。しかし、なぜか五十嵐さんがフォローする。

「滝下くんが忙しいって言ってるんだ。顧客対応はオレがやるよ。大変な客ではあるが、さっきもうまく切り抜けられたしな」

「切り抜けたって……、適当にごまかして逃げただけじゃないですか」

「まあ、たしかにオレは『すいません』『すぐやります』しか言っていない。でも、それでいいんだ。トラブル対応は解決することもあれば、解決しないこともある。だから、余計なことを言わずに、『すいません』『すぐやります』を言うだけでいい」

「そんなばかなことありますか? トラブル時こそ、顧客に丁寧な説明をすべきだと思います」

「滝下くんは丁寧に説明をしていたけど、解決したか? していないだろ? 現状が把握できていない状態で説明をしても、十分な説明はできない。話せば話すほどドツボにはまる。だから、中途半端な説明は避けて顧客からすぐ離れ、トラブル解決に専念したほうがいい」

「でも、すぐに解決しなかったら、その時は説明が要りますよね?」

「『すぐ解決します』とは言ってない。『すぐやります』だ」

「はあ……」

 ため息をつきながら、ぼくは首を振った。

 五十嵐さんはぼくの背中をポンポンとたたいた。

「まあ、とにかく前に進もう。行くぞ」

 滝下は入室用のICカードを五十嵐さんに渡し、額に右手を当てて敬礼のポーズを取った。

「中に運用保守業者の技術者がいるので、詳しいことはその人に聞いてください。では、お先に帰らせてもらいます」

「お疲れさん!」

 五十嵐さんは笑顔で告げた。

 滝下は申し訳なさそうな表情でエレベーターに向かったが、足取りは明らかに軽やかだった。そういえば、滝下にも小さな子供がいたのだと思い出したのは、エレベーターの扉が閉まり切った後だった。やられた!

(つづく)

イラスト:冬乃郁也
イラスト:冬乃郁也
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▼本連載は左門至峰氏の小説『ぼく、SEやめて転職したほうがいいですか?』(日経BP、2023年6月19日発行)を著者の許諾の下で転載しています。本文表記は原則、書籍発行時の記述をそのまま掲載しています。

日経クロステック 2023年7月14日付の記事を転載]