中堅システムインテグレーターでSEとして働く後藤智彦は12年働いた会社をやめようと決心していた。担当企業のシステムが大トラブルに見舞われ、緊急対応に向かった彼は先輩SEの五十嵐優一、保守エンジニアの春村春菜と共にサーバー室にこもってトラブル対応に奮闘する。(この物語はフィクションです)
ぼくのくだらない血液型の話が終わり、五十嵐さんと春村さん、そしてぼくは黙々と作業を続けた。
五十嵐さんのコマンド操作は見事だった。大量のエラーログを解析する際も、必要なものを見つけるためにPython(パイソン)でサクッとプログラムを組む。非常に効率がよかった。
それから1時間弱、3人はパソコンの前で黙々とコマンドを打ち続けた。
しばらくして、春村さんは五十嵐さんにUSBメモリーを渡した。
「途中経過ですが、私が確認したログなどを整理しました」
五十嵐さんはそれをパソコンに挿し、ファイルの中身を開く。内容を確認するにつれて、五十嵐さんの表情がみるみる明るくなった。
「なるほど。実は、なんとなくトラブルの原因がわかってきてたんだ。このファイル、とっても助かる。オレの仮説が正しいことの裏付けとして有効だ」

五十嵐さんに褒められて、春村さんは表情を緩めた。
「一部、AI(人工知能)に任せましたけど」
そう言って春村さんが舌を出す。
「最近はAIが何でもしてくれるからなー。このトラブルもAIが直してくれるといいんだけど、それはちょっと無理だよなー」
ぼくも、自分が解析したログを整理してファイルにまとめ、USBメモリーに入れて五十嵐さんに渡した。
「五十嵐さん、途中までの解析結果です」
ファイルを見た五十嵐さんは、春村さんの時と同様に笑顔を見せてくれた。
「お、考察がまとまってるじゃん、わかりやすい」
「ありがとうございます」
少しは役に立てて、ほっとした。
五十嵐さんはファイルを見ながら1人つぶやく。
「あ、そうか。なるほどね。3ウェイハンドシェークを確立させないDoS攻撃はログに残らないんだ」
五十嵐さんは、ぼくのまとめたファイルを見ながら何度も「なるほど」の言葉を繰り返した。
「よーし、だいたいわかった。気になるところもいくつかあるけど、まあいいだろう」
「五十嵐さん、解決できそうですか?」
「まだわからんが、オレができなければ誰にもできん」
「さすがですね。五十嵐さんが来てくださって本当に助かりました」
「それより、ちょっと休憩するか」
「でも、あと少しなら先に解決させてしまいませんか」
ぼくが提案したにもかかわらず、五十嵐さんはノートパソコンを閉じる。
「大丈夫だって。ほら、後藤もあったかい休憩室で身体を休めろ。休むことも大事な仕事だ」
『休むことも仕事』というのは、ぼくにはなかった発想だ。しかし、人間が集中して作業できる時間は、1時間未満と聞いたことがある。一度リフレッシュすることで、集中力が高まるならそれも正解だ。幸い、今は佐原部長も見ていない。
「春村さんも行こう」
五十嵐さんはそう言って立ち上がった。
サーバー室を出て、廊下の突き当たりに休憩室がある。極寒の場所から外に出て、暖かい空気を吸う。ぼくは生き返った気がした。
休憩室の入り口にある電気をつけるとともに、「暖房を入れますね」とリモコンのスイッチを押した。ああ、暖かい。ここは天国かもしれない。
五十嵐さんは自販機の前に立ち、小銭を入れた。
「好きなの飲んでいいよ」
「気前がいいですね」
「先輩だしな。ただし出世返しな」
「ぼく、出世しそうな気はしないですけど」
そう言いながら、ボトル缶のホットコーヒーを選んだ。春村さんも「温かいお茶をいただきます」とボタンを押した。
休憩室には簡素な4人掛けのテーブルと椅子(いす)がある。五十嵐さんとぼくが対面になって座り、春村さんはぼくの横に座った。
「トラブルで追い詰められたとしても、休むことは大事だぞ。そして、休憩時には、休むことに専念すること」
五十嵐さんはそう教えてくれた。
「休むことに専念、ですね」とぼくは繰り返した。
五十嵐さんは、缶コーヒーをグビッと飲みつつ、「コーヒーってこんなにうまかったっけ?」と缶をまじまじと見た。
ぼくは、はーっと息を吐き出した。身体の奥からじんわり温かさと、そして「幸せ」を感じる。ここでも、五十嵐さんが言っていた「物事は考え方次第」という言葉が頭をよぎった。トラブル対応でしんどいけど、これだけおいしくコーヒーが飲めることを、素直に楽しもう。
「ところで、春村さん、ご趣味は?」
五十嵐さんの顔は、明らかにニタニタしている。トラブル対応中とはとても思えない。
「五十嵐さん、合コンですか?」とぼくがからかったが、五十嵐さんは動じない。
「いいじゃねーか。さっき言ったろ、休憩時には、休むことに専念するんだ。それに、コミュニケーションは大事」
たしかにそういう前振りはあった。
春村さんは首をかしげながらも、「趣味は特にありません」とそっけない。
「あらそう。で、なんでこんなかわいい女性がコンピューターの仕事をやっているの?」
五十嵐さんは初対面の女性に平然と「かわいい」と言える。少しうらやましい気もする。ぼくはそんな気持ちを抑えて、冷静に忠告した。
「五十嵐さん、今の時代、『女性なのに』みたいな決めつけの発言は問題になります」
「相変わらず細かいなー、A型男は」
五十嵐さんは「お前は口を出すな」と手を払うしぐさをし、そして春村さんを見た。
「女性だからというわけではないが、先ほどの春村さんの解析は見事だった。書かれていた考察も的確でびっくりしたよ」
「お役に立てたなら、何よりです」
春村さんの表情が、最初に出会った頃と比べてずいぶん明るくなった気がする。
五十嵐さんはコーヒーを置いて、春村さんをたたえた。
「日ごろからこういう運用に慣れているからかもしれないが、ここまでの技術力をつけるのに、相当な努力をしたと思う」
「褒めていただくとうれしいです」
「たぶん、コンピューターの仕事が好きなんだよね?」
「私はあまり社交的ではないので、逆に、接客業とか営業的な仕事は得意じゃないんです」
「なるほど、消去法でSEね」
「でも私、コンピューターの仕事は好きです。私は未熟ですけど、皆さんみたいにバリバリ仕事ができたらかっこいいなって思います」
春村さんが少しずつ、自分の気持ちを話してくれるようになってきた。
トラブル解決には春村さんの力も必要だ。心を開いてくれるのはありがたい。
ぼくは思った。休憩時間を有意義な時間にしてくれたのは、やはり五十嵐さんのおかげだと。
(つづく)
[日経クロステック 2023年7月24日付の記事を転載]
