大手メーカー系列の中堅システムインテグレーターでSEとして働く後藤智彦。担当企業のシステムが大トラブルに見舞われ、緊急対応に向かった彼はそこで、先輩SEの五十嵐優一と出会う。サーバー室の前で待ち構えていた運用保守会社のエンジニア春村春菜を加えた3人は、いよいよトラブル対応を開始する。(この物語はフィクションです)

イラスト:冬乃郁也
イラスト:冬乃郁也
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 五十嵐さんのコマンド入力は素早かった。オプションコマンドを検索することなく、次々と打ち込んでいく。大切なコマンドはすべて頭に入っているのだろう。

 ぼくは、自身のエンジニアとしての能力はそこそこ高いと自負していた。だが、五十嵐さんとの圧倒的な能力の差を見せつけられ、無言でうなだれた。

 今のぼくでは、何も役に立たない……。

 内心打ちのめされつつ作業を続けていると、妻からのLINEが届いた。

『渚には事情を説明しておいた。仕事がんばってね!』

 妻のメッセージを読むと、心が救われた気になる。すぐに返信をした。

『ありがとう(スタンプ)』

『それと、五十嵐さん、意外にイイかも!』

イラスト:冬乃郁也
イラスト:冬乃郁也

 そんな時、カバンを持った影が廊下に開かれたガラス窓をよぎった。

「あっ、佐原部長が帰られるみたいです」

 時計の針はいつの間にか21時を回っていた。つい、ぼくらも帰れるんじゃないか、という期待をしてしまう。

「オレが話をしてくる。後藤はここで待ってろ」

 五十嵐さんは真面目な表情に切り替え、サーバー室を出て佐原部長のところに向かった。話が長引くかと思ったが、会話はすぐに終わり、ぼくたちのところへ戻ってきた。

「佐原部長は帰宅するそうだ」

「では、ぼくたちも帰れますか?」

 ぼくの存在意義が失われた今、すぐにこの場を去りたい。強い期待を持って五十嵐さんの顔を見つめた。

「いや、我々はここに泊まりますと伝えた」

 ぼくはがっくりと肩を落とした。家に帰る最後のチャンスを失ってしまったのだ。

「佐原部長は明日の朝8時に出社するらしい。それまでに直せということだ」

「客のオレは家に帰る。お前たちは直しておけということですか。ネットで見た悪評の通りです」

「でも、顧客が帰ってくれたほうが楽だぞ、作業に集中できる」

「それはそうですが……」

 ぼくはこの閉ざされた空間から出たかった。

「まあ、帰るのは諦めて、しっかり直そう」

 ぼくは五十嵐さんに、1つ提案をした。

「こんな寒い環境で調査しなくても、ログを取得して、自分たちのオフィスで調査したら駄目ですか? そして、明日の早朝から対応するとか」

「言ったろ、すぐには直らないトラブルも多々ある。そんなときはサーバー室で寝ることが大事だ」

「顧客へのパフォーマンスですか? がんばってるぞっていう」

「もちろんそうだ」

 はしくれであっても技術者を自負しているぼくは、五十嵐さんの考え方が気に入らない。

「五十嵐さん、そんなパフォーマンスなんかより、直すことに専念しましょう」

「専念するために、サーバー室に泊まり込むんだ」

「でも、五十嵐さん。極寒のサーバー室ではなく、事務所でやったほうが作業効率もいいと思います」

「なぜだ? 寒いのは後藤だけだろう。オレは防寒対策をしているから、気にならない。それに事務所への移動時間だってもったいない。物理サーバーが目の前にあるほうが作業効率はいいに決まっている。物理的なネットワークを組み替えるとか、インジケーターランプの確認もできる。遠隔で作業したら、サーバーがダウンした時に、電源をオンにすることすらできない。非効率だ」

 そう言われると、反論できない。五十嵐さんの方が理にかなっている。

「わかりました。顧客へのパフォーマンスなら無意味だと思ったのでつい反論してしまいました」

「ただな、後藤。パフォーマンスもときには大事だぞ」

「がんばっているというアピールがですか?」

「直らなくても許してもらおうと考えているわけではない。どんなにがんばっても、直すにはある程度の時間がかかる場合がある。例えば、直すには翌日の夕方までかかるとする。つまり、明日の朝8時には直っていない。すると、顧客はどうなると思う?」

「佐原部長なら、とりあえず激怒するでしょうね」

「そりゃそうだ。社員が業務を開始するし、佐原部長の向こうにいるエンドユーザーからのクレームもくるだろう。すると、状況は最悪になる。30分とか1時間ごとに、とりあえず現状を説明しろとか、本当に直せるのかとか、暫定対処はないのかとか、特定の注文だけ処理させてくれとか、いろいろと注文を付けられる。それらへの対応に時間が取られ、トラブル対応に割ける時間が極端に少なくなる。結果的に、復旧するまでの時間が大幅に遅れる」

「『すぐやります』と言っても無駄ですかね」

「すぐすぐって、一体何時間たったと思っているんだ! ってなるな」

「たしかにそうですね」

「そこでだ」と五十嵐さんが強調した。

「顧客にがんばっている姿を見せ、我々を信頼してもらうことが大事なんだ。『こんなに必死にやっているんです。ご飯も食べずに極寒のサーバー室で一睡もせずに作業をしています。夕方までに必ず直しますから、私たちを信頼してください。復旧作業に専念させてください』というメッセージなんだ」

 エンジニアとしての論理性は感じない。しかし、五十嵐さんが言っていることは間違っていない気もしてきた。

 ただ、徹夜が確定してしまった。

 ああ、渚。パパには、謝ることしかできないよ……。

(つづく)

▼本連載は左門至峰氏の小説『ぼく、SEやめて転職したほうがいいですか?』(日経BP、2023年6月19日発行)を著者の許諾の下で転載しています。本文表記は原則、書籍発行時の記述をそのまま掲載しています。

日経クロステック 2023年7月19日付の記事を転載]