中堅システムインテグレーターでSEとして働く後藤智彦。担当企業のシステムが大トラブルに見舞われ、緊急対応に向かった彼はそこで、先輩SEの五十嵐優一と出会う。徹夜でのトラブル対応を覚悟した後藤と五十嵐は、保守運営会社の女性エンジニア春原には帰宅するように促すが……。(この物語はフィクションです)

イラスト:冬乃郁也
イラスト:冬乃郁也
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「ところで、ぼくたちは外に出られるのですか?」

 そう尋ねたぼくに、五十嵐さんが首を横に振る。

「いや、出られない。セキュリティーの関係で、全部施錠したらしい。だから、オレたちが何か盗もうと思っても、外に持ち出せない。まあ、盗む気はもちろんないけど」

「そんなことより、明日の朝8時まではここにいるということですか?」

「そういうことだ」

「ここに朝までいたら、寒くて死んじゃいますよ」

 ぼくはつい、泣きそうな顔になった。

「大丈夫、社員しか入れない奥の休憩室の鍵をくれた。そこは暖房が入るし、自販機もあるから休憩できる」

 うれしいやら悲しいやらよくわからなくなってきた。でも腹をくくり、朝まで作業するしか選択肢がない。

「わかりました。服部課長には、今夜はサーバー室に泊まることを連絡しておきます。どうせ、楽しそうに飲んでいると思いますが」

イラスト:冬乃郁也
イラスト:冬乃郁也

 五十嵐さんは、次に春村さんを見た。

「春村さんは帰りな。急いで佐原部長を追いかければ、ここから出られるはず。あとはオレたちがやっておく」

 五十嵐さんは親指を顔の近くで立てて、「任せとけ」という表情をした。

 しかし、春村さんはそれを断った。

「私は残りますよ」

「どうして? 派遣元から残るように厳しく言われているのか?」

「仕事への責任感もありますし……」

「そうか。なかなか肝が据わっているな。泣きごとを言う後藤とは大違いだ」

 ぼくは、キーボードを打つ顔を上げられなかった。春村さんは女性だから、きっと「帰る」って言うと思った。自分がなんだか情けない人間のように思われて少し恥ずかしかった。

「仕事ですから、なんとも思いません」

 春村さんはキッパリと言った。

 このままだと自分が悪者のままだ。つい、彼女に反論したくなった。

「でも、仕事といっても、楽しい仕事と嫌な仕事がありますよね」

「あまりそういう感情はありません。お金をもらっている以上、命令には従おうと思っています」

「後藤の負け」と五十嵐さんがジャッジをする。なんか、気に入らない。

「いいか後藤、嫌な仕事を『嫌』と思うとさらに嫌になる。『仕事にいい仕事も悪い仕事もない』、そう考えれば、苦痛じゃなくなる。ようは、物事は考え方次第ってことだ。だよね、春村さん」

「あ、そこまで深くは考えていませんでした」

 春村さんは冷静に答えた。

 五十嵐さんに負けと言われたので、これ以上反論をするのはやめよう。そして、これは仕事。そう、仕事なんだ。今日はもう帰れないんだ。

 ぼくは妻に、『残念ながら、徹夜確定』とLINEを送った。

 五十嵐さんは春村さんのことが気に入ったみたいで、彼女にさらに話しかけた。

「春村さんは若いのに、悟ったような考え方だね」

「そうですか?」

「若いうちは多少の失敗が許されるわけだから、気持ちを押し殺さずに、自分の感情に従って行動をしてもいい気がする。そのほうが楽しいんじゃないかな」

 春村さんは少し黙り込んだ。しばらくして、「私は私のスタイルで、単に作業を進めているだけです」と笑顔を見せなかった。なんとなくだが、ぼくたちに心を許していない気がする。

 ぼくは春村さんに同調したくなった。

「五十嵐さん、トラブル対応みたいな嫌な仕事、モチベーションなんか湧きません。粛々とやるしかないです」

「そうかな。オレは、先輩についてトラブル対応の手伝いをした時は、楽しかったぞ。手伝いだからオレには責任なかったし」

 五十嵐さんはパソコンに向かって作業をしながら、表情がイキイキしている。

「何が楽しいんですか?」

「トラブル対応は勉強になるからだ。SEに必要なあらゆる力が求められるし、トラブル対応が的確にできるかどうかで力量が見える。トラブルを直すためには、原因調査能力や技術力が必要だし、顧客に対する説明資料の作成能力、そして、高いコミュニケーション能力や対応能力が必要だ」

「たしかにそうです」

 そう言ってぼくと春村さんは、五十嵐さんの話をじっと聞いた。

「加えて、トラブル対応はチームでやったほうが効率的だ。チームをまとめる力、リーダーシップも必要」

 五十嵐さんの話に、つい心を開かされた気分になった。五十嵐さんは親しみを込めた表情で話を続けた。

「できるSEは、プレッシャーの中でも先に言ったことができる。一方、駄目なSEは、段取りが悪く、いつまでたっても直せない。最悪な場合は、顧客を怒らせることになる。トラブルは直すことももちろん大事だが、それ以上に顧客との信頼関係を維持し続けることのほうがより大事なんだ」

「なんとなく、それはわかります」

「ただ、仮にすぐに直せなかったとしても、信頼関係が崩壊するとは限らない。信頼関係は別のところにあるからだ。そして、できるSEは、トラブル対応を機に、株を上げるものだ」

「さらに信頼を得る、ということですね」

「そうだ」

 たしかに、トラブル対応というのは、最もSEの力が試される場だ。物事は考え方次第だ。どうせ朝まで帰れないのであれば、五十嵐さんの技術力・対応力を学ぼう。

 五十嵐さんは春村さんを見た。

「春村さん、君の気持ちはわかった。無理やり帰ってもらうのも悪い。ただ、疲れたら休憩室で勝手に休んでいてくれ。オレたちのことは気にせずに」

「ありがとうございます」

 春村さんの表情が少しにこやかになった気がした。五十嵐さんが言った通り、トラブル対応はチーム一丸でやったほうがいい。彼女の力もぜひ借りて、このトラブルを乗り切りたい。

 五十嵐さんは話をしながらもキーボードを打つ手を休めなかった。

 しばらくして、五十嵐さんは、いくつかのコマンドを入力した後、エンターキーをトントンと2回たたいた。

「なんとなくトラブルの原因がわかったかも」

 ぼくはうれしくなって「本当ですか?」と身を乗り出した。

「いや、まだ確定ではない。まあ、任せておけ、後藤、お前は休んでろ」

「五十嵐さん、そうはいかないですよ。ぼくもがんばります」

「変なところで真面目だな。真面目一辺倒でもモテないぞ。ね、春村さん」とぼくをからかった。

 五十嵐さんは追い詰められたサーバー室であっても楽しそうに仕事をする。それは1つの才能かもしれない。

(つづく)

▼本連載は左門至峰氏の小説『ぼく、SEやめて転職したほうがいいですか?』(日経BP、2023年6月19日発行)を著者の許諾の下で転載しています。本文表記は原則、書籍発行時の記述をそのまま掲載しています。

日経クロステック 2023年7月20日付の記事を転載]